第六話「釣り忍」では、ついに作者名にもなっている「素直」という概念の定義が示されます。
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夢を諦めるというのはただの口約束でしかなかった。
しかし、自分のセリフに実直に、嘘をつけない男に、夢を諦めると言わせた、今でもそのセリフをとった自分に律儀に守っている。
如何なる卑劣な策に引っ掛かろうとも、自分のした発言は絶対である。
自分の発言を守らないということは、自分に嘘をつくことになる。
あの時下した決断は絶対なのだ。
純粋に、潔白に、愚直で、馬鹿で、頑固で。
本気で発言をしたからこそ自分の発言に逆らえない。
だが、【釣り忍】を見る度に、胸を焦がす。
夢がこの身を震わせる。諦めたと誓った筈の心を震わせる。
広大な海に船を出し、夢に向かって進む自分を常にイメージしている。
麦わら帽子を被り、立ち上がった。
夢を叫ぼう。
「俺は海賊王になる男だ!!」
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ここでは、「夢に実直である」ということと「夢を諦めると決断した自分に実直である」というの二つの「素直」の闘争が「釣り忍」を見ることにおいて決着する結構が描かれています。
このような(自分の名前にひっかける)仕掛けを見ると、やはり、第四話で「私」という言葉を全く無くすでもなく、普通の小説のように適量使うでもないやり方は、筒井康隆がエッセイの中に突如「これは小説だから」と書き込んだような、かすかな悪意を感じないわけにはいきません。