サルトルの見解に立てば、本質なんてものは妄想に過ぎず、「あるがままのわたし」「本当の自分」などというものは空虚な言葉でしかありません。喧嘩サイトは社会に適合していないコミュニティだからこそ存在価値があるのではないでしょうか?生真面目な”社会人”ばかりが喧嘩サイトを闊歩していたら面白くありません。彼らは社会的不適合者に感謝せねばならないのです。我々の異常性が、彼らの正常性に自信を与えているのですから。