幽霊とは…我々人間の最終形態である
食欲、性欲など人がもつありとあらゆる煩悩をすべて捨て去った存在、それこそ幽霊なのではないか。我々はそれを人間とは認識しない。生とは業の塊である。煩悩があって人間は生きていられるのだ。人間は動物的な本能と高度な知性をあわせもっている。人間の脳は他の動物に比べてはるかに進化している。しかし、生きている人間はその脳の潜在能力をほとんど引き出せていない。動物的な欲深い本能も多く残っている。
死とはそれらの本能をすべて捨て去ることである。死とは我々人間の脳が本来持つ高度な知性と魂を凝縮させて幽霊という新たな存在に進化するための手段なのだ。
一切の業を捨て去った幽霊が何を考えているのか、何をしているのか、何のためにそこにいるのか、それは我々生きている存在には到底はかりしれないことであり、それを暴こうとするのは実に愚かである。
科学は脳の高度な知能の産物である。科学は様々な自然の法則を見出し、我々の生活を豊かにしてきた。しかしそれと同時に、我々の煩悩も大きくなった。科学なんてものは我々人間の潜在能力に比べたら氷山の一角に過ぎないのだ。
すべてを引き出すには死ぬしかない。
死を恐れることはない。生きている人間には理解し得ない世界がそこに広がっているだろう。
一つ勘違いしてはいけないのはこれは決して自殺の推奨ではない。
生に意味が無いわけではない。天寿を全うして初めて進化することができる。
進化には必ず順序がある。生きていたときにどれだけ脳を使い、考えて生きてきたか、これが死後にも大きく影響する。
すべての人間が幽霊になれるとは限らない。脳の潜在能力をすべて引き出せた者にしかその進化は与えられない。失敗した幽霊は生きている人間と同じように、執念や欲深さが強く残っており、動物的存在から逸脱しきれていない。
まだまだ成長途上にある人間が多い諸君に言っておこう
死とは全うに生きたものにこそ与えられるものであり、中途半端にしか生きていないものが通るべき道ではない。途中で死ぬのは死に対する冒涜であり、たとえ肉体的に朽ち果てたとしても決して死ぬことはできない。永遠に煩悩の狭間で苦しみ続けることになるだろう。
幽霊が存在するっていうのはなんとなくわかるけれども、自分の目で直接見たくはない。
まあ、臆病なだけなんだけれどねー。
>>12
動物霊があると主張する人はいるけど虫霊とかw
いちいち蚊やゴキに化けて出られたらたまらんわ
>>13
陰陽師の知り合いって…
幽霊より怖いかもしれない
見たことありますよ霊感あり
寒いときは居る
暖かかったら居ません
冬は気を付けてくださいね冬寒い家のストーブつけてるのに寒いは絶対居る学校にも居ますよフツーに歩いてる透明の人が
いないっすね。少なくとも今幽霊だと騒がれているものは全て幽霊ではない。
まず幽霊と言っても宗教によって異なる
仏教では、人が亡くなって成仏できずにこの世に残ってしまった魂を指す
キリスト教では人に危害を加える悪魔をさす(怨霊も含める)
日本では仏教の幽霊のイメージが強いため、敢えてこれに焦点をあてる
まぁ、あてなくても変わりはしないが
幽霊としての一般的なイメージとしては
よくテレビなどで見る"本当にあった怖い話"や"呪いのビデオ"だ
これらは一様にデタラメであることは予想できる
御払いも飽くまで仏教のものであり、効果など皆無だ
では、なぜ未だに騒がれているのか?
「百聞は一見にしかず」
これはまさに人間の心理に当てはまるものである
"他人から聞いたものを疑っていたが、実際に見てみると本当だったと気付く"
こんな経験はないだろうか?
これは時に、目の前の事実を誤解することに繋がる
有名なものでは"目の錯覚"が挙げられる
"実際にはないはずなのに、そう見えてしまう"
そもそも"見る"という行為は脳が「外の世界はこんな世界である」という情報を仕入れるための五感の一つである
それ故、見たものを信じてしまう
まさに「百聞は一見にしかず」なのだ
こうした脳の機能は,時に「錯覚」を生み出すが,もし情報が補われなければ,我々は空間の中で生活できないだろう
もし、自分の目の前に
血だらけになって倒れている人と
血だらけになって血だらけになった包丁を持っている人がいたら
どう思うだろうか?
客観的に見ればその人が犯人でない可能性もあるのだ
しかし、それを見れば"自分の目の前に人殺しがいる"と信じて疑わないだろう
これは過去に刑事ドラマなどの記憶が影響している
心霊物のテレビや動画を見るとそれが記憶に残り、似た現象が自分の周りで起これば信じて疑わないのである
つまりだ、見たものが説明できないものだからと言って
それは必ずしも幽霊、或いは幽霊の仕業とこじつけるのは
あまりにも無理があり、説得力、妥当性が皆無であるのだ
そもそも幽霊とは、怪奇的かつ非科学的な現象、つまり超常現象のことだ
科学という複雑な法則が集まった、言わばルールのようなものからかけ離れていて、尚且つ説明がつかない超常現象は全て、やれ幽霊だのやれ悪魔だのと勝手にこじつけられている
そもそもの話、全ての心霊動画や心霊写真は理論的に説明できていない
そこで幽霊信者が言うのは、ポルターガイストはどうだ説明できないだろう
あれこそ悪魔の仕業だと言う
ほとんどの現象は科学で証明されている
例えばラップ音だ
たまに家の中でバキッとかカチッとか音が鳴るだろう?
あれこそ科学で説明がつくものだ
あれはほとんどが温度変化によるものだ
中学生のときに、「ガスバーナーで熱した試験管を急に水で冷やしてはいけない、なぜなら割れてしまうから」
こんなことを習わなかっただろうか?
これこそラップ音と同じ原理だ
わずかな温度変化でも膨張、収縮を繰り返す
そのときになる音がラップ音だ
もちろん、他にも理由は存在しているものもあるし、説明できないものもある
だがそれは証明されていないだけで、事実科学的な現象が起こっているのは明らかなのだ
上で説明したラップ音に関しても、証明されていなかった時だってあったんだ
証明されるまでの間、幽霊の仕業だ仕業だと騒がれていた
しかしどうだ、実際証明されているではないか
それこそこじつけではないのか?
次に幽霊信者が持ち込んでくるのは、実際に幽霊スポットや墓場で起こる現象についてだ
あれだっていくらでも説明がつく
急にライトが消えたり、携帯の電話が繋がらなくなったり
様々な電波が飛び交うとこでも急に圏外になるなんてことはよくある話だし、ライトが消えたりするのはホコリを被っていたか、あるいは故意のイタズラであるとか説明がつく
況してやテレビでやる幽霊の検証なんかはやらせである可能性すらあるのだ
他にも人の声が聞こえるだとか、幽霊を見ただとか、あれは上で説明した心理的な理論で事足りる
幽霊スポットにいるから、その場で起こる現象は何でも間でも幽霊の仕業だとこじつける
幽霊について、それを理解する術である論理的な説明もなしに、結局のところ、現代科学では説明のつかないものを幽霊のせいにしているという、如何にもバカらしい話だ。
人の死に脳死というものがあって、 脳死を肯定するということは幽霊を否定するということ
逆を言えば幽霊を肯定すると脳死を否定するということにもなる
もし幽霊がいたとして、幽霊が死んだ人間の意思のようなを持つ霊魂だとして、 仮に死んだ人間の霊魂が、ふわふわとした物体として意思を持って動くとすると、 脳死してもその意思を持った霊魂が脳の代わりを補うことができることになる
そこで幽霊信者はこう言う
「霊魂というのは意思が物質化したものであって、人の死とは霊魂が抜けることによってその機能を終えるんだ」
これこそが論理的かつ現実的ではないと言ってるんだ
意思とか思念とかを集めたものが着ぐるみを着るように人間の脳の中に入っていて、 それが魂だということになる
つまり脳死も、魂が抜けてしまうことであって、それが脳死であるというらしい
もしもそれが目に見えないとは言え意思をもって動くのならば、相当な数の分子の集まりだろから質量があるはずだ
質量がある以上何らかの形で計測ができるはずだが、かつて計測ができないのはなぜだ?
質量を持たないものが物体を動かすエネルギーを持っているのか?
そんなもの科学的にあり得ない
絶対にだ
そこで幽霊信者はこう言う
「霊とは人の呪いや怒りとかの負の感情が作り出すものだ」
それが本当なのであればこの世の中にどれだけの負の感情が溢れているのか?
例えば東日本大震災で多くの人が亡くなったが、それらの写真で一つも幽霊らしきものは写っていない
それなのにどこもかしこも霊だらけだと言うのは無理があるだろう
特に素粒子物理学だとか一般相対性理論だとか、そういう理論のもと幽霊は存在しないとしているのに、論理的な説明もなくやれ幽霊だのやれ悪魔だの
どれだけバカらしいだろうか?
限られた情報から素早く結論を引き出すという、生物としての生存に不可欠な脳の働きによって、時に存在しないものを誤って検出してしまうことがある
これは俺の心理的論理で説明している
シミュラクラ現象
シミュラクラ現象とは、人間の目には3つの点が集まった図形を人の顔と見るようにプログラムされている脳の働き
人は他人や動物に出会った場合、敵味方を判断したり、相手の行動、感情などを予測したりする目的で本能的にまず、相手の目を見る習性がある
人や動物の目と口は逆三角形に配置されていることから、点や線などが三角形に配置されたものを見ると、脳は顔と判断してしまう
例えば車のフロントバンパーを見ると顔を連想するだろう
これは人間の本能なんだ
幽霊だと勘違いするのはこれだろう
人によってはこのシステムが過剰に働いて至る所に目や口が見えてしまう
心霊写真などはこの認知傾向によって部分的な説明がつく
磁気閃光現象
人間はある種の磁気刺激により幻覚を体験することがあるという
人間の脳が、磁気を受けると側頭葉の「ニューロン」が活性化し過去の記憶が無作為に呼び起こされ、実際にはその場に存在しない映像や音などが、あたかも体験しているかのように感じてしまうことがあるのだというのだ
夏のお盆の時期に幽霊が目撃されるのは、昼夜の温度差が原因と言われている
昼間に温まって膨張した墓石(花崗岩)が夜に冷えることで収縮して内部圧力が高まり電流が発生する
それによって磁場が発生して脳に影響すると、自分の想像した幽霊像を幻覚として見てしまう
落雷磁化現象
鉄橋も落雷などが要因で磁力を帯びることがある
断層は地殻を構成する代表的な岩石として、花崗(かこう)岩がある
その花崗岩には、石英が多く含まれている
この石英は、圧力が加えられると、電気を発生するという性質を持っている
元々存在していた割れ目が大規模にすべったり、割れたりすると電気を発生すると言われている
この電気(エネルギー)が、電磁波として地上へ放射される
放射されたこの電気(エネルギー)が、私たちが生活する地上においてノイズとして存在している
電磁波が体内に吸収されると筋肉・靭帯が収縮するといわれている
墓地や断層上の心霊スポットでは電磁波の異常がよく観測される
この電磁波の異常により筋肉が収縮し、「触られた」という感覚に変わる
電子機器の多い病院で心霊体験がよく起こるのもこのためである
また火山性の島国であり地震も多い日本では、各地で電磁波異常がある
地震の折には地球内部の動きにより電磁波が発生し、動物はその電磁波を危険回避・危機予知として感じる能力を持っている
そして動物である人間もその能力が少なからず残っていて電磁波を感じると「何かある、危険が迫っている」と無意識の部分で感じ精神的・身体的に変調をきたす
筋肉が動けば必ず「電磁波」は出ている
しかもその電磁波は、その人を「アンテナ」にして、他人にも影響を与えている
「人の気配を感じる」とは、まさにその現象
人間からも電磁波は出ており、アンテナとしてほかの人に伝わることもある
ある人が受けた電磁波の影響がほかの人に伝わっているのから、複数が心霊体験をするのだ
>>22-23
幽霊は存在しないと科学的に証明することはできない。
存在しないことの証明は不可能に近いからだ。
ある特定の現象を持ち出して、これは幽霊ではないということはできる。
しかしだからといって幽霊が存在しないとは言い切れない。
何故か。まず幽霊の定義自体が曖昧である。
何を幽霊とするのかすら分かっていないのに科学も何もないだろう。
素粒子物理学だとか一般相対性理論だとか恐らく分かってもない理論を持ち出しているがこれらは幽霊とはまったく関係ない
その理論を以て幽霊は存在しないとどうして証明できるのだね?
特定の現象はこうでああでなんてものはもう語りつくされて、テレビやネットにも溢れている。
そんなことを議論しても面白くなかろう?
そのようなコピペはもうよいから素粒子物理学で幽霊が存在しないことの証明を試しにやってみてくれたまえ。
>>24
いや、飽くまでも今幽霊だ幽霊だと騒がれているものは全て幽霊ではなく、科学的な現象であるという証明だよ。
幽霊の定義が曖昧なのは既に突っ込んであるし、幽霊が存在しないと証明されていないことにも明言してある。
そもそも素粒子なんちゃら理論なんか、私でさえも知らないのに証明のしようがない。
したところで理解できる人間など、この議論板にはどれだけいるだろうか?
>>30
何で君は日付が変わってもIDが変わらないんだろうか?
ここって日付ごとに変わるんじゃなかったのか?
もし本当にいないなら何故「幽霊」と言う言葉が生まれたの?実際あったからじゃないの?いないなら何故見える人がいるの?錯覚で100%解決できるの?
後俺はいると思うよ
おまいら、シュレディンガーの猫しっとーと?
箱と猫を用意する。
箱に放射性物質(ラジウムなど)を入れる
放射性物質は完全にランダムにアルファ崩壊し、その際放出した放射線を検出する装置(ガイガーカウンター)と青酸ガス発生装置を入れる。
検出装置は青酸ガス発生装置とつながっており、もし放射性物質がアルファ崩壊した場合青酸ガスが発生し、猫は死ぬ。
猫を入れ、蓋を閉め中を観測できないようにする
この実験の場合、猫の生死は放射性物質のミクロな振る舞い(アルファ崩壊)にのみ決定すると仮定する。
さて、一定時間経過したら箱の中の猫は死んでいるのか生きているのかどっち?
というもの。まぁ、その、あれだ。つまり、幽霊だろうが何だろうが確実な証拠が出ない限りいるとも言えるし、いないとも言える。箱を覗くまでは生猫と死猫が重なり合ってるはず。というわけで、今は箱を覗いてない状態。覗くのはもっと先の話。俺の言いたいことはだな、今はいるもいないもどっちも間違いではない。が、覗いてみて、いるのであればいる派が正解、いなければいない派が正解だと思うんだ。長々とすまん。
いるっていう証拠もないけど、いないって言う証拠もないよ?この世の中に存在するのが今解明されてる者達だけって限らないんじゃないかな?ま、個人的にはいて欲しくないけど。でも死後の世界は欲しいなぁ。
>>43
なんかそれおかしくね?
例えあんたが見たことなくても他の人が見たことがあるかもしれない
そんなものは証拠にならんだろ
>>46
突然の正論。もうそれが答えでいいのでは?
>>47
十四年生きてきて見る機会が無かったと言うのは、あまりに非現実的ではありませんか?
>>51
本物の「隕石」も写真や動画で見ましたし、
「隕石が落下している途中」も動画で見たことがありますよ
>>52
無知ですまん、グーグルカーとはなんぞ?
グーグルって、あれですよね。
検索する変なサイトさんですよね。
つまりはそのサイトさんがマップを構築して車にしたってことですよね。そしてその車が存在しなくて見たことがないと言うことですよね。
はい、完璧に理解しました。
いやまて、サイトではなく検索エンジンと呼ばれるものなのですか?
エンジンって車に搭載されてる機械ですし、そこでグーグルカーのカーの部分に繋がったのか……?
いやそもそも皆さんの言うグーグルが私の知っているグーグルなのかが問題ですよね。
「グーグル柄」とはつまり検索する方のグーグルではないと言うことになりますし、いやもう意味わからなくなってきましたごめんなさいもう眠いから寝ます死にたいです。
落ち着け
Googleっていうのは検索エンジンのこと
他にもグーグルはあるけどMIAが言っているのは多分検索エンジンのGoogle
で、Googleには検索機能の他にマップが見られるという機能がある
そのマップには調べた場所の写真が出てくるようになっているんだ
その写真を撮るのがグーグルカーという車
グーグルカーが各地をまわってその場所の写真を撮っていくわけだ
MIAはその車を見たことがないと言っている
なからさんの説明がやばいっす。
なにそれわかりやすすぎます。
いやでもどうして車にする必要があるのでしょうか?
衛星だかなんだかがあるしもうそれでよくないですか?
と言うかそんなもの見たことも聞いたこともないですね、はい。
グーグルは車で入れない所も人が入ってったり車で入れる限界まで入ったりしてるから凄いよね