そもそもケースバイケースってのは
すべてに通じるものだと思うんすよねぇ僕
あからさまに理屈がおかしい奴に対しても
ケースバイケース、と言える
どんな話であろうと「ケースバイケースで妥協できる」という要素は含んでるんだよ
だがしかし今回に限り
「思いついてはいるがケースバイケースだからいちいち言わないだけである」とする論拠が足りてねぇwwwwwwwwwww
ケースバイケースだという共通認識?
それが共通認識だとなぜ思ったの?
たしかにケースバイケースってのは「誰しもが」もってる観点だよ
しかし
それでも議論も喧嘩も起きるんだよねぇ実際
それは間違いなく事実
しかし今回の争点においてケースバイケースという思考が大きくなり
ほとんどの奴が「ある意見を」思いつくが、そのケースバイケースにより押し込まれる形をとる
というのなら
根拠を教えてほしい
もし思いつくことがほとんどであるとしても
その中で「ケースバイケース」という発想がそれほど大きく表れず発信する奴が出てくるだろう
ほかにもいろいろと思いついたことを発信するケースは考えられるけどね
逆に俺のいう推論「凡人は思いつかないだろう」は
ケースバイケースということですら「思いつかなさを強くさせる効果」に向かいえるものなんだよね
ケースバイケースという理由であろうとなんであろうと
「そこをなんかわけのわからん思いでごまかしてしまうこと」「発信をしないこと」そのののが凡人の多くのありさまだと言ってるんです
いい加減理解してください
ほとんどの凡人は「俺のルートに通じる発信をまずしないもの」だということ
そして、そこに至らないことこそを「凡人の多数の状態である」と考えているんです