頭が良い人ほど決めつけをしない。常に暫定的に物事を考えている。イキリネット喧嘩し()にありがちな 断定的な表現をあえて避ける避けるビビり糞ダサムーブと形は似てるが中身は真反対w
>頭が良い人ほど決めつけをしない。
もし>1が頭が良ければ決めつけをしない事になる。決めつけをした>1は頭が良くない事になる。
言うまでも無く、頭が良くない人は頭が良い人に劣後する。頭が良くない人は頭が良い人の立場になれないのだからら、頭が良い人を定義する事は出来ない。
頭が良くない>1が頭が良い人を定義する事が出来ないのだから、>1は矛盾している。
頭が良い人ほど決めつけをしないように見える、常に暫定的に物事を考えているように見える、イキリネット喧嘩し()にありがちな 断定的な表現をあえて避ける避けるビビり糞ダサムーブと形は似てるが中身は真反対だろう。
という意味なら間違いではない。
>2
これぐらい言ってみれば?
>>1は心中の話をしているんだろう
たとえば「麻原は悪人」といういかにもありそうな意見があるとして
アホほど「麻原は悪人である」を事実として考えを練り、
頭がいいほとに「麻原は悪人かもしれない説」として、いつでも「善人として扱われることで論理を改築しなおせる柔軟性」をあわせもっているといった意味が込められてるかもな
天使もりも、言語化された部分を見てないっすかwwwww
りに於いてはそれ以外にも突っ込みどころをさらしてしまってるようだが
>>2とその他に送る
>1は断定的な表現ではあるが俺がその意見を断定しているという根拠は何一つない
決めつけたような物言い から読み取れることは「決めつけた物言いをした」ということであって
発言主が決めつけているということとはノットイコールである。
以下これに対する揚げ足取りは悪手である
>5
つまり真意は違うと言いたいのですね。
しかし法的には表示意思が大事なのであって、真意を隠していた場合、その真意は保護されません。真意が断定しているという根拠が無くても、表示意思に対して批判をするのは間違いではありませんね。
>1に、「但しわに本人の真意としては上記表示を断定しているわけではない」とでも真意を表明してあれば、何ら問題無かったわけです。次からはそうしましょうね?
>4
突っ込みどころがあるう~と言ってるだけで何も突っ込んでませんよ。
>5により>1は表面的な決めつけをしたという事で心中の話ではありませんよ。
>>3
>もし>1が頭が良ければ決めつけをしない事になる。決めつけをした>1は頭が良くない事になる。
表現上決めつけたような形をとっても、心中で決めつけをしたとは限らねーだろガイジ
>言うまでも無く、頭が良くない人は頭が良い人に劣後する。頭が良くない人は頭が良い人の立場になれないのだからら、頭が良い人を定義する事は出来ない。
仮に>>1がある面で頭が悪いとしても頭がいい人を定義することはできると思うが?
その立場に立てないから能力の高さを語ることができないならプロスポーツ選手を一般サッカー通が一流だと評価することが無理になってしまう
しかし常識的にはできるだろう
なぜか、
「評価をする能力」と「具体的に実行(心中で決めつけることが少ないこと)」能力は別だと「することが」可能だから
そして、頭の良しあしは主観的に導き出せるものであり、常識の範囲内で曖昧に>>1なりの独創的な頭のよさを定義付けることは妥当
>頭が良くない>1が頭が良い人を定義する事が出来ないのだから、>1は矛盾している。
「仮に」>>1が「決めつけをしてしまう頭の悪さを不幸にも備えてしまっていた」としても
その論理そのものが間違いだったとは結論付けられないしマグレのラッキーパンチ的正論ということもありえる
>>1は「自分たちのように心中で決めつけをしてしまう人間がなぜ劣っているのか」を分析した結果、そういう考えを編み出したとする場合正当に頭のいい人間を導き出せる
「物事を柔軟にとらえられる状態」は
心中での決めつけ、決め込みによって阻まれるだろう
麻原は悪人、という観点しか持てなかった人間よりも
「麻原は悪人かもしれない」という一歩引いた観点で物事を見るほうが思考に柔軟性を持たせられる気がするよね