弱虫水上の実況タイムですよ

126南雲◆NAGUMO/BxE
2017-11-12 19:14:06
ID:gVUjuo/o

天使は美文家を自称しているから、文章表現にはこだわりがあっていい。

意味が同じまたは類似するという理由で単語を置きかえられることで、微妙なニュアンスが変化することを受け入れられない、という視点に立つこともできるんじゃないだろうか。

たとえば、「小学生時代」と「幼少」。幼少のほうが文字数が少ないが、やや曖昧な単語であり、小学生時代というほうが時代区分がはっきりする。また、「幼少」は年齢に焦点を当てた単語だが、「小学生時代」は身分に焦点が当たっている。その違いによって、読書の舞台として家庭に重点が置かれるか、学校生活に重点が置かれるかも変化する。

「現在持ち合わせている知識」と「得られた知識」は指し示す知識の内容は同じと考えてもいいだろうが、前者が「現在」の視点に立つのに対し、後者は「過去(知識を得た幼少期以降)」の視点に立っている。現在視点は「現在の知識」という結果を強く意識した表現だが、過去視点は結果よりも過程が強く意識される。両者は同じ知識を指し示していても、そこに意識されているものは同一ではない。

美文家は単に合理性を求めれば良い訳ではなく、ニュアンスを含めて伝えたい場合もある。伝えたいニュアンスによって、単語が選ばれる。したがって合理性ばかりの観点からの校正はできない。こうした単語の選択に至るまでのこだわりが、美文家たるゆえんだ。

…私ならこういう視点に立つかなと思う。もちろん、そう言えばそれに対する反論もあるんだろうけど、私なら、文を校正されたからには文へのこだわりを強調したくなるだろうな。

私は天使を擁護するわけでもりと争うわけでもないが、天使が美文家にこだわるならそういう視点もあり得たんじゃないかって思った。

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