庶民。
遺伝子疾患に対応するぐらいならいいが、いわゆるデザイナーズはどうか?
遺伝子格差は確実に起こるな。
劣等種が淘汰されてこその新時代だと思う。
例えば法の意味を理解出来ない人間は劣等種と同類と言っても過言ではなく、またその劣等種のために刑務所を作っても真性の劣等種は更正しない。
なので死刑という形で、社会のレベルに追い付けない人間が淘汰される現象は起きていると言える
つまりその例にならい、劣等種を淘汰して優秀な人間を生み出すことはとても良いことだと思う
その優秀さが維持される事を前提とするならば、新時代は「ユートピア」と呼べるだろう。スウィフトの描いたそれは滑稽だったが。
優性思想は今始まった事じゃないし、それを非人道的と糾弾する連中は常にいるが、ならば自分達の食い扶持を得る為に大量に殺し破壊し採り尽くす行為を善し、とするのか?と問いたくなる。
「理想」の敵は倫理を盾に時代に逆行する懐古主義者達ばかりだ。
現に倫理を叫ぶ連中に限って、国や国際社会全体の足を引っ張っているのだから。…
目的が大事であるのならば手段はさして考慮の必要はないのではないかと思ってる。実際医療の発展に、批判それてばかりの「医療ミス」がどれだけ貢献しているかは未知数だ
つまり、犠牲だとか何とか「倫理的におかしい」と思われるものであっても、それらの手段が将来の発展に繋がるのならそれは悪ではないと思う
ここで言われている劣等種とは人種、民族で括られるものではないという事で宜しいかな。
新時代の人間に求める物はすべてにおいての発展も勿論だが、欲深い利己主義者達の根絶だ。
彼らは造られた貧困の立役者であり、それにより多くの「劣等種」が生み出されている。
過渡期が混乱を極めるのはいつの時代も同じ、生き残りを賭けた争いは避けて通れないが根は残らず断つべきだろう。
人種や民族は優劣にはさほど関係ないと、そう思っているから、その解釈で何ら間違いない
要するに「発展の妨げとなる者」
人間という種の根本が変わらない限り常に「劣等種」は「置かれる」
全てを平らに均すのは容易ではないな。
>>13「遺伝子操作がそれを可能にする」と、聞き覚えがあるようなないようなCMが流れる日が遠くなければいいが、
>>15まさに例として挙げた
>法の意味を理解出来ない人間
これが劣等種。逆にこの例では、法を理解出来る人間(いわゆる一般人)は劣等種ではない
>>16
法の意味を理解”できない”人間であって、”していない”人間ではないということでよろしいですか?
>>18法律の「条文」の意味
曖昧な記載が多いが、一応その解釈の仕方について国会が定めていたりする場合もあり、
その解釈に従って理解をするという行為が出来ないことは「社会秩序の維持を目的とした法を遵守出来ない」可能性にも繋がる
それを「理解していない」人間については、少なくともここでは考慮しない
まず医療の分野で遺伝病の治療のために遺伝子操作することに異論はない。
ただ>>15でナチュラルが言うとおりに、人の優劣はどうやって決めるのか、加えて誰が判断するのかという難問がある。
法律の話が出てきているが、法律の条文を読めない、理解できないという意味であれば、知能の低い人間はその道徳性によらず一律劣等種になってしまう。また、法律を守ることのできない人間を劣等種とするなら、更正可能性を潰すことになる。劣等種というのはレッテルとして機能するから、いったんドロップアウトした人間の社会復帰を阻害することになる。
ここでのテーマはヒトへの遺伝子操作の是非だが、もしも犯罪者が遺伝的(先天的)に「決められている」と考えていたらそれは19世紀の発想だ。また、特定の遺伝子の持ち主に犯罪者の「出現率が高い」ということはあり得るが、それを消すことは人類の進化の可能性も消すことと表裏一体だ。たとえば、特定の対象に異常なこだわりを持ったりする性格特性は、悪く転べば犯罪につながることがあると同時に、良く転べば人類の発展に寄与する発明や芸術につながることもある。
私は身体的な病気の治療を目的とした遺伝子操作は否定しないが、それが遵法精神に関わる部分、つまり脳に関わる遺伝子であるなら反対だ。
現代科学で脳は何も分かっていない。つまり脳に係る遺伝子を操作することによって、目的以外のどんな副作用が発生するか分からない。たとえば知能を上げることができたとして、代わりに何が犠牲になるか予測できない。脳をいじるなら、それらが解明されてから、つまり、はるか未来になって初めて検討されるテーマということになる。したがって私は、現代で実行することには反対でも、将来に向けた研究までタブー視しない。
また、社会に要請される人間像は時代によってコロコロ変わる。70年あまり前の戦時中にもしもそんな技術が存在したら、現代の価値観とは全く異なる人間が量産されただろう。その人たちは、価値観が転換した現代社会では生きづらいだろう。その時代その時代の価値観で作られた人間は、時代の変化とともに、「人為的に作られた不幸な人間」になる可能性がある。もっと短期的に見ればその時その時の単純な流行にも左右される。いわゆるキラキラネームをつけるような感覚で、親のマイブームで遺伝子を操作された子供は将来どんな人生を送るのか。
もうひとつ遺伝子操作の危険性について触れておく。
遺伝子を操作するなら、それはその時の社会において「望ましい」とされる方向に操作されることになる(誰も望ましくない人間をわざわざ作ろうとしない)。すると、作られた人間は、どれも似たような人間になってしまう。一言で言うと「遺伝的多様性」が損なわれてしまう。遺伝的多様性は種の存続のために必要不可欠なものだ。たとえば、ある特定の部族はエボラ出血熱への耐性があるらしい。いかに超科学をもって遺伝子を操作しても、人間の世代交代の回転速度は数十年であるのに対し、ウィルスは次々と変異を重ねて人間の遺伝的弱点を突いてくる。兵器なみかそれ以上の強毒性、強感染性のウィルスが発生したとき、遺伝子操作も、医療の研究も追いつかない危険がある。このとき、たとえ人類の99%が死滅しても1%の生存可能性を残してくれるのが遺伝的多様性だ。
これは人類ではなく地球生命体の歴史に関することだが、特定の環境に過剰適応した種族は大繁栄のあと大絶滅するパターンがある。特定の環境に適応しすぎると、環境変化に追いついていけなくなる。その結果、未発達な種族が生存し、次の世代の主人公へと進化していく。ヒトの遺伝子を操作することは、まさに環境への過剰適応を従来の絶滅種にさえ考えられなかったスピードで推進していくことになる。
先天的な臓器の奇形などを治療する目的で限られた遺伝子を操作するなら良いが、「より望ましい優秀な人類を作る」ために操作することは人類にとって自殺行為になりかねない。