堂本香織です

57名無しさん
2022-03-27 16:47:57
ID:pRhHOYu.(sage)

≪私小説とは≫ Wikiより
 
私小説(わたくししょうせつ、ししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。
 
【概要】
1907年(明治40年)の田山花袋「蒲団」を私小説の始まりとする説が有力であるが、平野謙は、1913年(大正2年)の近松秋江の「疑惑」と木村荘太の「牽引」を、私小説が確立した時期だとする。これらが多く自己暴露的性質を持っていたのに対し、志賀直哉の『和解』のような作風を「心境小説」と呼ぶ。客観描写ではなく、対象を見た著者の内面を描く事を主眼とした。

実際には白樺派の作品に対する揶揄として1920年代に用いられたのが始まりである。

文学史上では、絵空事のストーリーを楽しむロマン主義を否定する形で生じたリアリズム(写実主義)の極北に位置する。空想・虚構(フィクション)の要素を排して、事実を示すことで「真実を描く」という芸術の目的に達しようとした。多くの場合、作者の実体験のみに範囲を限定し、身辺や自分自身のことを語り、客観描写よりも内面描写を主としている。

その呼称から、「私」と一人称で語られるものとする解釈もあるが、三人称のものも多い。私小説の「私(わたくし)」とは「公(おおやけ)」の対語、つまり「プライベートなこと」と解することもできる。小説においては作者と作品の主人公は同一視出来ないとするのが一般的だが、私小説ではしばしば作者本人と同一視され、作者の年譜との比較検討がなされる事もある。破滅型私小説として、花袋、秋江に続く葛西善蔵、嘉村礒多、太宰治の初期作品、また調和型私小説としては、志賀の弟子筋の瀧井孝作、尾崎一雄、藤枝静男、網野菊などが挙げられる。

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