喧嘩する奴にとってもそうじゃない奴から見ても日常から得る情報、喧嘩で得る情報の使い方次第そこでは平行線(どちらが喧嘩で勝ちやすいかにおいて無関係)
↓
だがしかしそこで無関係、としているのに
喧嘩、というものの観察する側、ジャッジをする人それぞれの価値感も人それぞれ
という点に結びつくわけで
結果、そこになんらかの傾向があれば無駄じゃないじゃん、って話になるじゃん?
傾向、を「知恵」という、誰かの主観を抜きにしたものとして登場させてるけど
喧嘩で勝敗を考えるのは人、
これは議論においても同じ、しかたのないことなんだわ
結局、強さを測る基準は絶対に「人」なんだよ
漠然と存在する「知恵」ではない
となると必ず人の価値感に照準をあわせることになってくる
これをどうやってケースバイケースとしてダブスタをごまかすのか
俺には興味があるねぇ