>>459
>唯心論的とかに比べれば能動的になるまでもなく、むしろ自然なスタンスだと思うんだがな
「間違ってるとは言わないけど」と前置きした通り、あくまで感覚的には同意だよ。
俺も無意識のうちに科学を信じ、科学に助けられて生きてるからな。
ただ、その「自然さ」とか「仮設の実証」とかが何に担保されてるのかというと
結局は科学自身によるトートロジーじみた定理付けなわけじゃん。
そこは弁えておく必要があると思うわけ。
「科学的に正しい手順で仮説が実証されたら信仰対象(定理)を切り替える」
↑なぜ?
↑なぜなら科学を信じているからだ
十分に宗教的だと思うけどな。
そういう事情を踏まえると、「死後の世界」という一見して非科学的な問題提起について
「それは非科学的だ」の一言で済ませてしまうこと自体、科学教における背信行為なんじゃないか?
「生前と死後の差分をこのように解釈すれば、死後の世界が存在することを科学的に許容できる」
みたいな論理展開は十分に可能でしょ。
>科学的アプローチを施すにしても形而上学の問題であるうちはどうしようもないだろ
いや、どうにかしろ(責任を持って仮説を立てろ)とか言ってるわけじゃなくて
強制でも何でもなく、自発的に意見出そうぜ?って勧誘してるだけだよ。
面倒だとか分からないとか個人的な理由で受け身になるなら仕方ないけど
「科学的には~~とされているから受け身になって当然」ってのは違うんじゃないか、と。
科学的に未解明な命題に関して「科学的に解明されるまではどうしようもない」という姿勢を取るのは
めちゃくちゃ非科学的だと思うよ。
>不自然な仮説を実証しようとするとキリがない
これについても同じ。
科学的見地から見た際に不自然と感じるような仮説も含め実証を重ねて進歩してきたのが科学という学問だろうに。
実現可能性を無視して方法論の構築から始める研究もごまんとあるわけだし。
そして、キリがない(全て検証され尽くす時などこない)なんて科学屋が最も自覚してることだよ。
>生死の境界線は他の世界でも成り立つってことか?
死後の世界について科学をベースにアプローチをかける場合、少なくとも科学的に成り立っていればそれでいいっていう意味。
>だとしてもそれはあくまで人間の脳を介して起きた出来事であり、それらの存在が直接自然界に作用したことはないんじゃないか?それを「存在する」としてしまうのが人間至上主義の不自然なところだ
脳を介してる時点で十分に物質的(物理的な表現で記述可能)だと思うんだけど。
脳波のパターンや活性化する部位によって心理状態を分類する手法は既に一定の科学的信頼性を得てるよな?
電気信号という物理現象を介してイデアの観測を試みるってのは方法論として十分ありだと思うよ。