大日本帝国は数多の亜の植民地を解放しました。英雄です。そして、あの戦争に負けたからこそ日本の裏の顔 暴走は止まったのです。ですが「あの戦争は間違っていた」という意見をよく耳にします。あの戦争が無ければ日本は今でも大日本帝国の名で存在しているでしょう。植民地はもっと惨劇に襲われていたことでしょう。
日本がパリ講和会議の国際連盟委員会にて提案した「人種差別の撤廃」に英米が反対したのは、その中に植民地が含まれていたからでした。英米にとって植民地に住む人間は人間では無かったので、彼らは酷く惨殺されました。
特にイギリスらはインドにおいて住民達の職を奪いました。セポイの反乱においては大量の国民を見せしめのように残酷に処刑しました。
さて日本は、「民族平等」の精神を持っており、それによって植民地解放軍として戦いました。アジア人を人とも思わない列強に果敢に立ち向かいました。
インド国民軍のチャンドラ・ボースは、大東亜会議にて以下のような演説をしました。
日本が1904年日露戦争に勝利して以来、アジア独立の指導的立場に立たねばならないのは歴史的観点からしても必然である。日露戦争の日本の勝利に歓喜したのは、数億のインド人だけでなく、全アジア人である。インドにとって西洋への抵抗は大英帝国に対する抵抗にほかならない。インドは、インドの奴隷化を意味する対英妥協は断固としてこれをしない決意を持つ。私達は日本という無敵の友と各国代表の支援を得、解放の日が近いことを確信し、戦場に赴こうとするのである
戦後、インドネシアのプン・トモ宣伝相はこう言った。
Europe人にたいして何度となく独立戦争を試みたが、すべからく失敗に終わった。その米英らをわれわれの前で徹底的に叩いてくれたのが日本軍であった。まず大東亜戦争は私達の戦争であり私達がやらねばならなかった。しかしながらそれらを日本のみに担当させ、僅かしか助力出来ず誠にすまなかった
このように、現実では大東亜戦争は正しかったのである。アジアの植民地を救ったのである。現在の日本国民の大東亜戦争に対する評価の判断材料たる村山談話はこれらを全く無視しており、実際に日本はただの悪辣な殺戮戦争ではなく、正しい戦争をしたのである。
この場で議論する方々はまず戦前日本について正当なる見識を持って下さい。まず、戦前日本は軍国主義だという誤解があるようですが、これは朝日新聞等の極左によって拡散されたデマゴギーです。事実とは異なります。戦時下において「戦争」が重視されるのは当然のことです。
特に日露戦争後、日本は民主主義へと進んでいこうとしていました。妨害したのは共産主義者です。よって、戦前の日本が悪いと思うのであればそれらは共産主義者の責任であるということになります。共産主義者は更に自分達に賛同しない者に対する虐殺を行いました。人民を圧迫していたのは共産主義者だったのです。
森首相が戦前について理解を示す趣旨の発言をした際には「戦前回帰だ」と根拠のない批判が多発しました。しかしこれは真っ赤な嘘です。 真っ赤な嘘 の「真っ赤」とは共産主義者 赤軍等のことを指すのではないかと思うほど見事な嘘です。森首相は生命を重んじる宗教的な精神を重んじていただけであり、偏向報道によりそれら重要な点が隠匿されただけに過ぎません。
抑、戦前はそんなに悪い時代だったのでしょうか?そこから、歴史を誤認している方にとっては理解し難いことのようです。
まず、よくこのような政治思想に関する議論の場で取り沙汰される「治安維持法」。これらについてですが、全くもって有益な法であったと言えます。これらの法は、共産主義者が共産主義者でない者を虐殺するのを防止するのに役立った法であります。
次に、軍国主義。これらは先に書きました。日本が軍国主義であったことはありません。戦争に突入する中で必然にそうなっただけであり、例の戦争さえ無ければ、そして共産主義者が暴走していなければ日本は独自に民主主義を獲得出来ていました。ここを勘違いし、さも日本が悪辣な軍国主義であったかのようにデマゴギーを振り撒くのはいただけません。しかしながら国際政治学的観点から現象を見、分析することが能わなければ尚更このようなことが、往々にしてあるのです。戦前の日本の義をこうまでして貶め、その全てを悪辣であったと頭ごなしに批判するのは建設的とは言えません。詰まるところ、大日本帝国が先の戦争において悪であり軍国主義であったという極左による偏向報道、偏向教育が日本にある限りは無くならぬ誤解であり、これは最早我々リアリストが全てのリベラリストを説得しても覆せないものでしょう。
ですが我々は沈黙していたわけではありません。安保法案に関するデモ。各種マスコミは反対派のデモのみを取り上げ、まるで賛成派が何もしていないかのような印象操作をしていました。
しかし、これは実際の数字を出さずに「国民の多数派が安保法案に反対している」という感想を一時的に抱かせているだけに他なりません。彼等が少し考えれば、それが過剰に日本が武力を行使することを嫌う極左による偏向報道であることは多かれ少なかれ否定出来ぬ部分があるのです。
抑安保法案が強行採決であったかのような意見もありますが、そこから間違えています。3党(次世代、公明、自民の3党)が決定したことを反対派が「自分達の思い通りにならなかった」と批判しているに過ぎません。それに憲法9条は武装した魔物の群の中、全裸で過ごせと言っているのと同義なので、そのような異常な憲法に従う必要はありません。それに安保法案は集団的自衛権にも関わってくる問題ですが、集団的自衛権は国連加盟国に認められており、国連憲章に定められた正当な権利であるので、日本も行使出来るのです。
また、条約法条約27条は、国際的な法等を国内法を理由に履行しないことを認めていません。
「抑国連に加盟する?orしない?」は各国の自由なのですから、国連に加盟するのであればそこでのルールに従う意思があるとみなされるべきです。従って、少なくとも「集団的自衛権は憲法違反であるから認めない」という理屈に関してはいつでも覆せるのです。
戦前の日本は韓国や朝鮮に媚びへつらうことはありませんでした。それは日本人としての誇りがあったからです。それが今や日本人は、不当な謝罪要求を受け入れる国に成り下がりました。
精神的な面で見ても、現代の日本人よりかつての日本人の方が確たる誇りや矜持を持っていたことは自明であります。それもその筈、戦後日本はアメリカの洗脳教育により歪曲した事実を教えられました。そのため、もう何があっても戦争はしないという不可能な決心をあんもくの内にしてしまったのです。
全て軍部が悪い 民衆は悪くない日本は侵略戦争をした 等々
無論、日本が戦争になったのは軍部の責任ではありません。ですが、どのみち日本は既に義務を全うしており、これ以上の要求を呑む必要はないので、最早そのために誰かを選任する必要もありません。
問題は、戦争の元凶であるアメリカです。アメリカは日本に対してハルノートというものを送り付け、挑発しました。
東京裁判では「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば、非力なモナコ公国やルクセンブルク公国ですら必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがった筈だ」とも述べられています。
それほどにハルノートは酷いものであったのです。弱小国が立ち上がるほどに酷い内容のものであったのです。
当然です。ペリーによる開国の強制に始まり、日本は列強アメリカに圧倒されつつも対等にならんと努め続けてきました。それを、突然「元に戻せ」と命令するのですから、普通は怒らない筈がありません。
この「元に戻せ」という要求を呑むことは、当時支那やイギリス等から経済封鎖を喰らい精も根も尽き果てていた日本にとって死を意味していたことは言うまでもありません。
ここで、抵抗されなければ殺されるというのに抵抗しないのは自殺志願者くらいのものでしょう。ですから日本は戦争を始めたのではありません。責任ではやらされたのです。アメリカに。元凶は日本を戦争に導いたアメリカなのです。
無論、そうなれば大東亜戦争は[s30]自衛権戦争[/s]になるので責められる道理はありません。抑アメリカがこのようにして戦争を始める理由は「絶対に勝てるから」であり、事実それは当時の日本人も理解していました。
ですが、どのみち戦争をしなくてもアメリカは侵略をしたでしょう。相手が日本だから。裁かれないから。絶対に勝てるから。
政治家や軍人達とて、そう弁えていました。
「日本はアメリカに勝つことはできないだろう。ただ、我々の子孫が、我々が戦うことで植民地支配をただ受け入れただけでなく、戦って誇りを守ろうとしたことを覚えていてくれれば、いつか日本は立ち上がれるだろう」
つまり彼らは日本が植民地になること等想定済みだったわけです。それでも日本は守るべきもののために戦ったのです。日本が日本で在り続けるために必要なものを守ったのです。ただ、現代の日本人はそれらを無価値だと断定して切り捨て、ひたすら平和を唱えています。大問題です。最早解決のしようがない大問題です。
日本が真に負けたのは1945年8月15日ではありません、今です。今のこの国民性そのものが日本の敗北を象徴しているのです。
最早戦前の高潔さ、守るべきものを守る意思、故国への愛が皆無となった今、如何に口だけで「平和」を唱えても、それは最早「諦め」による平和であり、「名誉」ある平和ではありません。
>日本が軍国主義であったことはありません。戦争に突入する中で必然にそうなっただけであり、
軍国主義だったのか、軍国主義じゃないのかどっちですか
あの戦争が正しかったとした場合、当時の朝日新聞を含めたマスコミが「戦争を煽った」という指摘は間違いということになる。
正義の戦争なんだから国民を鼓舞する事は何ら問題ないからだ。