まずは諸事情により久しく姿を見せることができなかったことを詫びよう。
久しぶりにこの板を拝見して共産党支持者氏や矮星氏など賢明なる利用者も少なからず存在し、当板がなんとか生き残っていることに安堵するところである。
それと同時に嘆かざるを得ない事実がある。
それは喧嘩板の創立である。
私とはとんと縁がないが、喧嘩サイトや荒らしサイトなるものは存在するということは耳にしている。
しかしかようなサイトはアンダーグラウンドな存在であり、このような表舞台に出てくるようなサイトではないと認識していた。
それは一般的な価値観とは大きく異なった存在であり、本来は公側が認めるべき存在ではない。
喧嘩行為は明らかに公序良俗を乱す行いではないか。
喧嘩板を設置するということは公側が喧嘩行為に正当性を与えているようなものである。
このような板がトップページの板リストに他板と肩をそろえて並べてあるのは非常に不気味であると言わざるを得ない。
私にはこの板の存在意義がまったく分からないのである
論争ならばこの板が存在し、乱闘行為の隔離ならば避難板があるはずだ。
私が知らない間に一体何が起こったのか
賢明なる諸君にお願いしたい
何故このような掲示板が出来てしまったのか是非とも説明してもらいたい
もしも喧嘩板の存在意義を聞いて納得できれば私も矛を収めよう
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=free&no=820&res=all
私説明下手だからとりあえずこれ参考にして
需要があるからそれと認めるという話であれば何でもよいことになる
荒らし板や犯罪自慢板まで認めてよいことになるのか?
学生が多く集まる掲示板では分別をつけないといけない
喧嘩をしたければ喧嘩サイトに行けばよい話である
あえてここに設置する理由が見当たらない
私が最も危惧するのは喧嘩板利用者の相対的地位が向上し、他板に害をなす存在になり得る事態である
サイト全般の秩序を乱す恐れがある板を運営側が認める必要があったのか甚だ疑問である
もう消えたと思ってたわい
まずは復活おめ
喧嘩板か
自分も今まで黙認してきた内のひとりだから、説得力ないかもしれんがマソコの違和感は一般人の感覚からすれば自然なものだと思うわ
サイトポリシーの特例を認めてまでこの板を作る意義を説明することは俺にはできん
ただ利用者が多いのは事実やし、より多くの人に利用してもらいたいという運営側の思いも分かるけどな
そこの境界線が難しいところやと思うで
荒らし板までいったらさすがにまずいけど喧嘩ぐらいならまだ認めてもよいっていう感じちゃうか?
喧嘩をコミュニケーションの一種あるいは一つのサイトコンテンツとして認められるかどうかは人それぞれやけど、喧嘩が荒らしと変わらないという認識は恐らく大多数の一般利用者の共通しているところではあると思う
殺人事件はたくさん起こっているからこの場所だけは殺人罪は適用しないという特例を認めようと言ってるようなものである。
一般的価値観からすれば喧嘩はコミュニケーションの一種ではなく荒らし行為の一種と捉えられるだろう。
サイトコンテンツとして成立するかどうかとこの場所で認めることとはまた別である。
我々が今運営側に抗議したところで圧倒的多数の喧嘩板利用者に押され焼け石に水状態になるのは明々白々であるからひとまずは議論板の影響力向上のためにこれからは積極的に活動していこうではないか
今回は議論板内での問題提起に留めておくが、時が熟したときに改めて動こうと思っている
>>8
同意する
一般的な板と喧嘩板が同列に並んでいることに強く違和感を感じるのであって独立させるのであれば何も問題ない
大明神殿お久しぶり。元「26の名無し」矮星です。賢明なる利用者と呼んで戴いて感謝します。
喧嘩板設立のとき私は反対派だった。とは言っても一意見しただけで強く反対した訳ではなかった。
運営が喧嘩板の意義をどう位置づけているか私ははっきり知らないが、私も結局容認したし、喧嘩板にレスしたこともある。
ここでは、あくまで私の個人的考えによる「容認される喧嘩」のあり方を述べたい。
まず、個人情報を晒すなどの犯罪的行為やその予告、脅迫等を行わないこと。これは言うまでもない当然の話だ。
次に、双方合意の上で行われること。つまり、喧嘩板だからと言って無関係の利用者を一方的に攻撃してはならない。喧嘩板である以上、板内の発言に関しては攻撃される可能性があることを利用者は同意の上で利用する。しかし例えば雑談板における発言を攻撃対象とすべきではない。雑談板の利用者は、攻撃を受けることを想定していないからである。
私は喧嘩板を、ボクシングのリングのような物だと考える。リングに上がった者は、当然、パンチを食らうことを想定しなければならない。しかし、リング上に居る者が客席にいる者を殴ってはならない。
運営は、喧嘩板以外で偶発的に起きた喧嘩を、喧嘩板に誘導するようサポーターに指示している。「殴り合いをするならリングの上でやってください」という意味だろう。
ただ、実のところ現状の喧嘩板は私の考えるものとは異なるから、運営は私とは別の考え方に基づいているのだろう。
この論論板は、純粋に議論する場だと認識している。何かのテーマに関して互いの考えを主張し合う場として見ている。議論を闘わせるが、相手を論破することが最終目的ではない。議論の結果、共通する結論に到達することもあり得る。
対するに喧嘩は勝つことが目的だと考える。論論板は主張の正当性を競うための議論だが、喧嘩板は主張の正しさよりも、相手を論破し、言い返せない状態に「詰める」ことが目的なのだと思う。そこには囲碁や将棋のような要素もある。したがって、相手を煽り挑発することで冷静さを失わせ、相手を攪乱することも作戦の一環となる。
路上で通行人を殴ることは紛れもない犯罪だが、ボクシングリングの上で対戦相手を殴ることは何ら問題ない。ここで言う私の喧嘩とは言葉を用いた格闘技で、喧嘩板はそのためのリングである。「殺人罪を適用しない特例」ではなく、「目の前の相手にパンチを食らわせノックアウトしてもよいリング」としてならば、問題ないだろう。
であるならば、そこにはルールが必要だ。格闘技は無秩序に傷つけ合うものではない。あらゆる格闘技にはルールがある。そのルールを定めるのは運営だ。
現在のままの喧嘩板ならば私も違和感を持つ。切り離すべきだ、という大明神殿のご意見も理解できる。一方で、リング外の人間に矛先を向けないこと、リング上で戦った相手でもリングの外にいる時に殴りかからないこと、そして、リング上で殴られたことに怨恨を持たないこと、というような秩序ができれば、コミュニケーションたり得ると考える。
切り離すならば、内部のシステムとしてURLを別にしようと別のサーバを使おうと、相互リンクしていれば利用者にとっては一緒に並んでいるのと同じなので、リンクのない完全なる別サイトにしなければ意味がない。しかし現状同一サイトの別板として相互の交流があるので、切り離すよりもルールを整備するほうが現実的かと思う。
私の言う「ルール」が、大明神殿の言う「分別」に通じるのではないだろうか。無秩序な喧嘩を、「公序良俗を乱す行い」から「格闘技」に昇華させてほしいというのが私の考えだ。
手始めに、掲示板そのものが見向きされていない、という状況を再確認しておきます。
その本来の特徴を大ざっぱに言えば、ツイッターとwikiのあいのこのようなものですが、
前者は四方八方との会話の便、後者なら情報の整序といった目的に沿って洗練されている。
分からないことがあれば知恵袋で訊けばいいし、こうなると掲示板の失権は明らかです。
しかし「小説板」や「何でも相談板」などの区分けは、たんに利用者を気遣ったものでしょう。
スレッドが一つの掲示板に立てこんでいると見にくいし、中規模掲示板では珍しくもない。
めんどうな小競り合いなら、「避難板」に追いやってしまえばそれで済むということです(>>1)。
トラブルの解決ならそれに徹底するべきで、余計な対立を助長するようではいけない。
非営利、それに趣味的な運営にかんがみると、なおさら“お墨付き”の意義が分かりません。
人気が高いといったって、そう爆発的に繁栄するわけでもない。量から質に目を転じても、
「議論板」ですら大した威容でもないのに、そんな気味の悪いものに常人は寄り付かない。
例えば当事者のあいだで錯綜した議論、つまりそれだけ難しい脈絡を追うのは骨が折れるのに、
ましてや罵詈雑言で埋め尽された面妖なシロモノに凝るのは、一部の物好きに限ったことです。
極めつけにその大半は押し問答、いわく“攪乱”が駄文に拍車をかけるので目も当てられない。
だいたい目に見えて決着するのは、一枚上手の名人が漁夫の利をさらっていく時ですが、
有無を言わせず論破、という形が非常に多く、ほとんど“攪乱”の出る幕はありません。
これでは実質的に「議論」であり、結局物を言うのが論理の明晰さ、ということになる。
「議論」について。これには冷静沈着な対話もあれば、片方がこっそり論破を企むものもあります。
よほど言葉遣いに目に余るものがなければ、辛口の批判は有用な「議論」にむしろ数えられる。
的確な反論で二の句を継がせない、という点にこだわって「喧嘩」を選ぶのも、妙な話です。
かといってここが荒れては元も子もないけれど、不毛な論争ならツイッターでやればいい。
あるいは不和が紛糾したときに「喧嘩板」でなすがまま、これを野放しにするような対応の是非。
もっと直截に、いまの「喧嘩」がどれほどお粗末で、見るに堪えないものか、という事実認識。
考えるべき問題は少なからずある。なにより掃き溜め同然のものを人前に晒しておくのか。
百歩譲ってあるかないかの魅力を買うにしろ、今の折衷形ではその真価をみとめられません。
「喧嘩板」は削除されるべきです。これが潰えても、運営と利用者ともどもに損をするとは考えにくい。
>>12
喧嘩板反対論としては、大明神のほうがよっぽど論理的で理が通っていると感じる。
>掲示板そのものが見向きされていない
かつてほどの盛況は無いかもしれないが、見向きもされていないなら、何故これだけの利用者がいるのか。
>ツイッターとwikiのあいのこのようなものですが
ツイッターはその名の通り「つぶやき」、ネット上の独り言だ。その延長に交流もあるが性質上、短文に限定される。Wikiは百科事典的なもの。掲示板はどちらの枠にもとらわれない。独り言よりも交流が中心的役割であり、知識集積的な掲示板もあるが、それ以外にも利用目的は管理人によって非常に多彩だ。ツイッター的にも使えるしWiki的にも使えるがブログ的にも使えるし鍵をかければ限られたグループの日常的な情報交換にも使える。汎用性が高いと言えばいいだろう。ツイッター的とWiki的な使い方に限定されない。現実に「キャスフィ避難所」は、ツイッターでもWikiでもカバーできない利用をされている。
>こうなると掲示板の失権は明らかです。
かつてより人気が落ちたから失権とは言えない。一例をあげれば、スマホの普及でパソコンの役割は低下したが、パソコンの役割はいまも十分にある。
>トラブルの解決ならそれに徹底するべきで、余計な対立を助長するようではいけない。
喧嘩板で行われる喧嘩には、トラブル的な喧嘩もあるがそうでないものもある。別の板でトラブルが起きれば喧嘩板に誘導されるが、本来管理人は喧嘩板を、トラブル推奨のために作ったわけではない。
>非営利、それに趣味的な運営にかんがみると、なおさら“お墨付き”の意義が分かりません。
>人気が高いといったって、そう爆発的に繁栄するわけでもない。
全く逆でしょう。営利的であれば、人気があり繁栄しなければ商業的に成立しえない。非営利で趣味的だからこそ、利用者数や繁栄にこだわらずに運営できる。
>「議論板」ですら大した威容でもないのに、そんな気味の悪いものに常人は寄り付かない。
議論板だって威容にこだわる必要はない。テーマを立てて、そこにいる人で論戦をやれば良い。「気味の悪いもの」に至っては、論理的でも何でもない主観的感情論。単にあなたが嫌悪しているだけだ。この後の「面妖なシロモノ」にしても同じ。あなたの表現も十分に喧嘩的な面が窺われる。
「常人は寄り付かない」は、喧嘩板の住民を「常人ではない」と称することになり、これはまさに喧嘩的挑発だ。
>これでは実質的に「議論」であり、結局物を言うのが論理の明晰さ、ということになる。
論理の明晰さで喧嘩の勝敗が決するならそれもいい。ただ議論と違って「攪乱」も喧嘩の要素ではある。その攪乱に惑わされないほうが喧嘩に有利であることは言うまでもないが、逆に上手く「攪乱」することも喧嘩の一技術である。
>的確な反論で二の句を継がせない、という点にこだわって「喧嘩」を選ぶのも、妙な話です。
これは議論で行ってもよいが、喧嘩で行っても問題ないのでは。結局、双方が攪乱されなければ的確な反論で優劣が決まる。そもそも議論は、主張内容の正しさを巡って論を戦わせるが、喧嘩での「的確な反論」は自己主張の正しさだけでなく相手の矛盾点を突くことも同じくらい重要だ。両者に明確な線引きはないが、持論の正しさを主張し合ってこその議論であるのに対し、喧嘩は持論が不明確でも相手の論を封じ込めれば良い。
>不毛な論争ならツイッターでやればいい。
ツイッターの文字数で喧嘩板のような喧嘩をやっていたら、掲示板なら1レスで済むところどれだけ投稿しなければならないの。
>いまの「喧嘩」がどれほどお粗末で、見るに堪えないものか、という事実認識。
あなたは喧嘩板を「罵詈雑言で埋め尽された面妖なシロモノ」と否定しながら、「常人は寄り付かない」とか「お粗末で見るに堪えない」としきりに喧嘩を売っていることに自己矛盾を感じないのか。
今、喧嘩板にいる人たちの論争をそれほど「お粗末」と言うのなら、試しにあなたが喧嘩板で挑んでみたらどうだろう。私は喧嘩板にも時にはレスしたり、ROMもしているが、喧嘩板で「強い」とされている方々に論理的に勝つことは決して容易なことではない。彼らの論理構成力はお粗末ではないよ。
>「喧嘩板」は削除されるべきです。これが潰えても、運営と利用者ともどもに損をするとは考えにくい。
「削除されるべき」というのは1つの考え方として成り立つだろう。また、喧嘩板が必要不可欠かと問われるなら、私も必要不可欠ではないと答える。しかし、それはそれで「あってもよい」と考える。上のレスで答えたように、無法状態ではなく、一定のルールを必要とはするが、「議論」とは異なる「喧嘩」が、必要とは言わないものの、あってはならないとも思わない。
喧嘩板では、コミュニケーションとしての喧嘩が目指されている。つまり、憎悪を助長する喧嘩でなく、論争ゲームとしての喧嘩ならば、存在してもよいだろう。
① >>12ではキャスフィ避難所に、現にある「喧嘩板」の長短を論じており、矮星に拠る「理想形」については全否定していない(>>百歩譲って~にしろ、今の折衷形ではその真価を認められない)。もちろん後者にも甘からず触れていますが、いわばトラブルを厄介払いするように運営されているのはいかがなものか、という問題提起もあります。揉め事が起きたとき、お互いの言い分をすり合わせるのでもなく、あるいは運営じきじきの仲裁でもなく、火花を散らすふたりを言い争わせておくのは良い対応でしょうか?どちらかが負かされれば、いわく「論争ゲーム」の後腐れない決着どころか、禍根が残るのは明々白々です。
② 明確な線引きがない、というのはその通りですね。ディベートのように“対等な”持論を述べあい、双方の正当性がきまって取り沙汰される形ばかりが「議論」ではありません。「自己主張」にしろ「相手の矛盾点を突くこと」にしろ、「議論」の範疇に含めて異論が出るはずはない。おそらくあなたが「喧嘩」という枠組みを擁護するのは、話のきっかけが他愛ないものでも、いつの間にか“論点”らしきものが出来上がっているところに、従来の議論との形式の相違を見出し、またそれが「喧嘩」の特色である・・と、うすうす感じているからでしょう。その実、何々を誤解しているふしがある・・・ということを言動から嗅ぎ取っただけで、いわば『火のない所に煙が立たない』に類する論点ばかり。しかも最後には、より的確なほうに軍配が上がることは見え透いている。よって両者の区別は屋上屋を架すようなものだ、ということ。“攪乱”の無用さは後に述べる。
③ 「ツイッター的にも使えるしWiki的にも使えるがブログ的にも使えるし鍵をかければ限られたグループの日常的な情報交換にも使える」・・、よきかな掲示板。しかし、四つ目はひとつめから伸びた枝であり、三つ目はやや強引な想定だから、これで「汎用性」の根拠とするのはいささか心もとない。ついでに惜しむべきは、それらに特化して使い分けるより、多用途でひとまとめにする利点がこれといって見当たらないところでしょうか。前三つは言わずもがな、最後の目的については、確かに(鍵付きの)ツイッターでは不便かもしれませんが、LINEで事足りる。(ほとんど)誰ひとり、掲示板なんか選びませんよ。
④ 「気味の悪いもの」が罵詈雑言?「常人は寄り付かない」に至っては挑発だと?いやいや・・浮世離れしすぎ。概して喧嘩師などアレでしょう、というのはともかく、現状の是非を考えるとき、一個人による率直な評価を「感情論」として排する道理はありません(ましてやこの場合、ほとんど客観評価と遜色ないのでは)。あなたが「喧嘩板」にやさしい論調を取るのは、元を辿れば喧嘩師たちに愛着があり、彼らの論理性とやらにも一目置いているから。喧嘩板の非を説こうとするとき、同じく根本にある、突き放した評価を述べるにしくはない・・・という、いたって簡単なお話ですね。あ、そうそう。言い回しに難があるとして、「常人」に対置される言葉は、ここでは「一部の物好き」ですよね?
⑤ ツイッターにおける交流は、反応を期待しない「独り言」のおまけに過ぎない、と?やはり浮世離れの感は否めない。
⑥ 試しに・・・・いいえ、結構です
⑦ おそらく高等な「喧嘩」において、“攪乱”はほとんど用を為さない。一度や二度は血がのぼって錯乱するにしろ、誰しもその経験から一定の教訓を学び、反論のまえに深呼吸するくらいの知恵はつけるでしょう。それでは、例えば「囲碁、将棋のよう」に、互いに数手先を読みあう「論争ゲーム」ならどうか。これには素直に感心します。手間暇かけて議論を複雑なものにして、喧嘩相手の混乱、自己矛盾を仕組み、しまいには自滅させるような“作戦”であれば話は別ですが、そんな曲芸をこなせる人間など、滅多にいるはずがない。または「喧嘩板」ごときに一瞥もくれないだろうから、極端な例として省く。やはり自分には、「論争ゲーム」の長所がぴんと来ません。
・揚げ足取りは議論じゃ出来ない!→ いいえ。議論に割って入って、ひととおり矛盾を暴く・・・ちゃんとできますよ(>>②)
・議論よりは荒っぽいものがいい→ 2chに行ってね
・やっぱり罵詈雑言だって欠かせない→ 2chに行ってね
あなたが喧嘩師の能力を高く買っているのと同様に、改めてこちらは「喧嘩」の程度を見限っている(>>④も参照)。利用者の質/量ともに、問題になりません(これは>>③に絡む)。僕に言わせれば、十中八九はつまらない押し問答です。駄文が勢揃いするなかでもまだ上質なものは、概して論理的であり、無用な小細工が施されていない。あくまで“掃き溜めの鶴”に限った話ですが、やっていることは「議論」と変わらず、誰かを論破したければ議論板なりで満足できるのに、残りのたんなる物好きに配慮して「掃き溜め同然のもの」を公認しておく旨味はありません。ですから利用者の諍いなら丸く収めるべきで、対して作為的な論争なら別の場所でやればいい。仮に後者を大目に見るとして、それに乗じて前者も通る道理はないので、ともかくもいまの「喧嘩板」は是認さるるべからず・・といったところでしょうか、あえて>>12を手直しするなら。
ですが、>>12が議論に際して不適切な、筋道のはっきりしない構成と、あいまいな言い回しを含んだものであることは認めます。論理的に不審な箇所も見受けられる。たとえば非営利云々のところは、あなたが指摘したとおりに意味不明(これこれによって営利目的でも旨味はないのに、ましてや趣味では・・というならともかく)だし、所詮は道楽ですから「~べき」と迫る筋合いもない。そろそろ抗弁の余地も尽きるので、このへんで“再反論”は終わり。質問があればどーぞ
>>14-15は、>>12に比べるとずいぶん冷静な議論になってる。最初からそうすればよかったのに。
①この掲示板はルール違反が無い限り利用者同士の仲裁はしない。手間暇的にも難しいだろうし、管理人の主義でもあるだろう。ちなみに、避難板は、ここでルール違反をして規制された人の待機所のようなものだから、ごたごたを持ち込む目的じゃない。ごたごたの持ち込みは、喧嘩板の「喧嘩もコミュニケーション」という考えともズレがあるものの、他の板でやられると他の利用者に迷惑という観点から、喧嘩板に誘導されるものと推察している。
では、喧嘩行為そのものを禁止すれば良い、というのは1つの考え方である。しかし、元々このキャスフィ避難所は、雑談板を除いて発言の自由度の高さにアイデンティティがある。管理者権限でもめごとを全面禁止するなら本家キャスフィその他、ほかに行くところはあるだろう。
②私は喧嘩を擁護する訳ではない。ただ、容認はしている。喧嘩板創設の時、私は反対派だった。しかし、現に創設され、また他の喧嘩板から流入する者もいて展開していくうちに、「無くてもいいが、あってもいい」という考えになった。
議論と性質は異なるが共通点も大いにあるので、屋上屋と言われるとそういう面もある。実際、自由板で、議論板と喧嘩板はどちらか片方でいいのでは、という意見が出たこともあった。しかし、屋上屋は無くてもいいものだが、あってはならないものでもない。
③掲示板は、短文利用に特化したTwitterのような制限がない。ブログ的というのは日記的ということもできる。ブログ的に使うなら、ブログのほうが良いに決まっているが、メールアドレスを持たずブログの登録ができない人も使えるという面ではブログ的に使えるというのは、決して強引ではない。4つめも、そういう使い方を提唱している掲示板もある。いかに割り引いても、TwitterとWikiで、掲示板の代用を全面的に果たすことはできない。
>(ほとんど)誰ひとり、掲示板なんか選びませんよ。
ここで議論をしているあなたは、自己否定する気ですか。
④気味の悪い、という個人的な嫌悪を示す表現に論理性は何もない。感情的で排他的な罵詈雑言の一種そのものじゃないか。評価ではではある、ただし感情的評価。喧嘩板を「常人は寄り付かない」と言い、つまりは住民を「常人ではない」ように強烈な挑発をしておきながら、「一部の物好き」とは随分表現が後退したものだ。彼らは物好きであるかもしれないが、大概は常人でもあると思う。つまり「常人ではない」と「物好き」とは全く違う。「少数派の趣味の持ち主」は「物好き」だが、常人がほとんどだ。ここは挑発を引っ込めたと解される。
⑤
>ツイッターはその名の通り「つぶやき」、ネット上の独り言だ。その延長に交流もあるが性質上、短文に限定される。
これが私の上の文章。独り言でもネットの他人に見えるところにつぶやく以上、他人からの何らかの反応がある得ることは最初から想定されている。「独り言」と言っても、他人に聞こえるように言っている独り言なのだ。独り言だから「反応を期待しない」とか、延長線上だから「おまけ」とか、妙にこちらの発言を誇張して反論するものだな。自分の「常人でない」発言は「物好き」に縮めたというのに。
⑥行きたくなければ行かなくていいです。
⑦喧嘩板の住民すべてが「攪乱」を無視できるほど高等というわけではない。初心者から上級者まで様々だ。攪乱も喧嘩の一手法だが、純粋議論においては役に立たないと思う。私が言いたいのは、明確な線引きが無いにしても「議論」と「喧嘩」とは性質や傾向が異なるということだ。
自己矛盾を誘導する罠を仕掛ける人はそんなに稀有ではないよ。そういう人が「喧嘩板ごとき」…ここにも、感情的な偏見が出ているが、それに一瞥もくれないわけじゃない。
私はつぶさに観察したことはないが、議論板でも十分活躍してくれているSiphonは喧嘩もハイクラスらしい。
そもそもキャスフィ避難所の管理人が元々喧嘩師であったことを知ってる?彼は、喧嘩も議論も両方強い。
喧嘩板の中につまらない押し問答があることは否定しないが、なかなかどうして、やる人はやる。私もここの喧嘩板以外を含め、少ないながらも喧嘩したことがある。痛い所を突かれて困惑したこともある。だから私は、喧嘩板の中で強い人を見くびってはいない。しかし、あなたは私を未だ全く困惑させていない。私が喧嘩板に行ってみたらと誘った理由はそこにある。量はともかく、論理的に相手を封じ込める「程度」や「質」に関して言えば、喧嘩板の一部の人のほうが、あなたよりも強い。実際、両方と論を交えてそう思う。
そんないわゆる強者が、議論板に来ようと、喧嘩板に行こうと、当人の趣味であって自由ではないか。「掃き溜めの鶴」とあなたの言う鶴さんが、どちらを選ぶかはあなたが決める問題ではない。
現在の喧嘩板が全く問題ないと言うつもりはないが、あってはならないほど酷いものではないと思う。
反対派さんの喧嘩師に対する突き放した評価はもっと広い意味での喧嘩界隈にいる人を指してのことだね
全員とは限らないけど、彼らが単なる物好きを超えて常人ではないというのには同意できる
荒らしサイトと掛け持ちしている人もいたし、自作自演、名無しによる印象操作、なりすまし、個人情報晒しが普通に横行していた
残念ながらこれが喧嘩界隈の現実で多くのサイトの管理者はひどい荒らし以外は「あえて」放置してきた
反対派さんは喧嘩界の深いところ、多分私の知らないところまで知っているのでしょう
だからこそ「喧嘩板ごとき」という評価になるのであって、何も知らない人がイメージで述べているわけではない
自分が喧嘩界隈に足しげく通う常連であったということは先に言っておかないと意味が変わってくると思うのです
矮星氏は現に勘違いしてしまっているし…
その上で反対派さんが問題にしているのは、論争をする場所ともめごとの誘導先とが混同してしまっているという点だね
前者は議論板ですればよく、後者は逆にもめごとを助長させてしまっているのではないかと、こういう話だね
まずは前者に関して
これが矮星氏も述べられているけど喧嘩と議論はやっぱり違うよ
明確な線引きは無いにしても、多くの人はその違いと感覚的に認識していると思うし、だからこそ議論板と喧嘩板で住み分けができているのんじゃないかな?
喧嘩板の中身が反対派さん目線では「掃き溜め」に見えてもその掃き溜めに価値を見出す人もいる
掲示板が衰退しつつあるならなおさらそのような少数の物好きに配慮したほうがいいんじゃないのかな?
その方が面白いと思う
これは私は変人だからそう言えるのかもしれないけど、人が言い争っている状況を見るのは面白い
質の高い喧嘩も質の低い喧嘩も見ていて面白い
そして私みたいな物好きが一定数存在するならそういう人たちのための場所を作るのはそこまでいけないことなのかと思う
ただキャスフィをコピーしただけでは面白くないじゃん?
別の場所でやれというのは少し論点がずれていくると思う
需要があるのを分かっていながらあえて利用者を減らすようなことをしろと?
営利的ではなかったとしてもより多くの人に利用してほしいと思うのは当然のこと
喧嘩板を消したところで議論板の利用者が増えるとは思えない
後者に関して
これは矮星氏が述べているけど、利用者同士の仲裁はかなり厳しい
もっとこじんまりしたサイトなら問題ないけどそこそこ人がいるこのサイトでは小さなもめ事は日常茶飯事
喧嘩板がそれを助長させているかと問われればかなり微妙なところ
ほとんどのもめ事は利用者同士で勝手に解決されており、仮に解決が長引いても他利用者に支障が出るわけではない
(しいていうなら喧嘩している人がいるスレの雰囲気が少し陰気臭くなる程度?)
運営側が喧嘩板に誘導しているところを見たことは少なくとも私はまったくない
逆に運営板に個人的なもめごとを持って行って突っぱねられた例のほうが多いんじゃないかな?
原則として運営は傍観者に徹して、あまりにも酷くなった場合のみ規制・削除等をするといった感じに見える
喧嘩板に掲示板運営に支障をきたす、あるいは他板の利用者に害を与える
このような状況になったら確かに喧嘩板は削除されるべきかもしれない
一度だけ一部の喧嘩板利用者が「暴走」して雑談板に攻撃を仕掛けるようなことがあったけど、あれは極めて特殊な例で運営側の厳正な対処により問題はすぐに解決された
それ以後はそのような事件は皆無に近く、むしろ喧嘩板利用者の関わらない雑談板利用者間のもめ事のほうが多く起こっている
喧嘩板が単にアンダーグラウンドな存在だから、一般的価値観とズレてるから、これだけで削除するのは少々勿体ないと私は思っています
>>10
何を「パンチ」とするのかの認識が違うのでは?
喧嘩板の利用者が雑談板に来て直接攻撃を加える
これは「パンチ」です
では喧嘩板で雑談板利用者の発言をネタにするのはどうか
所謂ウォッチング行為と呼ばれるもの
矮星氏はこのウォッチング行為もパンチに入れてしまっていいと考えているのでは?
そこの認識の違いではないかな?
ウォッチングの話は喧嘩板に限った話ではなく自由板にも言えること
むしろ喧嘩板よりも自由板のほうがウォッチングは活発(ヲチスレが公認されるぐらいなのだから…)
喧嘩板だけウォッチング禁止では筋が通らない
ウォッチング行為そのものによって雑談板の利用が阻害されるわけではない
そんなものは無視すればよいだけのことだから
インターネットで何かを書き込むということは不特定多数に公開されるということだから批判されるのは仕方ない
それは小学生だから云々のような言い訳は通じない、ネットの向こう側にいる人の年齢はこちら側には分からないからね
私はウォッチング行為を禁止するよりも受け手側のスルースキルをもっと向上させていく方がいいと思う
少し脱線するけどツイッターでの喧嘩と掲示板での喧嘩、チャットでの喧嘩と掲示板での喧嘩
これらはやはり性質が変わってくる
さらに同じ掲示板といえどもキャスフィ避難所での喧嘩としたらば界隈での喧嘩、2chでの喧嘩とキャスフィ避難所での喧嘩はやはり雰囲気、文化は変わってくる
この多様性がネットの面白さなのでは?
荒っぽいものは2ch、交流はツイッター、これはwikiであれはブログのように杓子定規に区切る必要性はあるのかな?
一つの目的に特化したツールに比べれば確かに掲示板は劣るかもしれない
しかしその中途半端さをどう捌くかは各運営によりけりで、だからこそ掲示板によってまったく色が違ってくる
掲示板は確かに衰退しつつあるけど、それでも利用者が少なからずいるのはネット利用者は合理性だけを求めているわけじゃないってことなんでしょう
>>17
③ 「その本来の特徴を大ざっぱに言えば、ツイッターとwikiのあいのこのようなもの」を覆すには至らない 三つめは車上生活者みたいなもんでしょ、やっぱり強引じゃね?
④の前半部分 (⑦も?)
いざこざがヒートアップしかねないから今のままじゃ駄目だ、という現実論が>>12の〆なのはともかくとして、議論の本筋では交わらないままだと思うよ
『論理的に相手を封じ込める「程度」』でこちらが「喧嘩板」の上澄みに劣るにしろ、下等なものは下等、上等なものは上等だという前提で、下等なものがあまりに酷いから喧嘩板ダメじゃね?って意見してるわけで
こっちは「下等な喧嘩」を目の敵にする一方、突き詰めれば矮星は「押し問答」にも寛容なんでしょ?どちらも根っこは感情論だよ
④の後半部分
>>・・に凝るのは、一部の物好きに限ったこと
>>・・ものに常人は寄り付かない(ともに>>12より引用)
よって文脈で判断できる
⑤ >>13の文中、(>>独り言よりも交流が中心的役割であり)が明らかに、ツイッターを念頭に置いた対比であることを大目に見るにしろ、誇張ではないと言い切れる
「常人」と「独り言」は辞書で調べてね
あとはサイフォンに宛てたとこ読んでね
>>18
書いてみたら恒例の過疎議論みたいな感じになったけど、一応キャスフィ喧嘩板についての話だよ
ざっくりまとめてしまえば、「論争ゲーム」だとか銘打ったところで実質的にはよくて後手後手の揚げ足取りだし、
そんなのtogetterでよくね?まして“攪乱”に右往左往するレベルの雑魚なんていないほうがいい・・ってことだから
(全盛期のあろくは、部落喧嘩大会では「数手先を読」んで巧みに立ち回っていたはず)
>>20
まあ色々あって面白いのはそうだと思う
その上でキャスフィの喧嘩ってしたらばの劣化じゃね?ぱっと見だけど
>>12が滅茶苦茶、もっと言えばああいう行数なり言い回しなりを微調整した文章が自己顕示欲の発露に過ぎないのは多分わかってると思うけど、
あのくだりは小説板やら何やらにも「特色、そして必然性がない」という指摘をまえもって回避しようと試みたもの
だからサイフォンのような「多様性」という視点はない(よそ様にはわからないだけ?)
自分も変人、というか前は異常者の筆頭格だったくらいだし(サイフォンはよく知ってるはず)、喧嘩全般を毛嫌いしてるわけじゃないよ
>>12みたいな気取った(気色悪い)文章を周期的に書いてるのも喧嘩界に未練があるからだしね
やっぱり新しいものよりも古き良きネット喧嘩(欲を言えば~初代喧嘩塾まで)が好き
(喧嘩じゃないけどhttp://www.ymori.com/contentsold/sgame/joya.html こういう雰囲気のものが好き)
>>18
Siphonさんと直接お話しするのは初めてですね。宜しくお願い致します。
まず、私は一般的な喧嘩板なるものの歴史には通じていない。喧嘩板にレスしたことがあると言っても経験は少なく、他の板あるいは過去の板も含めて全体的な議論まではできない。冷やし猫鍋にお邪魔したことはあるけれども。
ここで議論のテーマを立てた大明神は、喧嘩板というもの全体にも言及しているが、「キャスフィ避難所喧嘩板」を「閉鎖すべきである」と主張していたはず。共産党主義者さんも、キャスフィ避難所のサイポリ例外まで認めてわざわざ作ったことに疑問を呈しているし、テーマはここの喧嘩板を閉鎖すべきか、あるいはする必要がないか、ということだろう。
よその板には本当に見るに耐えないものもあることだろうから、そこまで全部肯定するつもりはない。
Siphonさんが変人であるかはともかく、私の見る限り常識を持ち合わせた方だと思っている。Siphonさんにしても、管理人にしても、喧嘩というマイナーな趣味の持ち主であっても一般人だと私は認識している。
>運営側が喧嘩板に誘導しているところを見たことは少なくとも私はまったくない
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kanri&no=2&res=135
こちらを参照。最近はないけどこの後何度か、サポーターがトラブルを喧嘩板に誘導したことを見たことがある。最近の実例は見当たらないがこの方針自体は撤回されていないはず。
>逆に運営板に個人的なもめごとを持って行って突っぱねられた例のほうが多いんじゃないかな?
正にその通りで、個人的なもめごとの中身は自己解決してくれというのが運営のスタンスだろう。
>矮星氏はこのウォッチング行為もパンチに入れてしまっていいと考えているのでは?
強烈な言動は含めている。批評や噂話についてとやかく言うつもりはないが(それをダメと言えばウォッチングができなくなる)、時々強い叩き行為があることは快く思っていない。ただし、そういうレスがあるからウォッチングスレをやめてしまえとは考えない。自由板や喧嘩板以外にも言えることだが、「望ましくない発言」を厳重に禁止、規制するのも運営方針の1つの方法だと思うが、キャスフィ避難所はそうではない方針で運営されている。これもまた1つの運営方法だろう。
>>21
>③ 「その本来の特徴を大ざっぱに言えば、ツイッターとwikiのあいのこのようなもの」を覆すには至らない 三つめは車上生活者みたいなもんでしょ、やっぱり強引じゃね?
そもそも掲示板の位置づけを「ツイッターとWikiのあいのこ」と定義することが強引なんだよ。呟きと百科事典の中間が掲示板なのか。水掛け論になりかねないが、掲示板には、ツイッターでもWikiでも代用できない範囲が非常に大きい。図に円を描いて集合を示せば分かりやすいと思うが、「ツイッター+Wiki」の範囲外の部分があまりにも大きい。
>『論理的に相手を封じ込める「程度」』…程度という言葉が好きだな。以前のレスで私は喧嘩をボクシングにたとえたが、相手を封じ込めるという意味では将棋にたとえたっていい。王将が身動きできないようにする、それを盤上でなく言葉でやる勝負だ。喧嘩は喧嘩であってボクシングでも将棋でもないから、1つのたとえで全てを表現することは出来ないが、身動きできないよう封じるという意味では将棋的だと考える。なので「封じ込める程度」という、軽んじる表現は当たらない(軽んじる意味がなくて「…程度」という言葉を使ってるのか?)
>こっちは「下等な喧嘩」を目の敵にする一方、突き詰めれば矮星は「押し問答」にも寛容なんでしょ?どちらも根っこは感情論だよ
全く別物だよ。物事を許容することに根拠は必要ない。他人の趣味を目の敵にして、廃止しろ主張するには根拠がいる。繰り返すが「必要ではないが、あってもいい」と私は認識している。あえて存在しなければならない根拠も、あえて存在を抹消しなければいけないほど重大な根拠も感じていないからだ。私は、それほどの根拠がないから寛容なのである。
ただ、あらゆる罵詈雑言に寛容なわけではないよ。例示するなら、「アスペ」や「池沼」と言った強い差別的表現までは是としない。何故ならこれらを罵倒表現として使った時、実際のアスペルガー障害や知的障害のある人をも同時に侮辱し、人格を否定することになるからだ。どこまでが許容されるべきで、どこからが許容限度を超えるかは、これまた線引きが難しいが、私の個人的な許容ラインはここの運営者よりも厳しいだろうと感じている。とにかく、喧嘩だから何でもありだというつもりはない。
誇張だ、誇張じゃないはそれこそ水掛け論になるから置いておいて、
>「常人」と「独り言」は辞書で調べてね
喧嘩板でも時々見かけるが「辞書を見ろ」的な反論は、相手が意味を完全に取り違えている場合はいいが、そうでない場合は意味がない。日常語には辞書外の意味もある。「他人に聞かせるための独り言」が現実に存在することは明白だろう。それは「厳密な意味で」独り言ではないが、独り言という形式をとっている。
安易に辞書を持ち出すのは賢明ではない。辞書に記載されていない意味が日本語に存在しないならば、辞書に記載されていない単語も存在しないことになる。現実はいくらでもあるだろう。辞書の改訂版を出す度に国文学者が頭を痛めている部分だ。
あと、言語は単語の集合体でないことを忘れないで戴きたい。あなたが「常人」をどのような意味で使っているかだ。『三国志』では曹操のことを「そもそも非常の人、超世の傑」と絶賛しているが、常でないと言ってもこれは褒め言葉。あなたの「常人は寄り付かない」は、明確に貶めている用法だ。自分の使っている文脈を無視して、辞書的な単語として切り取って批判をかわすことはできないよ。
元々このスレを立てた大明神は、喧嘩板の弊害を説いて廃止論を唱えたが、あなたは「掲示板は別のもので代用できる」「論争するなら議論板がある」と、喧嘩板存在の必要性を否定することに重点がある。存在の必要性がなくても、廃止しなければならない理由にはならない。
また、論理的に高度な喧嘩はその内容を全否定するわけではない一方で、そうでない喧嘩に異様に嫌悪を示している(>“攪乱”に右往左往するレベルの雑魚なんていないほうがいい・・ってことだから)。
ボクシングだろうと将棋だろうと、別の格闘技やスポーツ、ゲームだろうと、すべてにおいて、初心者と上級者がいる。上級者は認めるが雑魚は認めないというのはどういうことか?
>(全盛期のあろくは、部落喧嘩大会では「数手先を読」んで巧みに立ち回っていたはず)
これを見ても、あなたは、高度な喧嘩は否定していない。が、キャスフィ避難所喧嘩板は高度でない人が多いから廃止しろという主張になっている。
そもそもあなたは、何を認め、何を認めないのか。ハイレベルな喧嘩板は良いがここの喧嘩板はダメだということに、今は帰結しているようだが。
いかなる分野でも、「雑魚」を否定したら決して「達人」は生まれない。あなたが達人を容認して雑魚を否定し、かつ喧嘩板というそのものを他所も含めて必ずしも否定しないなら、その時点で自己矛盾に陥っている。
>その上でキャスフィの喧嘩ってしたらばの劣化じゃね?
ここで言うキャスフィとは本家ではなくここのことだと思われる(本家はそもそも喧嘩禁止なので)。世に劣化版を否定したら高度なものは存在できないよ。産業であれ文化であれ、サブカルチャー的なものであれ、誕生した時から一流だったものなんて、どれだけあるの。超一流の格闘家も棋士も、最初は雑魚だったんだよ。
>>25
>>「議論板」ですら大した威容でもないのに、そんな気味の悪いものに常人は寄り付かない。
>>ましてや罵詈雑言で埋め尽された面妖なシロモノに凝るのは、一部の物好きに限ったことです。
ほれ、どっちも>>12からの引用だよ 文脈でも分かるし辞書でも辻褄合うでしょ
>>量はともかく、論理的に相手を封じ込める「程度」や「質」に関して言えば、喧嘩板の一部の人のほうが、あなたよりも強い。実際、両方と論を交えてそう思う。
「質」のとこ抜かしたけど、ここから引用しただけだよ
① 「下のほうの利用者」が低質で掃き溜め化
② 「上のほう」については議論板でおk
③ じゃあ喧嘩板いらなくね?メリットが分からんっつーか皆無でしょ
④ 喧嘩板の特色とやらを認めるにしろ、いざこざの解決には不適当な形式(言い争い、それも「論破して黙らせる」ようなものが推奨される環境に放り込むのも・・)であることには間違いないから、ともかくも現状の喧嘩板はダメ
こういうことで、
1 「主観的感情論(?)」による掃き溜め扱い
その意義を認めるにしろ(百歩譲ってあるかないかの~>>12、仮に後者を大目に見るにしろ~>>15)、
2 形式の不備
を持ち出す二段構えで現状の喧嘩板がダメだって言ってんの、ほら弊害説いてるでしょ
そのうえでマシなものは「議論板」でいい、と補強的に必要性を否定してるわけ、
なんとなれば「掃き溜めを野晒しにすんな」も弊害の指摘でいいよね
対する矮星の認識は「あんまし酷くない」でしょ?ヨユーで平行線ですよ
・否定の根拠にするには不安な例示だよねって言ってるの、「カバーできない大きな範囲」を示せていない
「ツイッターとwikiのあいのこ」が意味不明なのは実際そうなんだけどね
本来の目的は交流だけ、まあ交流とひとくちに言ってもカバー範囲広すぎるんだがwikiはいらなかったね
・ >>その名の通り「つぶやき」、ネット上の独り言だ。その延長に交流もあるが短文限定(ツイッター)
>>独り言よりも交流が中心的役割であり(掲示板)
つまり独り言をつぶやくのが基本で?それがたまたま交流に繋がるかもしれないよねって言ってるんでしょ
その“独り言”が他人の耳に入る前提なら、ツイッターも交流が中心的役割ですよ ついでに言えば連レスもざら
水掛け論だしまあいいけど一応言っとく
後半部分について
あー、言いにくいんだがよく考えてみたら「あとはサイフォン宛て・・」のとこ不要だね
喧嘩師育成とかそんな視点に>>12や>>14-15は立っていなかったし話が違ってくる
この件についてはサイフォンと話すからいいよ、うっかりしてた ごめんね
後半について より前の議論はほとんど喧嘩的中身の言い争いだから長引かせるのも得策じゃないね
でもまあ一応言っとく
なんかだんだん無駄な会話になってきた気がするが。
>ほれ、どっちも>>12からの引用だよ 文脈でも分かるし辞書でも辻褄合うでしょ
>>12はあなたのレスですよ。私はそのレスの内容について反論してるんですけど。「独り言」については、あなたが私に意味を辞書で見ろと言ったから、辞書以外の意味も日本語にはあると回答した。文脈についても、そのあなたの書いてある文脈の中で「常人」の使い方が挑発的だと指摘した。
あなたの日本語の用法がおかしいとか、文脈が辻褄合わないとか、最初からそんなことを言ってないでしょ。「独り言」はあなたが私の用法を問題にした部分であって、私があなたの用法を問題にしたわけじゃないし、「常人」は、そのあなたの「辻褄が合っている」文脈での意味をこちらが問題にしてるの。
「ほれ」って、最初からお互いに分かってて争点になっていないことを示されても仕様がないですけど。
で、
>①「下のほうの利用者」が低質で掃き溜め化
まあそれはいいとして
>②「上のほう」については議論板でおk
おkかもしれない。おkでも「喧嘩板じゃダメ」にはならないでしょ。本人が好きなほう使えばいいんだよ。
>③じゃあ喧嘩板いらなくね?メリットが分からんっつーか皆無でしょ
だ・か・ら!私は喧嘩板がどうしても必要とは言ってないって繰り返してるでしょ。「いらない」と言えばいらないかもしれないんだよ。メリットが分からんといえば、メリットが無いのかもしれんのよ。
だったら廃止してもいいだろと言われると、別に廃止しちゃダメなことはないんだよ。でも、たとえ「必要がなく、メリットがない」と仮定しても、趣味の掲示板で廃止しなければならない理由にならないでしょ?商売なら、ムダを徹底的に削がなければならないけど、趣味なんだからムダな部分があったって、目くじら立てる必要ないでしょ。
>④喧嘩板の特色とやらを認めるにしろ、いざこざの解決には不適当な形式(言い争い、それも「論破して黙らせる」ようなものが推奨される環境に放り込むのも・・)であることには間違いないから、ともかくも現状の喧嘩板はダメ
ここの管理人は「いざこざは自己解決してね」という立場だからね。あっちこっちでいざこざが起きるとそこの住民が迷惑する。だから、やるなら喧嘩板って誘導をした。
自然発生的に喧嘩が起きて、管理人が仲裁せず自己解決を求める場合、普通は言い争いになって相手を論破しようと互いに試みるでしょう。それをどこでやってもらうかっていうとき、両方追放しない、仲裁しないという立場なら、じゃあ喧嘩板で言い争ってくれというのが他の板でやるよりも自然でしょう。私は運営じゃないから運営の考え方を代弁できる立場じゃないけど、多分そういうこと。
弊害説いてますよ。大明神は弊害を主張したし、共産党さんもそれが自然な感覚だと言った。一方私は、ルール整備をより発展させてその弊害を低減していく課題を提起しつつ容認した。弊害があることは、私も否定してないよ最初から。「だから廃止すべき」という大明神と、「だからもっと整備すべき」という私の立場の違いが、このスレの前半戦であったわけ。
私の主観に過ぎないが、弊害部分は一時期よりも減ってると思う。外部からの流入者が多かった影響かもしれないが、以前より弊害が減ってきていると思う。現状が「廃止を必要とすべきほど容認できないレベル」なのか、「当面廃止の必要性まではないレベル」なのかは、確かに個人によって基準が違う。そこを問題にすると平行線の議論になるって言えばそうだろうな。
>否定の根拠にするには不安な例示だよねって言ってるの、「カバーできない大きな範囲」を示せていない
逆質問になって申し訳ないが、あなたはツイッターとWikiがあれば掲示板機能の大部分は代用できると考えているわけ?
例示すれば、今やってるような議論もツイッターやWikiでは不向きだし、仲良し雑談板の内容も難しいよね。Yahoo!知恵袋などは知識の集積という意味ではWikiで替えやすい分野かもしれないが、知恵袋でもWikiのような整理は行われていず、対立する意見が混在している掲示板らしさを見せているね。
掲示板でなければ使いづらい場面は、このように多々ある。
ツイッターも掲示板も、結局のところ、両方とも独り言にも交流にも使われている。いろんな使い方をする人がいて、いろんな機能が拡充されてきて、重複する部分も多いというのは事実だから、独り言優先とか交流優先とかにこだわる必要はないかもしれないな。でも文字数のうえで掲示板の代わりを果たせないのは明白でしょ。
>喧嘩師育成とかそんな視点に>>12や>>14-15は立っていなかったし話が違ってくる
ここはSiphonさんとの話の部分だが、当方の言いたかったことが伝わっていないようだ。
私は喧嘩師を育成しろとは言っていない。あなたが、未熟者の喧嘩を軽んじて、達人の喧嘩を評価するから、達人もかつては未熟者だったことに言及した。あなたが、未熟者も達人も含めて喧嘩を全否定する立場なら、当然「育成」などする理由もないわけで、そのまま喧嘩というジャンルそのものが滅んでしまっても何の支障もないわけだ。そういう考え方を持つなら、一貫性がある。
しかしあなたは、達人の喧嘩を肯定し未熟な喧嘩を否定してきた。だから、未熟者を否定したら達人もいなくなるよ、と指摘したんだよ。
>>喧嘩板を「常人は寄り付かない」と言い、つまりは住民を「常人ではない」ように強烈な挑発をしておきながら、「一部の物好き」とは随分表現が後退したものだ。
>>自分の「常人でない」発言は「物好き」に縮めたというのに
>>ここは挑発を引っ込めたと解される。
いや、「常人は寄り付かない」=「寄ってくるのは狂人」くらいに捉えて、その狂人呼ばわりを「挑発」だと捉えていたんでしょ?
じゃなくて実際には「単なる物好き」を指してるんだよ・・・って指摘したわけ ほんとに最初から分かってたの?
>>おkかもしれない。おkでも「喧嘩板じゃダメ」にはならないでしょ。本人が好きなほう使えばいいんだよ。
「害あって利なし」の「利なし」が「必要性の否定」だと言えば分かるよね
害があるから今の喧嘩板を否定すべき、というのは趣味だろうと筋通ってるよね
「下等な喧嘩を目の敵にする」こと自体が主観的評価、
短一色の「掃き溜め」呼ばわりじゃなくて長所を認めるにせよ依「形式の不備」という害は消えない、誘導するならもっといい場所あるだろ(>>避難板がある)、言い争いよりも合意形成(>>言い分をすり合わせる)か運営の仲裁(これは難しいということだけど)だろ、いまの「折衷形」は消すべき…ってこと
あるいは「短一色」を「プラマイゼロ」に置き換えて解釈しても、あくまで「形式の不備」をデメリットとした現状否定と言える
これ、「掃き溜め」呼ばわりに積極性を持たせるかで>>15の時点じゃずいぶんと違ってくる話なんだが
やり取りの進捗次第でどちらの解釈に傾くかが変わるにしろ、どのみちズレた指摘なんよ
まあぶっちゃけ主張の骨格を捉えきれてなかったんでしょ?
理解した上で、「利なし」を説くだけでは「削除すべき」に繋がらない…なんて言うのはおかしい
つーか現形態の否定って点では一致してるんだろ?
で、論争ゲームの楽園なる理想形についても全否定していない(>>14の①参照)、その上で今のものはダメだから消せっつってんの
まあいいけどさ、正直うんざり
>>逆質問になって申し訳ないが、あなたはツイッターとWikiがあれば掲示板機能の大部分は代用できると考えているわけ?
考えてないよ、既に撤回したし
>>14の③で問題にしたのは下手な例示、根拠の薄弱さに過ぎない
この筋だと反論しなくていいけど一応、
・仲良し雑談板ってほぼ短レスじゃね?
・>>12では知恵袋を掲示板とはみなしていない(その是非はさておき)、まあ掲示板だとしても亜種だし非本来的だろ、みたいな?
・議論が難しいってのはまさしくその通り、Togetter併用、なるべく簡潔にしてもキツいような長ったらしい議論もある
だったら言論サイトか(それが特殊なら)ブログでいい、そんなのは「>>大ざっぱ」の範疇外だ…とか切り返したかもね
下二点については、まあ>>12への反論として不適だと食い下がる場合にはこう言ったろう、くらいの受け取り方でよろしく
あいのこ呼ばわりがダメなのは一致するところ
あと独り言ね
>>「独り言」と言っても、他人に聞こえるように言っている独り言なのだ。
独り言って「相手がいないのにひとりでものを言う」その言葉だよね?
文脈判断でこう導き出せると思ったの?
こんな滅茶苦茶な解釈を押し付けてきて
>>独り言だから「反応を期待しない」とか、
>>延長線上だから「おまけ」とか、
>>妙にこちらの発言を誇張して反論するものだな。
とか言うもんだから、これは誤解してるんだろうなーって思ったわけ
それで
>>日常語には辞書外の意味もある
なんて言われてもびっくりなんだが
説くだけでは→説いても
依→依然として
ね
あと喧嘩師育成について
雑魚否定したら強者生まれないよ、きみ強者が好きなんだよね
こんなことわかってるよ 育成するのが筋だって言ってんでしょ サイフォンきっかけの話は別口だと思ってね
ちなみになんで「筋だ」とか他のじゃなくて「べきだ」になるの
避難板と議論板は喧嘩板ができる前から存在している
喧嘩板が先に存在しており、それを避難板と議論板に分けるべしであれば喧嘩板利用者が二つの板に分断されるだけで問題ないが実際はそうではない
また喧嘩板ができてから議論板と避難板の住民が減ったというわけでもない
この二つの板とは異なる利用層で構成されいるのが今の喧嘩板なんやで?この事実をまず把握してないんちゃう?
反対派には掃き溜めに見えるかもしれんけど喧嘩板という看板に魅力を感じている物好き利用者が存在する以上、それを消すっちゅうのは全体の利用者を減らすことになるんやで?
重要なのはそれだけの代償を払ってまで消すべき理由があるのかってことやろ?
ここの比較が完全に抜け落ちてしまっているから独りよがりの議論になってしまってるねん
デメリットとメリットが存在してその双方を比較してどちらが優位かを検討せなあかんのに反対派は現状の問題点しか述べていない
さらに言うとそのデメリットでさえも怪しいで
今のところデメリットとして提示されたものは折衷形になってしまっているという点のみ
(掃き溜めやら雑魚が多いやらの議論は主観的なためデメリットとして成立しておらず、掲示板が他のもの代用できるという議論も現実に利用者がいて一定数の需要が存在していることを無視した机上の空論)
利用者間のトラブルは当事者間の解決に任せ、運営はよっぽどのことがなければ立ち入らないという前提をまず認識しておかなあかん
トラブルが起こった際にお互いの主張をすり合わせて円満な解決に務めるべしというのは反対派個人の思想に過ぎず、このサイトはその思想で運営されていない
この前提に則って考えれば喧嘩板への誘導は運営の介入を招いてる時点で「よっぽどのこと」や
実際に喧嘩板へ誘導された例は少なく、喧嘩板利用者は他板とは利用層が明らかに異なる(もしも誘導された者が大多数なら利用層はある程度同じになるが実際はそうではない)
他の利用者に迷惑を掛けることになるから当事者間で解決できないのならば喧嘩板でやってくれという構図になるわけや
この喧嘩板誘導のシステムの最大の目的は仲良し雑談板の治安維持であって、雑談板で続いていたはずの争いを喧嘩板に持ってきたというだけに過ぎない
これによって無駄な諍いが助長されるというのは現状から大きくずれている
折衷形であるがゆえに喧嘩板の存在がサイト全体の害になっているとは今のところは考えにくい
ただし大明神が指摘しているように喧嘩板利用者が暴発する可能性はあるし、喧嘩行為自体の地位が向上してそれがサイト全体に悪影響を及ぼす恐れもある
しかしあくまでも可能性の話で今のところは健全に運営されているし、この状態が続くのであれば別にええんちゃうって思うで
せっかく来てくれた利用者を減らしてまで目くじらを立てるような問題とは思わんわ
とは言っても俺自身は喧嘩板の存在意義には懐疑的やけどな(>>5でも指摘したサイトポリシーの特例を認めてまでという疑問も含めて)
反対派が言っていた代用できるという議論に通じるところはあるが、喧嘩板への需要をキャスフィで満たす必要はあるのかという疑問は確かにある
しかしそれを以て喧嘩板を消すべしとは言えん
誘導先を避難板にすればよいという議論は今度は避難板が折衷形になってしまう
喧嘩板が折衷になったところで何が問題なのかさっぱり分からないが、避難板が折衷になることには少しばかり問題がある
避難板は悪く言えば牢獄みたいな場所(一応は巻き込みの回避用という建前はあるものの現実には規制者の寄せ集め)でそのような場所が果たして誘導先として適しているかという議論が出てくるわけや
規制されているわけでもないのに規制者が集まる場所に誘導するのはおかしいやろ?
避難板に誘導するんやったら規制したほうが手っ取り早い
規制数を極力減らしつつ、雑談板の治安を維持するのが誘導システムであるはずなのに避難板に送還では本末転倒や
結局のところ折衷形になるのを避けるためには完全に新しいトラブル回避板を作らねばならないことになる
既に記したが誘導すべき案件は実際には少なく、その専用板を作るほどの意義を感じない
それならばサイトポリシーの特例が認められた場所である喧嘩板にその役目を担ってもらうのが最も現実的ちゃう?
後から気づいたけど具体的な箇所を指摘すべきやったな
後出しで申し訳ないけど抜粋してまとめとくわ
>めんどうな小競り合いなら、「避難板」に追いやってしまえばそれで済むということです(>>1)。
>トラブルの解決ならそれに徹底するべきで、余計な対立を助長するようではいけない。
>ですから利用者の諍いなら丸く収めるべきで、対して作為的な論争なら別の場所でやればいい。仮に後者を大目に見るとして、それに乗じて前者も通る道理はないので、ともかくもいまの「喧嘩板」は是認さるるべからず・・といったところでしょうか、あえて>>12を手直しするなら。
>いざこざの解決には不適当な形式(言い争い、それも「論破して黙らせる」ようなものが推奨される環境に放り込むのも・・)であることには間違いない
トラブルの解決を目的として誘導しているという認識で話してるから形式の不備というデメリットが見えてしまうんやな
目的はトラブル解決ではなく雑談板の秩序維持だと考えれば不備になりえないと分かるんちゃうか?
>>12が現実感覚に乏しい暴論だ、と指摘されれば兜を脱ぐしかないけど、誤読に基づいていたり指摘がズレていたり…と、いまいち頼りない批判への抗弁に一連のやりとりでは行数を割いてる と一応注釈
避難板がダメにしろ、例えば解決特化のしたらばレンタル板なら一分で作れるよね
論破目的で言い争わせておくよりは解決寄りで対処できるなら、改めてそれに越したことはない気もする(そうするべき、の語尾でも、主観の相違による平行線という逃げ道があったわけだが)
雑談板が平和ならいい、と一蹴されればまあどうしようもないんだけど
で、
主観的評価がメリット否定になるなら、少々無理にデメリット扱いしても最悪「個人的な許容ラインの違い」で逃げ切れるし~って感じ
ただ、これらは“最後の一線”を死守するための言い逃れに過ぎないから、
デメリットを誇大に言い立てる我田引水の暴論だ、と意見の実質を突かれればまじでどうしようもない
そんな感じなんで>>35ー37 には正直言い返せない
反論されたらするけどさ…。もうこれを最後にする。
「常人は寄り付かない」って相当の過激な表現なんだけどね。「狂人」とまでは言わないけど「物好き」とはレベルとは違う。「あなたは物好きだ」と言われるのと「あなたは常人じゃない」と言われるのと、言われる側の立場になれば、理屈こねなくても違いが分かるでしょ。でもあなたが、それは「物好き」の意図だった、と言うのなら言葉の意味をしつこく突くのはもうやめよう。
「害あって利なし」と言ってるけど、私個人にはそれほど大きな利はない、けど自由板を超えて雑談板に次ぐ需要があるというのは、利用者にとっては利があるってことだよね。
最初のほうで大明神が言ったように「需要さえあれば何でもいいのか」という反論もあり得るわけだが、需要の多さはそこの利用者にとっては「利」と言える。一方で他の利用者への弊害も懸念される。現状で十分とは言わないまでも、「利」と「害」を比較して、害がよっぽど大きければ廃止すべきだろう。しかし、利が大きいか、もしくは拮抗していれば「廃止しなければならない」という根拠にはならんでしょ。
また、上のほうのレスで大明神が問題提起し、共産党主義者さんや私が議論していた当時よりも、今の喧嘩板は落ち着く傾向にある。
Siphonさんが「喧嘩板に誘導された例を見たことがない」と言っていたが、私はある。あるけど、最近はないと>>25で言った。つまり喧嘩板は弊害が大きくなる方向には進んでいない。むしろ弊害が以前より減ってきているから、そういう結果になっている。
創設前には反対派だった私が今、容認論を説いているのは、あの時点で「わざわざ作る必要性を感じなかった」が、今あるものを「わざわざ廃止する必要性も感じない」からだ。
仮に廃止したとして、現在喧嘩板にいる人々はどこに行くのか?全員喧嘩をやめるのか?やめなくても全員よその掲示板を探すのか?…現在、喧嘩板という「場」を持っている人がその「場」を失ったとき、他の板で挑発行動を取るリスクはないのか?
喧嘩板が存在する弊害ばかりあなたは論じるが、現在存在しているという現実に立脚して、これから廃止する弊害は懸念されないと言い切れるだろうか。もちろんこのリスクは単なる「可能性」に過ぎない。しかしリスクを選んでまで廃止に踏み切るほどの弊害をあなたは今、感じているのかな。
>つーか現形態の否定って点では一致してるんだろ?
そうだね。でも私は今では当初ほど強い否定はしていないよ。しばらく観察してきて、当初危惧したほどの問題は起きていないから。もっとも、現形態を100%肯定するわけじゃないが、私が最初に「条件付き存続論」を出したほうに向かってはいると思ってる。
>仲良し雑談板ってほぼ短レスじゃね?
短レスが多いのと、短レスしかできないのは意味が違うよ。
それでも納得できないのなら小説板でも議論板でもいいよ。
あなたは「これについてはアレを使えばいい」って代用案を出してくるけど、そんなバラバラなものじゃなく「キャスフィ避難所」という集合体として運営することに意味を見出してるから、ここが作られたし、ここの利用者がいるんだよ。
>独り言って「相手がいないのにひとりでものを言う」その言葉だよね?
辞書的にはそうなるね。仮に周辺に誰かがいたとしても、その人たちに向けられていない言葉を独り言という。
でも例えば、親が近くにいるところでアッチ向いて「あー腹減ったなー」と言う子供がいたら、それは独り言という形式を取った「何か食わせて」という要求だろう。それは厳密な意味(辞書的な意味)での独り言ではない。でも親に向かって話しかけていないから独り言という形式をとっている。
職場で書類の山を処理しながら「ああ私今週中に無理かも…」というのも、独り言の形式を使ったSOSだろう。わざわざ日常いくらでもある実例を引かなければならぬこと自体虚しいよ。
ツイッターでも、フォロワーに向けて明確に問いかけているわけでもなく、しかし誰かに聞いてほしいという投稿が多いでしょ。
しかし>>28で、ツイッターと掲示板の利用目的に重複部分も多いとも言った。目的でぴしゃりと区別できないのは確かだからね。
掲示板で「独り言」というタイトルのスレ、あるいは「○○の独白」といったタイトルの本もある。厳密に辞書だけが日本語とすればそれは矛盾を起こすわけよ。読者に読ませる目的なら独白じゃないだろって。でも現実はそんな辞書的意味だけじゃないだろ。根本的な、正確な意味として私は辞書を否定する気なんてさらさらないが、辞書にない用法なんていくらでもあるわけだ。
>日常語には辞書外の意味もある
>なんて言われてもびっくりなんだが
…なんて言われるほうがよっぽどびっくりだわ。
言ったでしょ。辞書の改訂版を作るたびに国文学者は頭を痛めると。従来記載されていなかった意味(日常語として使われる意味)を新たに記載する(標準語として認める)べきか、いまだ容認せずに不記載とする(俗語扱いとする)か。そこに辞書の編者は悩むんだよ。
正直言って、お互いに反論の応酬をする間にかなり言葉の枝葉に入り込んでしまった感があって、生産性に乏しい議論になってきた。「辞書見ろ」→「辞書が全てじゃない」のやりとりが原因だったかな。
久々に登場してくれた共産党さんのほうが大局的に論じてる。
私はもうこの議論からは撤退するよ。
追記(ちょっと話が逸れる):
一発で「言い返せない」という言葉を導き出した共産党さんはさすがに凄いね
これは私が言うべき立場ではないが、キャスフィ避難所は元々多少の殺伐さ(?)は容認する趣向で作られていると思う。雑談板のほうが、そういったものを嫌う人が安心して集える「例外的存在」なんだと認識している(歴史的には雑談板が自由板よりも古いのかな)。
喧嘩板はそれとは逆方向の例外と考えられる。本来のキャスフィ避難所の容認ラインはかなり寛容であり、例外的に厳しくしたのが雑談板、例外的に緩くしたのが喧嘩板。
この両極の例外が二大人気板になっているのは皮肉かもしれないが、私はこれまでの運営板でのやりとりを見て、そのように解釈している。
最初からトラブルが想定された喧嘩板より、トラブルを排除したはずの雑談板のほうが(人数が多いからでもあるが)トラブル発生が多いような気がする。そうだとしたら、これも皮肉だな。
無駄話ごめん。
なんか違う気がする。
言い返せない指摘なのではなく、そもそも「◆f8ij5mqk3Y」が求めていた答えとは異質のものだから言い返せないのでは。
「◆f8ij5mqk3Y」が嘆いている、問いかけていることはもっとニッチ(極局所的)なもので、ここ(キャスフィ掲示板)の実態はそこまで重要ではないような。
平成喧嘩塾の話がでてくるあたりに、ここの住民にはおそらくわからないであろう、変なわだかまりを感じる。
単に喧嘩板の現状を嘆いてもっと広い意味でどうあるべきかという話に展開するならここの実態をそこまで重視する必要はないのかもしれないけど、喧嘩板はここにとって害だから削除すべきだという話になると事情は変わってくるよ
実際にトラブルを助長しているか否かに焦点を当てれば議論として落としどころが見つかるけど、そこから先の話、つまり喧嘩板の存在を容認するか否かになると平行線のままだろうと思う
◆f8ij5mqk3Yの言を借りれば掃き溜めを野ざらしにすることを容認できるかってことだね
そこを突き詰めても折り合いがつかないことは本人も分かってるっぽいけど
私は多様性という視点に立ってあってもいいという立場
仮に内容がしたらばの劣化版でツイッターで代用できたとしても、喧嘩できる場所がたくさんあることは悪いことじゃないと思う
場所の広がりはそのまま利用層の広がりに置き換えられるし、お互いに交流しあう楽しみもあるんじゃないのかな
細かいのがごちゃごちゃあっても過疎になるだけだから一つのまとめてしまえばいいっていうのも分かるし、その喧嘩界隈の広がりが上へ上へではなく下へ下へ伸びているという危惧も分かるんだけどね(反対派の本当に主題にしたいところはここ?)
最近では551なんかにも喧嘩師いるらしいしw
その下へ伸びる枝の一つがここの喧嘩板で上へ伸びる要素がないなら消してしまったほうがマシってことなんだろうけど、それも結局は下へ伸びてもいいという立場に立つか否かに終着しちゃって話は平行線のまま
>>43
俺にはむりやりつなげた感が拭えない。
>>12冒頭の語りと、喧嘩板はここにとって害だから削除すべきの部分は。
もしくは、全貌を語るいじょう、ここと絡ませざるをえなかった(じゃないと周りが理解できない)。
いや、削除すべきって思ってることは本心で、嘘偽りはないと思う。
ただ、本当に指摘してほしかった部分、話し合いたかったことはもっと別の部分じゃなかったんじゃないのかなーと。
俺は「◆f8ij5mqk3Y」の言ってることは理解できるし、どちらかと言えば共感してる。
これは、俺もおなじ世界を見てきたからだと思う。
俺も平成喧嘩塾や明星といった”本当の喧嘩掲示板”と、ここやどこぞの掲示板のように、ノーマルな掲示板の中にアブノーマルな喧嘩板が共存していた”異質な喧嘩掲示板”とを見てきた。
この2つの世界を見たうえで、後者は存在するべきものではないと思ってる。
ま、「◆f8ij5mqk3Y」が言わないことには、俺のへんな勘ぐり留まりの話ではあるが。
>>43
551は肉まんじゃんwww755のことです
アホだw
>>44
そのアブノーマルものを排除したほうがいいと考えるのか、存在してもよいと容認するのか、これは平行線のままじゃない?
私は共存するのはそれはそれで悪くないと考えるけど、それが嫌だっていう人はそれこそ本当の喧嘩掲示板、例えば隠しサイト的なところに行けばいいって話じゃないかな?
ネットという広い世界の中に「純粋な喧嘩サイト」と「喧嘩板と一般板が共存するサイト」、これらが共存すること自体は喧嘩文化の広がりという点プラス多様性という視点で見れば悪いことじゃないと思う
ただ、あれでしょ?
>>43でも書いたけど、喧嘩への入り口が広くなることで低質化・低年齢化が進む危惧があるよねって話じゃないのかな
多分、それが本題にしたかったことのような気がするw
間口を広げず古き良きネット喧嘩の文化を守り続けるのか、もっと間口を広げて新しい文化を作っていくのかってことの違いかなあ?
そもそも古き良きネット喧嘩なんて存在してんのかって感じはあるけどw
というか彼の場合、掲示板なんて他のもので代用できるという考えが根っこにあるから喧嘩文化を守るとかそういう視点ではないか
でも掃き溜めの鶴の価値は認めて、そういうものは議論サイトやtogetter、ブログでやればいいっていうのは少し強引な気がするけどなあ?
仮にそれを認めるにしてもtogetterだって一般人が使うノーマルなツールなんだから、そこに喧嘩に持ち込むのであれば、ノーマルの中のアブノーマルっていう点では結局同じな気がする
それとも掃き溜めはtogetter一つに絞って質が低いのはそこに押し込んでしまえって考えなのかな?
ネットの世界にそこまで合理性を求める必要あるのかって私は思うけどね
もう議論からは撤退したから踏み込まないけれどもテーマについて
>>1の大明神は「キャスフィ避難所喧嘩板」に関して「閉鎖すべきである」という問題提起をしているよね
その議論の中で「そもそも喧嘩板というもの」という包括的な話題も出てきているので、それも無関係な話ではないが、このスレッドのテーマは「キャスフィ避難所」の喧嘩板をどうするかだと思う
>ネットの世界にそこまで合理性を求める必要あるのかって私は思うけどね
Jeisonは合理性よりもカオスを好みそうだねw
>>40
利用者にとっての魅力?
・少数のマシなのは議論板でよろしく~
・大多数のダメなのについては「利」じゃない(or「害」ですサヨナラ~)、別のとこでやりなさい
みたいな扱いで、そもそも「利」にカウントしてません 代用で処理できる、ないしモノによっては斟酌に値しないという筋です
かりに「利」にカウントする(or「害」を否定する)場合でも、折衷形ではダメだという結論で現形態を否認してるわけ
だ!か!ら!「今の折衷形を消せ」っつってんの その後処理についてはこうするべきなんて一言も触れていない これも「誇張」なんでしょうね笑
「現状否認論」の次に来る「条件付き存続論」を全否定してはいない、喧嘩部分にかんする主観論を譲るにしろ・・・と配慮済み
主観論を譲らなければ平行線、というのも前に言ったとおり ただリスクどうたらの指摘は「主観論」で片付けるようなものでもない
利便性に寄与するという点で「小説板」やらは褒めていますよね>>12で
集合体のなかで形式に意味を見出してるんだが、こ の 議 論 に ど う 関 係 し て く る ん で す か?
具体例が下手くそだっつってんの 「>>大ざっぱに~」を覆す例じゃないよねって言ってんの
結論だけ正しくても根拠がなってないって指摘してんの 代用できるからこそキャスフィ解体・・に類する意見は皆無です
>>そんな気味の悪いものに常人は寄り付かない。
>>罵詈雑言で埋め尽された面妖なシロモノに凝るのは、一部の物好きに限ったことです。(注:ともに>>12より)
あんた前には「常人から物好きに縮めた」とか言ってましたよね
「あなたは常人じゃない、物好きだ」って言ってますよねって話なんだが
つーか
>>その名の通り「つぶやき」、ネット上の独り言だ。その延長に交流もあるが短文限定(←ツイッター)
>>独り言よりも交流が中心的役割であり(←掲示板)
これを
>>ツイッターにおける交流は、反応を期待しない「独り言」のおまけに過ぎない
と解釈したら「妙にこちらの発言を誇張(>>15)」呼ばわりされたのが問題なんですけど
あんたの「形式だけ独り言」なる言い分とこれ、どっちが誇張なんでしょうねって辞書を鼻先に突き付けたら
辞書より優先されるべき文脈判断とか見当違いの実例持ち出して「よっぽどびっくり」?ドン引きなんですが
集合体云々もそうだけど、あさっての方向に“ 正 論 ”を垂れるのいいかげんにやめてね お疲れさま
>>44-46
ここの喧嘩板についてはぶっちゃけどうでもいいんだけどね
まあ>>12を引き継がない話として、喧嘩文化には思い入れ、というか執着すらある
喧嘩の灯火を細々とでも次に託すための橋渡し、と肯定的に考えるか、
いたずらに質を落とすだけだと割り切るか うしろだったけど前でいいのかなあ、
浪人でじきに消えるし一年でどう熟成するのか気になるっちゃ気になるかも
難も内容はモバゲーにもいたよね ぶっちゃけどう?携帯喧嘩界に侵食されてる?
>>48
議論から撤退したから、一々反論はしない。
>結論だけ正しくても根拠がなってないって指摘してんの
私の結論部分を正しい言うならすでに議論は終了してるじゃん。その根拠づけの部分で、例示が下手くそとか、「独り言」の用法が違うとか、それはテーマじゃないんだから。
ドン引きするならしてくれよ。
私はあなたと議論していたのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
>>45
俺自身は「◆f8ij5mqk3Y」の求めているものって違うものなんじゃないのって言ってるだけ。
内容自体は正直どうでもいいし、興味もない。
ただ、1つ所見を述べさせてもらうと、
削除すべきなのか容認していいのか、なんて平行線なのは明白。
地平線の遥かかなたまでえんえんと続く平行線に
ピリオドを打ちたてる言い合いも議論では?
いや、むしろこれこそが議論なのでは。
「喧嘩文化の広がり」と「低質化・低年齢化」を戦わせて、
その先に見えてくる”モノ”を求めてる人もいるんじゃね
平行線をたどるけど、そこで理屈をこね合うのにエクスタシーを感じる!!
って人は俺は嫌いじゃない。
そもそも俺がこういうタイプだし。
>>49
侵食されているって意味があまりわからないけど、さっきちょっと見てきた。
モバゲーは昔から変わらずゴミしかいないよ。
>>51
答えの数字だけあってて、導出過程がなってない答案を酷評したようなもんですよ それが不要ないし余計にしろ、
「>>この筋だと反論しなくていいけど一応」ときっちり断ったうえで、>>31では指摘しました
>>48であらためて強調したのは、あなたが勘違いしたようなので真意を説いたまでです なんだかすみません
発言者の誤用のせいで真意を汲めなかったのに、「妙にこちらの発言を誇張するものだな」などと言い出して、
それに抗議したらまたまた意味不明な反論をもって「安易に辞書を持ち出すのは賢明ではない。」呼ばわりしたのは誰なんでしょうね
しかも辞書云々の長広舌のズレっぷりには気付かないまま「よっぽどびっくりだわ」… お前が思ってるよりはどうでもよくないと思うよ、これ
>>53
某メーとか白鳥が評価されてるらしいじゃん ちなみに今井アルミさんって強いの?
旧したらば喧嘩界にかかわりを持たせるならコギトの上位陣かな~ってふと思った
>>54
撤退したと言いながらいつまでもレスを続けるのは適当ではないが、すごく根本的なことだから、言わせてもらう…。
あなたは「喧嘩板を廃止すべきだ」と主張し、私は「廃止しなくてもいい」と主張し、ここまで議論を重ねてきた…。
そしてあなたは、>>48で私の結論の正しさを認め、>>54でも答え自体は合っている、と認めている。
ただし、その論拠、答えの導出過程がおかしいから酷評しているという話である。
私の論拠、導出過程に不備があったとしてもだ…
もしも、あなたの論拠と導出過程が正しければ、あなたは必然的に正しい結論に至ったはずだ。しかしあなたは私の結論のほうを正しいと認めている。なら当然、あなたは、論拠や導出過程を誤ったから、結論も誤ったということになる。
>答えの数字だけあってて、導出過程がなってない答案を酷評したようなもんですよ
そんなあなたが、私の「答案」を採点する先生のように、いつまでも食い下がって不備を酷評するのはやめたほうがいいですよ。
>>52
お互いの価値観・意見の相違点を認識した上で平行線を近づける作業が議論だと思うけど、議論しつくした後にそれでも平行線が続くならそこから先は価値観のぶつけ合いになって不毛になるんじゃないのかな?
例えば喧嘩なんてジャンル自体消してしまったほうがいいという価値観の持ち主もいるわけで、そういう人に喧嘩の魅力を述べたところで不毛な議論が続くだけだと思うんだよね
その不毛さをどう感じるかはまた人それぞれなのかもしれないけど
無理に火花を散らせて戦わせるより互いに認め合った上で理屈こね合あったほうがいいこともあると思うよ
んで、今回の場合は現状認識を基にした喧嘩板の実害という観点ではいったんピリオドが打たれたわけ
正確には>>35の共産党支持者とかがピリオドが打てるような議論を展開したというべきかな?
そこで更に視界を広げて「喧嘩文化の広がり」と「低質化・低年齢化」の話をするなら、閉鎖すべきか否かよりも喧嘩板(喧嘩文化)はどうあるべきかという議論に移行したほうがいいと思う
そのほうが「◆f8ij5mqk3Y」の求めているものに近づくんじゃないのかなーって感じ