とある引退喧嘩師の落書き

26i1◆i1b8rn8Zr.
2022-09-19 02:54:27
ID:uT9CfQzw

「半年ロムれ」

ある掲示板を訪れた際に、そこの住民から返ってきた言葉です。
当時糞餓鬼だった私は、すぐに反発しました。

半年ロムれとは何事か。
現実の社会的役割から解放され、ただHNとIDだけがアイデンティティのネット掲示板において、不特定多数に門戸を開かなければ何の意味があるのだ、と。

当時の私は、インターネットの世界に大変魅了されていました。現実社会では到底知りえない情報の宝庫、個性的だが怪しげなネットユーザーたち、現実に閉塞感を覚えていた私にとって、当時のインターネットは自由で奥深い世界に見えたのです。そんな風に目を輝かせて入ってきた私に掲示板の住民は酷い洗礼を浴びせてきたのです。
よくよく考えてみると掲示板”住民”というワードにも違和感が出てきます。私もつい咄嗟に>>1にて”住み着いていた”と言ってしまいましたが、これほど珍妙な言葉はないかもしれません。彼らが自らを住民と自称するのは、そこに居場所を求めていたのかもしれません。

ネット掲示板というのは一つのコミュニティでした。そこには住民がいて、文化があって、秩序がありました。
もう一つの社会的役割が各個人に与えられていたのです。特に現実社会に居場所のない人々にとっては、そこはオアシスに見えたことでしょう。半年ロムれという慣用句は、まさに彼らの自己防衛のために産み出された言葉だったのかもしれません。完全なオープンでもなく、しかしクローズドでもない、曖昧なものとして小さなネットコミュニティが数多く成立していました。

SNSの時代になり、個々のコミュニティは特定のSNSに還元されてしまいます。これらのサイトやアプリは大企業により運営され、利益を追求するためのシステムとして成立するようになります。各種の大手SNSを閲覧すれば容易に分かるように、現実のしがらみがネット上に跋扈しており、最早現実社会の一つのツールでしかありません。スマホの登場でインターネットの利用がますます便利になり、参入障壁が低くなったことで、利用者は爆発的に増加し、インターネットは巨大な市場になりました。各個人はかつてのように文化を生み出す住民ではなく、一部の人間が作り出したものをただ楽しむだけの消費者になります。社会の変化が激しいのと同様に、ネット社会の変化もまた激しく、半年ロムるなんて悠長なことはできなくなってしまいました。むしろ運営企業にとっては、馬鹿で金を落とす利用者が増えてくれた方が都合が良いでしょう。
日々どころか数時間単位でトレンドが移り変わっていく今の世に、あれほど反発を覚えた「半年ロムれ」という単語に愛着すら湧いてくるのです。

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