>>12
大変読みにくい文章、有難うございます。
一通り目を通して生まれた感情は驚き。
要はビックリ。大ビックリです。
もしかして『キャスフィの喧嘩師が本気で考えた!喧嘩師ドッキリGP』プログラムの一環とかですかね...?
それならば納得が行くというもの。
久しぶりに本物の"ドッキリ"を目の当たりにしました。
というのも、貴方は頭が悪すぎる。
なんだこいつは、と。
脳味噌が詰まってないのか、と。
ナチュラルガイジなのか、と。
そんな感じのビックリですよ...
コイツは...
>「お前等」と>>1を含めることと、俺がそのような前提を敷いていることの関係性って何なんですか?
一番驚いたのはここ。
この小学四年生でもギリ呈さないであろうレベルの疑問を何の躊躇もない様子で呈してしまう。
その大胆かつ稚拙な行動、感服の至り。
>ガイジはお前等の方だ
この発言に用いられてる表現について、これは俺自身の願望でもなんでもなくて、日本語をある程度経験している方々なら「"発言以前に相手にガイジだと言われた、若しくはそう認識された"という背景がある」と考えるのが妥当です、はい。
この説明をすることすら馬鹿馬鹿しいんですけど、今回の場合らナチュラルくん自体が馬鹿馬鹿みたいなのでやむを得ず。
ここに登場するはAくんとBくん。
AくんはBくんにシンプルに「ガイジ」と言うイメージを伝えたい。のであれば、
A「Bはガイジだ」
とシンプルに伝える筈。いきなり、
A「ガイジはBの方だ。」
というのはあまりに不自然
(↑俺の願望ではない(笑))
仮にこれが何かの大会の決勝、いざ試合が始まる寸前に二人が対峙しお互い相手を揶揄し始める。
的なストーリーなら分かります。
A「負けるのはBの方だ。」
これは全然おかしくない。
じゃあさっきとの違いはナニか。
答えは単純
このケースでは元々「勝者・敗者」という二つの枠に二人を当て嵌めることができるという状況ができているんです。
要は相手と自分を比較して、どちらかをどちらかの枠に入れる状態なんですよ。
要は「○○は△△の方」という表現は、比較的な会話において使う物なんです。
さっきAくんは元々Aくん自身とBくん、どちらがガイジか、という話をしているわけではないので上述のように「Bはガイジだ。」とシンプルに答えた訳です。
今回の場合はどうか。
ナチュラルくんが「お前等の方」という表現したのは何故なのか。
それは「ナチュラルくんと宴くんたち、どちらがガイジなのか(もしくはどちらもガイジなのか)」という比較的な会話に成っているからです。
でもこれって、おかしくね?
ナチュラルくんは「ガイジなのはお前等の方」って言ってるけど、宴くんたちがナチュラルくんに対して「ナチュラルはガイジだ!!」とか言わない限り、いきなり比較的な会話にはならないじゃん!
だから「宴くんたちが、ナチュラルくんはガイジだ、若しくはガイジだと認識している。」という前提が浮かんでくるんですよ(笑)
『あぁ、ナチュラルくんは宴くんたちに「ガイジだ」と言われて、それに乗っかって「ガイジはお前等の方」と言ってるのか!!それで比較的な会話に成っているわけだ!』
こういう思考のプロセス。単純ですね。
別にナチュラルくんをガイジ扱いしている方々のみに対して「いやガイジはそいつらの方だ!」とスピーチすること自体は、マジでどうでもよくて。
そこにナチュラルくんをガイジ扱いしているかどうか明らかではない宴くんを含めることがポイントで、だから俺は「~含めてる以上、」と強調している訳です。
まあ、そもそも
>俺がガイジであるという自覚なんか微塵もしてないということは客観的に認められる事実なのであって
客観的に認められているとか言ってるけど、実際これはお前自身のイメージでしかなくて。
そこら辺にいるモブとかお前自身が「ナチュラルは自分がガイジだと自覚していない」と明言していようが、それは客観的な絶対評価ではなく、あくまでお前とそいつら自身の評価に過ぎない。
そもそもお前の事すら知らん俺からしてみれば、お前がガイジ扱いされていることを自覚しているという状態のみを断片的に知っている奴がいても全然おかしくないと思うんだけど。
単純にお前が「自分がガイジと自覚しているか」について触れているレスを見ていないだけであって、質問している。
ってただそれだけの話では?
なんか自分が超絶有名人で、ここにいるお前のこと知ってるやつらは全員「お前の自分がガイジかどうかという認識」まで知ってると勘違いしてる”こうだといいな”を”こうなんだ”に自己都合で勝手に脳内変換してる人種にしか見えないです(笑)