>>219
どこまで掘り下げて”だけ”とするか、その共通認識も確認すべきじゃないかと。
理由。
理由の理由。
理由の理由の理由。
理由の理由の理由の理由。
ソクラテスの問答法じゃないけど、物事の本質は無限に掘り下げることはできるからな。
”あ”はどう思ってるか知らんが、そこにどれだけ理由があろうとも、結局それが個人の持ちうる世界に1つだけの物差しで計られて得られたものなら、主観の領域からは決して出ることのない客観的な正当性皆無なものなわけだ。
そのことを言いたいのなら、その2つを区別する意味なんてないと思うぞ。
どっちも”だけ”で片づく話だろ?