堂本香織です

138名無しさん
2022-03-29 06:19:00
ID:kqmuP82s(sage)

ロラン・バルトは次のように言っています。
 
「『終えてしまう』ことへの願いは、各段階に現れる:素材の収集、執筆、推敲、タイプ清書、出版;だから各段階に、熱意があり、早くこの段階を過ぎてしまいたいという焦燥があり、それがなされてしまうと、今度は一種の失望が生じ、対象の最終的な平板さが実感される:なんだ、こんなものでしかないのか!(最初の読み直しはつらいものだ)、早く別のことに移ろう!」(『小説の準備』)
 
作者が小説を完結させるのは、「うむ、これで完結だ」と思うからではなく、焦燥と失望から「はやく別のことがしたい」と思うからなのです。
 
しかし、ノーベル文学賞を取りたいわけでもなし、何故そんなに焦ったり失望したりする必要があるのでしょうか?他の趣味と同じようにじっくりと取り組めばよいのではないか?
 
しかし、多くの「未完」作品に、バルトのいう「焦り」や「失望」が見てとれることは確かです。とはいえ、じゃあこの作品はどうなのか?というと、焦りや失望の痕跡は一切感じられません。やはり、この作品は、「俳句にまとめることができなかった俳句」なのではないでしょうか。
 

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