1%でも違う可能性を認めてしまうと反論が崩れるんだっけ?俺は1%程度は俺の意見がまったくの間違いである可能性、を認めた上で語ってるんだよ論理の世界で100%なんて保証せず言い切り、論理を語ることは当然想像できるはずだが?それは裁判の例でとっくに説明したはずだが?ちなみに、反論であろうと主張であろうと本来大差はないはずその本は100%を保証してくれてるのかい?