論争なんてめちゃくちゃ暇なときにしかやらないからもう当分来ないと思うから、はいの方の理論も出しとく。これも昼間に書いたやつ
なんかこれに付け加えるべき大切な事あったんだけどなあ なんかチートぽいやつあったけど、忘れた
この問題はどこでの奇とは言っていない。
世界は少なくとも奇と偶が前提の上で成り立っており、(自分が思う)奇が存在していてもそれは奇ではないのです。
日々の暮らしの中で急に火山や戦争が起これば、奇 つまりはめったにない ことが生じていると感じる。
めったにおこらないものが発生するのを奇と思わないひとはいないだろう。そして、その奇は自分のなかでは絶対である。なぜなら、奇=めったにおこらないという常識があるため。
でも、自分の世界で絶対と思っていたものが自分より高次元のものからは絶対ではないと見なされる。(高次元の場所に奇と偶の前提がない可能性があるため)このとき、絶対は無くなっている。自分の中の絶対は絶対のまま。でも、外からすれば絶対ではない。
つまり、客観的にみれば、それは絶対ではないことを示している。
そのとき、絶対は揺るがされた。
分かりやすくいうと、自分が絶対に奇だと思っていたものは全てこの世界の前提であるためにそれは奇ではないわけです。
絶対は絶対にない
絶対は絶対にある
これは一部的
一部的にはそうかもしれないが、全体的を見渡せば、絶対があるところがあるということがわかる。
【客観的】
《ダナ》主観または主体を離れて、独立の存在であるさま。だれが見てももっともだと思われるような立場で物事を考えるさま。 「―な事実」
き
〖奇〗 キ くし
1.
《名・造》普通とちがっている。めずらしい。すぐれている。ふしぎ。 「奇を好む」
2.
思いがけない。 「奇襲・奇禍」