とある引退喧嘩師の落書き

37i1◆i1b8rn8Zr.
2022-09-19 20:45:42
ID:uT9CfQzw

>>32
ご提案どうもありがとうございます。人生は有限ですから、全てのことに手を出すわけにはいきません。

多様な経験、新しい人生、といったワードは海外帰りの若者がよく言うことですが、そういう方に限って日常に疲弊しているように見受けられます。
だから無意識のうちに非日常の世界に刺激や休息を求めるのではないしょうか。名無しさんの場合はどうでしょう?

私の経験を少しお話ししましょう。
かなり昔の話になりますが、とある中南米の国に滞在したことがありました。毎日が非日常の連続で刺激に溢れて、自分の人生に活力を与えるような新しいものに出会えた気がしました。そのうちの一つがドラッグです。麻薬が日常に溢れている国でして、ドラッグパーティがよく開催されていました。パーティに参加した日のことは二度と忘れないでしょう。初体験で私は非常に興奮していたのですが、彼らにとっては日本のクラブパーティ程度の認識だったようです。薬のせいで私はハイになっていましたが、その私の有様を見て彼らは大変羨ましがりました。
どんな強い刺激でもそれに慣れてしまえば、感度が下がってしまい、退屈な日常のピースになってしまうのです。そしてまた新しい非日常的刺激を求めることになります。非日常の体験は、どこまでいっても観光に過ぎません。それは自然であれ、海外であれ、同じことです。観光地に刺激を求めるよりも、自分の感度を上げることに私は注力しています。その上で日常に新しい発見があったときの喜びは格別なものです。もし私がアウトドアに生きる実感を得られたとしたら日常に組み込む努力と工夫をするでしょう。
人生のほとんどを過ごすのは日常生活ですから、そこに生きている実感を見出すほうが豊かな人生を送れると思いませんか?

しかし、非日常の魅力は私も十分理解しています。
当時のドラッグの愉悦は未だに忘れられず私の脳内にしかと残っておりまして、死ぬまでにもう一度あの強烈な刺激を味わいたいという欲望もあります。
この身体から発せられる欲望には逆らいようがありません。
喧嘩サイトもドラッグと同じく、日常に退屈した者にある種の刺激と興奮を提供しており、彼らの背後には堕落した日常が見え隠れしてしまうのです。

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