喧嘩のずるい勝ち方の例:最低限の論理的表現力あるやつこい

185cope
2018-09-12 21:36:25
ID:6OFDx4KA

まず論点は、共通認識が成り立たない言葉は本当に使えないのか?、という疑問や
事実による実証を経た証明がない物事(科学や事実)は確信しえないのか?、という疑問の意味で
「人は何を”共通認識ができる客観的な物”としているのか?」を争点としよう。

まずは言葉。言葉は人間が後天的に身につけるものだ。その通り。
さらにそして、”言葉は辞書によって意味が定義されている”と、思いがちだけど、実は違う。
卵が先か鶏が先かみたいに考えると分かるけど、これは明らかに、言葉が先に作られ、辞書は後から言葉をまとめたものだ。
昔には辞書がなかった。しかし言葉はあり、会話はできていた。
この事実が何を意味するかというと、言葉の根源は「表すこと」である、という事。
つまりは「言葉=表すこと」であり「言葉≠意味の定義」ではないんだ。
「意味の定義」とは「言葉が表したい物事を説明したもの」に過ぎない。
だから「意味の定義」というのは不変的なものでもなければ絶対的なものでもない。
その証拠に、「昔と意味が変わった言葉」もあるし、「新しい言葉」もある。さらには辞書に乗らないスラングという言葉もある。

では、言葉に「意味の定義」は必要ないのか?というと、そうではない。
言葉には共通認識となる定義がなければ会話がとても困難になるのは事実だ。
「言葉=表すこと」という原始的なルールにのっとた原始的な言葉は「あれ」とか「これ」といった指示語だ。
これらは実態を持たず「指定する物を指し示す」という、原始的な言葉の意味合いしか持たない。
そして「指示語」と同じ働きをする音声やジェスチャーを理解する動物は、人間以外にもいる。
例えば、犬に「ボールとって来なさい」と命令しボールをもってくる事は、犬が「ボール」という物を理解していて、
さらに「とってくる」という行動を理解して、「ボールをとってくる」という行動をしている訳ではない。
犬が理解しているのは「あれをこうする」というレベルの認識だ。
なぜ、こう言い切れるのか?というのには「時間」と言葉の関係を知る必要がある。

指示語とそうでない言葉の決定的な違いは「時間」にある。
つまり、指示語とは「今そこにあるもの」でなければ「表すこと」ができない。
しかし一方の「ボール」は、今そこになくても「ボール」という言葉によって、物体をイメージさせる事ができる。
「ボール」という言葉は、今ここにない「ボール」を頭の中に産む事ができるが、
犬にボールを見せてボールを指示する事は「これ」という意味合いに留まるので、そこにない「ボール」を理解させる事はできない。
これらがどういう意味をもつかというと、
言葉には「今ここに無いものを表すことができるもの」と「今ここにあるものしか表せないもの」という、2つの考え方ができるって事だ。
言葉に意味の定義と辞書が必要なのは「今ここに無いものを表す」言葉が「実際何を表しているのか?」を説明する必要があるから。
「ボール」という言葉を聞いて”リンゴ”を思い浮かべてたんじゃ困る。
だから「ボールは物である」や 「リンゴは食べ物である」といった”概念”による区別をして、
言葉が表したい物はなんなのか?を説明していくんだ。

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