(続き)
総括すると、
天使は「合理性は感性の正しさの根拠にならない」であり、タイラクは「根拠になる」という立場ですれ違っている。で、ならないのかなるのかという点では、お互いに論証できておらず、それぞれの前提で主張を繰り返すから堂々巡りになっている。
天使はそもそも、感性の正しさを評価する根拠として合理性(理性)を排除できる根拠を示すことができていない。
タイラクのほうは、一見理詰めに見えるものの、
>どちらの感性の方がメリットを齎すのかという論題においては客観的事実は有効
→今回はそのような論題ではない
>メリットを齎すものが「正しい」という思想を持っていた場合
→その思想を天使は持っていない
>共通認識さえ出来ればメリットデメリットの多寡を正当性の尺度にすることは出来ますよね。
→この論争にそんな共通認識は存在しない
>そのような基準を持つ人からしてみれば
→天使はそのような基準を持っていない
一見論理的にあるように見えても、自分の主張が正しくなるような条件設定下で自分が正しいことしか主張できていないので、天使と同様に客観的な根拠を示していない。
タイラクのポイントとしてはデカルトの部分。デカルトは感性を合理的でないから否定しているといった部分だが、「デカルトが言った」という以上の話じゃない。ただ著名な哲学者の言だからそれなりに重みはある。天使はデカルトを敵に回したくなかったのか、この部分への言及を避けているからタイラクのポイントとなり得る部分。
天使のポイントは、タイラクの「基準は人それぞれ」を共通認識にした部分。評価の基準が異なれば結論も異なるわけで、異なる多数の結論が生まれることを「不毛」の根拠にした。
全体的に、お互いに自分の設定した前提条件下の主張しかできてなく、議論が噛み合っていない。ただ判断基準の多様性というタイラクの出したものを天使が自分の論拠に活用したことで、タイラクは攻めの幅を狭めてしまった。
よって天使の優勢勝ち。