永遠が果てしなく続くと定義されちゃってることから、「果てしなく続くことを保証できる論拠」が必要になると思うんだけど、変化って目に見える論拠であって、先のことを保証した論拠じゃないじゃん。可能性としては時が止まる可能性なんてのもあるかもしれないけど、それはキミの主張の前提を色々と踏まえた上で起こり得ないものとして考えるのであれば、俺は時の概念そのものが無くなれば永遠じゃなくなんじゃねーのかなって思うワケ。
キミの述べる変化とは、太陽云々の例えからするに飽く迄「人間の目から観測できた程での話」であるから、もし人間がいなくなれば永遠を主張する上でのトリガーとなる変化とやらが観測できなくなるよな。
そうなると宇宙が消滅するとかすれば、永遠ではなくなんじゃねーのかなって話。
永遠が変化なら、それを観測できない状況=時の流れが永遠であることが否定される。
じゃあキミがすることってのは人類にとっての未来の安全性を主張したり、そういったベクトルの話になってくる。
《時の流れとは》
それは人が変化を基準に定めた定義であるなら、目に見えて然るべきものである。
見えない状態でも時が進んでると言い切れるのか。