今日もサラッと論破しちまう””あの伝説””を

8幸之助
2021-02-27 17:32:30
ID:LtKj6zUo

>>5
理論上可能という主観的な 観点 で断言することに問題はない

けど、

妥当性という 観点 では断言することに問題はある。

俺は、それを軸に、まず理論上可能ってだけで断言することに問題はあるかないか
それは 主観での問題 か 客観での問題 かを俺が指摘しており、

おでんが主観で断言することに問題はなくても、おでんの主観自体に妥当性がないために客観的にみれば問題はある。

ここでいえば、「もう言ってしまって良いでしょう」というおでんの主張は、
「最強は複数ある」を断言してもいい  という主張である。

ここまでの内容をギュッと凝縮すると
「持論としては特定の観点(理論上)からは合理的に正しいし、それなら断言してもいいが
“その特定の観点(理論上)に妥当性はない”という俺の主張を否定できない以上は、間違いなる前提を無視していると同じで、
正当性(妥当性)という肝心で総合的な観点からみれば、断言することに問題有り。」
ということだ。
つまり、俺はナチュラルの言い分がおでんの言いたいことに適用させるなら、まず前提における物事を成り立たせるための 観点 に非がある。

特定の観点ではなく、総合的な観点からみてやっと妥当性が生まれる。
喧嘩や議論の土俵で  特定の観点において   正しいと言い張る行為というのは、もはや主観でしかなく、主観というのは特定の偏った観点からみればなんでも正解なのである。その上でどれだけ納得させれるか
そこででしょう。
そこまでいくと、まず自分の意見が客観的に間違いなのは認めた上でどれだけ主観を正当性あるように見せれるかという事でしょう。
つまり、俺はおでんが客観ではなく主観で語っていることを看破しているということであり、それは(俺が)詭弁行為を見破ったということ


あと、おでん曰く「  同じは絶対にあり得ない  」を証明 しない と俺幸之助の理論は成り立たないらしいが、これら主張をみればわかるが、色々な解釈がある以上は、色々な反論の仕方があるし、俺はそれ以外のやり方で反論をしたために
まずそれを証明する必要がない、という論理に至る。
これを論理化すると、Aを否定するなら、Bしか必要じゃない。というのが🍢の主張。
ただ、Cもあるよね というのが俺の主張。

従い、 同じは絶対にありえない という証明をしなくてもいいが故に、また誤謬生まれてるねって感じ。
これでまだ異論あるならかかってこい^^^^

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