これは俺の持論なんだけど、数学みたいに絶対的に答えが定まるもの(公理の性質は無視して)ではなく、単純に感性に依存するものって答えがないってことなんだから、「正しい」とか「間違い」とかっていう概念がそもそも成立しないんだよ。
だからそれが完全に感性に依存するなら、妥当かどうかってことを考えるの自体がナンセンスだと思ってる。
だって数学みたいな絶対的・客観的な正しさを持つ物差しがないのが「感性」なんだから。
それを無理やり万人が納得するかのように妥当だとか妥当じゃないとか言って何の意味があるの?
それって結局幸之助がそう思うっていう感想レベルの話で、どちらが間違ってるのかを競う喧嘩において、そんなので勝ち負けが決めちゃダメでしょう。
じゃあどうすればいいのか?って、相手が敷いた前提条件に合わせて争えばいいんじゃないの。
その前提条件が正しいかどうかの時点で争いたいなら、それ自体も感性という答えの定まらないものに依存するのではなく、絶対的な正しさ、客観性に基づいた意見がないとダメだよ。