死刑制度 賛成か否か

31C◆grFikwy8q6
2018-12-31 00:12:21
ID:T0tjqiTA

俺は「日本の」死刑制度に賛成だよ
しかもただの賛成ではなくて圧倒的賛成
死刑判決を下すための基準を高くするor低くするなどの選択肢はあるけれど、廃止という選択肢は俺の中にない

俺がそう考える理由はいくつもある、山ほどある、書き切れない程ある・・・のだけれど
今回はその中から幾つかをピックアップしていくよ
紹介しきれなかった理由についても、機会があれば後々また書くつもりだよ


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理由その① :確率的な理由

まずは感情的な部分は切り離して、数字で考えてみる

裁判を通して有罪判決をうけた人のうち冤罪が占める割合はどの程度なのか、というのは皆も気になるだろうけれど
日本は、起訴されたら90%有罪になると言われている国なんだ
日本の警察が優秀なのか雑なのかはさておき、このパーセンテージは物凄く高い
例えばアメリカだと、よくて5割程度なんだよ

そして、2018年現在、日本の人口はおおよそ1億2千万人
「俺」や「あなた」を割合で示すなら、もちろん1/120000000となるわけさ

つまりどういうことかというと・・・
「ある日、ある人物が殺される」という出来事が起こるとして
その殺される人物が俺である確率は言うまでもなく1/1億2千万になる
これはパーセンテージに直すと0.000000008333...%になるんだ

それとは別に、この事件の容疑者として「俺」が起訴される確率も1/1億2千万なのだけれど
起訴されたら90%の確率で有罪になるのだから
俺が冤罪を食らう確率は「0.0000000083×0.9」で0.0000000075%ということになるんだ

俺が殺される確率は0.0000000083%
冤罪にされる確率は0.0000000075%

見て分かるように、冤罪の確率よりも殺される確率のほうが高いんだよ
もちろんこの計算は超大雑把なものだし、俺が都心部に住んでいるのか郊外に住んでいるのかなど状況次第で数字は大きく変わってくるけれど
不確定な要素も全部ひっくるめて「全員が同じ確率で同じ出来事に遭遇する」というベースで考えるならば
とある1人が冤罪で死刑になるリスクよりも、とある1人が殺人されるリスクのほうが高いんだ
だから数字に言わせると「冤罪リスクを回避するために死刑を廃止する」というのは本末転倒だと俺は考える

屁理屈っぽいって?自分でもそう思う(笑)


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理由その② :そもそも法律って何?


語弊を恐れずに言うならば、法律は「こうなったほうが国にとって良い/悪い」という目安にもとづき、人の手によって作られたものだ

本来この世界には国どころか善や悪さえないのだけれど、人は人の手で国という枠を作ったうえで「国にとって」良いか悪いかという物差しも作ったんだよ
そしてその物差しを使って「殺人が起こった?よし、ではこの物差しで測ってみよう・・・なになに悪と出たぞ!」と物事を測っているわけさ

人の手で作られたものである以上、完璧な状態なんて実現し得ない
「国にとって」ならまだしも、「全ての個人にとって」完璧な法律なんて尚更のこと存在しないんだ

そのことは道路交通法という身近な例をひとつとってみても明らかだ
「法定速度60km/h以下で走行しなければならない」というのは「70km/hでもしっかり運転できる人」に配慮していないし
また逆に「60㎞/hで運転するのは少し危険な人」のことも配慮していない
運転技術のキャパシティが時速70kmであれ50kmであれ、そういう個人差を無視して「全員に 平等に 一定量の」規則を課すのが法律なんだ

ならば死刑はどうだ
そう、死刑についても同じであるべきだ
冤罪は確かに残念な出来事ではあるけれど
そういう「個人基準の良し悪し」が「国にとっての良し悪し」に先立つことは、あってはならないんだ

もちろん可能な限り冤罪を回避するための努力というのは必要だ
例えば「国に認められた職務に就く者が現行犯で逮捕した場合」といったような条件の厳格化は必要だろう
そうやって冤罪が起こる可能性を極限まで減らす必要はあるけれど
「死刑制度を廃止する」のは、今現代の日本において「国にとっての善悪の物差し」で測るならば、良い判断ではないだろう

「法に保護されたい」のであれば法律を支持すべきで、その法律とは人の手で作られる不完全なもの
つまり法に保護されたいのであれば「不完全なものを支持する覚悟」が求められるのは当然のことなんだよ
死刑制度に関して言うならば
時と場合によっては自分が冤罪判決を受けるかもしれないという覚悟がそれにあたると俺は考えるよ

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