皆さんは自傷という行為をご存知ですか?自分で自分自身の身体を傷つけるという行為です。 ここでは、皆さんに、【なぜこのような行為をする人間がいるのか】、【どうすればこの行為をする人を無くす事ができるのか】、【する人無くす事はできるのか】という事について議論してほしいです。
※私の意見も途中で発言させていただきます。
ちなみに、私は自傷行為を経験しています。
このような行為をする人は主に心に深い傷を負い、周りの人にsos を求めるためにしているのだと私は思います。言葉では言えないから、形で表し、周りの人に気づいてほしいのだと思います。
この行為を無くすことはほぼ不可能に等しいと思います。しかしその人達を助け、減らすことは可能であると思います。
世間一般常識的には自傷はよくみられておらず、気持ち悪がったりされてます。しかし、この常識をを少しでも変えることが出来れば、自傷する人は減ると思います。
これが私の意見です。よくわからないところがあればお応えします。
反論などもお応えします
私は、
自傷行為にはまってしまった方の周囲に自傷行為への理解がどれほどあるかが、その人がやめられるかやめられないかの大きな違いだと思います。つまり、あなたと同意見です。
また、これは自傷行為に限らずなのですが、
精神病院など、心のプロへの理解を社会全体で高めていくことも、重要だと私は思います。
あなたの場合はどうであったか、すこし聞いてみてもよろしいでしょうか?
何をされても、何を言われてもただひたすら笑ってました。お陰で今では、造り笑顔と本当の笑顔の見分けがつきません。それどころか、本当に笑う事があまりできなくなりました。その苦しみをぶつけれる人がいなく、怒ったことがないからキレ方がわからないからひたすら自分を切りました。その傷痕は今でも残ってます。自分を切ることで、自分の罪を償うことができる。私にはそう思えました。 文にはよく表せませんが、これが私の傷つける理由?です。
>>5
僕のような無関係な人間が言うのもどうかと思われますが、非常に辛い思いをしたのですね。
「苦しみをぶつけられる人がいなく」というところを読んだ時、胸の詰まるような思いがしました。
たとえ直接的な助けをしなかったとしても、相談や愚痴を聞いてくれる人間がいるのといないのとでは大きな違いだよなと、あらためて感じました。
はっきり書かれていないのでわからないのですが、それは今もですか?
議論の本筋から外れた質問ですみません。
あなたのいう通り、本音を言える人がいるのといないとでは大分かわります。今もそうです。学校は変わったので虐めはありませんが。
たしかに周りにはほとんど味方がいないと感じることもあるかもしれませんが、あなたに理解を示してくれる方は絶対にいます。
理解してる人は確かにいました。しかし、リアルではいないんです。なので、こういうネットの中でしかいないので唯一ネットが私の本音を話せる場所です。他の自傷している方達も同じだとおもいます。あなたのような理解者がもっと増えてくれれば減るのですが…
書こうと思っていたのですが遅れました。理解者と呼んでくださり、ありがとうございます。
ここから書くことは妙に聞こえるかもしれませんが、私の考えなので、読んでください。
理解者がいるにこしたことはないのですが、あなたの書いた状況のように理解者に恵まれない場合もあります。そういう人たちの支えとなり、自傷行為など、あまり良くない方向へと向かう道を防ぐもの、それは、
なにかを「信じる心」だと、僕は思います。
もちろんこれは、神様関係だけではありません。夢、思想信条、自分の信念なども含まれます。
「信じる心」があれば、その価値観に従って自分をコントロールすることが出来ます。今までは単なるストレス、自分を囲む高い壁だったものが、自分の信念に対する試練という、乗り越えるべきハードルになるのです。
僕がはじめ、「信じる心」という言葉を使うのをためらったのは、いわゆる怪しげな宗教の勧誘に聞こえてしまうからです。
僕はもちろん、そのような宗教の回し者ではありません。ただ、なにかを信じることは素晴らしいと言いたいだけなのです。
むしろ、確固たる自分の信念を持つことによって、怪しげなものには引っかかりにくくなると、私は思います。(ちょっと偏見入っているかもしれませんが……)
とにかく、僕は、価値観や尊敬すべき人物、なりたい仕事といったものの中から自分にあったものを見つけ、それを信じぬくことが大切だと思います。
「この考え方は正しい」
「この人のように生きたい」
「この仕事に自分は就くのだ」
このような考えを持っていれば、たとえ周りが闇に包まれても、きっと自分のたどるべき道を見つけられるはずだと僕は思います。
【信じる心】ですか…。信じるか信じないかでほとんどの未来が左右されると私は思います。しかし、このような行為をする人達のほとんどに共通事があります。それは、他人を信じる事を恐れてしまうということです。『本当は人を信じたいが、「信じることでまた自分が傷つくのでは…』と考えてしまうのです。私にとって、信じる事は死ぬのと同じくらい難しい事です。信じる事で良いことはもちろんあると思います。しかし、信じる事で自分が傷つく事だってあります。自傷行為をする人のなかには他人に裏切られたり、家族に裏切られた人も少なくはないと思います。それがトラウマとなり、信じる事に恐怖感を抱いてしまうのです。 これは、私個人的な話しですが、私は愛情が怖いです。過去に、毎日が幸せだった日々から地獄の毎日に突き落とされ事トラウマや、同じような周りの人間が愛情を貰った事がきっかけで地獄を味わった人をたくさん知ってる事がトラウマとなり、愛情=怖いという感覚になりました。同じように、信じた事で自分や回りが傷ついた事がトラウマとなり信じる=怖いという感覚が芽生えたりするものです。そういう感覚になってしまった方達を癒してあげ、トラウマを取り除く事が、自傷する方を減らす事につながると私は思います。
そうですね。すこし思慮がたらなかったようです。
>そういう感覚になってしまった方達を癒してあげ、トラウマを取り除く事が、自傷する方を減らす事につながると私は思います。
まったく同意見です。
しかし、「信じる心」というのは、なにも誰かを信じるということに限った話ではありません。
「目標」と言い換えてもいいでしょう、そのようなものを持つことも、信じることに含まれると僕は思います。
そのようなものを持つことから始めれば、最終的には人を信じ、愛情を素直に喜ぶことができるようになると思います。
人を信じることが出来なければ、そもそも相談相手がいたとしても相談ができませんし、癒すまでの過程もかなり難しいものとなりますからね。
僕とあなたでは考え方も環境も違うので(僕はあなたになにが起こったのか知らないので)、すこしカチンとくる書き方になっていたらすみません。
しかし、僕はこう思います。
カチンとくるような事は全くありません。あなたのいう通り確かにそうかもしれません。信じるとは人に関した事だけではなく、自分の中にある目標のようなものを信じる事から初めていけばいいのかもしれませんね。
信じるものですか…自分自身の事などはよくわからないです。しかし、多重人格の方や本当に苦しんでる人などを見捨てる事はできないです。前にお話した通り、変わった環境で生きてきたせいか、私は本当に苦しんでる人などを見分ける事が出来るようになりました。見た目では楽しそうに笑ってる人でも内心は傷ついて泣いてる人などを見つける事が出来ます。(ドラマなどのように確実てはありませんが)また文字などから感情等を読み取ったり、感情移入してしまう事もあります。このような能力?のようなものを一部で【エンパス】や【エンパシー】などと言います。これを使って周囲の苦しんでる人や我慢をし過ぎてる人を癒せる自信はなぜかはわかりませんが、あります。
>>16
僕が言うことでもないとは思いますが、素晴らしいと思います。
信念と自信さえあれば、なんだってできますからね。