>>637
私は同義なことを言い換えて、同義であることを指摘しているのみ。なぜ同義になるかの説明はしてある。りが都合の悪いことは意味不明にしているだけ。
>ならおれがお前に対してこれから全ての喧嘩において負け判定してやるよ。
判定人の責任は、負け判定した相手を納得させることではなく、公平な視点に立つことだ。公平性が疑われる判定人は喧嘩に限らずどんな分野でも判定結果を信頼されない。上の発言は「全ての喧嘩で南雲を負け判定する」という予告であり、公平性の放棄宣言であるから、今後あなたが判定するようなことがあれば、私がその発言を引用するだけで、あなたは判定人として誰からも信頼されないことになる。
それ以下の部分についてだが。
私がこれだけ、りは自分最強という結論ありきだという主張を繰り返しても、その点に対して一切の否定がない。その部分に言及しているにもかかわらず、否定していない。
ということは、りにとって自分最強という結論が先にあるということだ。
あなたはつまり、言い争ったうえで勝ち、勝利を重ねるから最強であるという積み重ねを経ずに、自分が最強であるという結論から出発して、その前提のために自己と相手とのやりとりを読み取っていることになる。これでは、認知的枠組みが歪み、異常な解釈が起きるのは当然のことだ。
たとえば、論理的・科学的に検証していった結果として最後に「原発は安全である」という結論に至ったのではなく、「原発は安全である」という結論が先にありきで、それにもとづいてデータの解釈を行うと、結論に一致させるために恣意的にデータを解釈することになり、不正確になる。そして「原発は安全である」という結論は「妄想」であった。
あなたもまた、「自分が最強である」「自分以外は弱者である」ことが結論として先にあるから、他人とのやりとりの解釈が全てその結論に一致させる方向で恣意的に歪められる。あなたは発言を繰り返せば繰り返すほど、あなた自身の手で、私の主張を補強していくだけになっている。
「妄想」は結論ありきで、結論に合わせて全ての認知を歪めるから、誰の説得も用をなさない。私のみならず、これだけの人々との喧嘩、あるいは喧嘩相手以外の人の言葉があるにもかかわらず、あなたの結論が微動もしていないのは、まさに「妄想」の最も特徴的な部分が現れている。
>事実負けてないだろ。ここの連中は全員逃げた。
「負けない」という結論が先にあるから、それに合わせて、ここの連中全員の行動が「逃げた」という解釈に至る。ここの連中は逃げたのではなく見限ったのだ、と何度言われても受け付けず、逃げたという解釈を動かそうとしない。まさに私の主張を補強する好例である。
最後に、
>愚痴る前におれに負けを認めさせたら?
冒頭に戻るが、あなたは「負けを認めさせることができたら負けを認める」という、何の意味も持たないことしか言っていない…と私が説明した。今度はあなた自身がより直接的に言ってくれた。
もちろん、自ら負けを認めたら負けになるが、負けを認めない限り負けないということはないのだよ。事実、あなたは一度も負けを認めていないが、ここで何人もの相手に負けている。