幽霊が怖い。怖いからいなければいい。と言う人は多いと思うが、自分は幽霊、魂がこの世に「ある」方がいいと思う。死後が「無」ではないのだから。
死後の世界──つまり「あの世」が無であるとは限らないし、むしろ此方の世界より良いものなのかも知れない。この世を「魂を束縛する世界」と定義するならばあの世は「魂を解放する楽園」かも知れない。
もっとも私は絶対に死にたくないが、本当はそうなのかも知れない
趣旨とは逸れてるかもだし、思いつきも散りばめて書き込みします・・。
愛する人を残して死んでしまった人や現世で大きな不幸の中で死んでいった人が残したであろう”負”の気持ち、また、残された人が持つ悲しみなどの”負”の気持ちをあの世が”あるかのように”考えることで「あの世で幸せになってる」「あの世から見ていてくれる」と考えることが出来て”負”を解放できる。墓参りなんかも死者が其処に或いはあの世にいる”かのように”思い振る舞う、これも”負”や”悲しみ”を中和する儀式だし、死んだ人を敬う礼儀。
祖先が存在して自分たちは子孫だと意識するのは死者が「無」になるのではなくて「現世」に居ないだけで「あの世」には存在してると心のどこかで考えている面が無意識にあるからかもしれない。「あの世」って概念は多分必然に人間が持つもので、誰しもが「あの世」の存在を心のどこかで信じてると思う、無意識に。
只、「あの世」を意識することで実際にはもう居ない人の考えをいつまでも大事に引き継いでいるという側面もある、これはいい場合もあるし、良くない場合もあると思う。
死者の考えは死んだ時代にマッチした考えであって、時代が変わればその考えを捨てきゃイケないという事もあり得る、厄介なのは死者の考えを尊重してる人達の行為が無意識であったり、死者の考えを捨てるというのは解消できない”負”を抱えることになるということ。
もし、死者は「無」になるだけと考える事が出来れば死者達が残した考えに縛られる事はないだろうね、時代に合わないものを伝統的に信じるのはどうなのだろうかって感じよ。
残された考えの良い面だけを抽出して全てを”今”の時代に躊躇無く合わせる事が出来れば世界はかなり変わるんじゃないかとも思う、その為には「あの世」と「死者」とは何かって事に向き合って今までの概念を変えたほうが良い、もしくは一切あの世があるという思考を停めて、人が死ねば死者は「無」になり自分とは全く関係は無くなったと考えるか・・。
でも先に言ったように「あの世」は”負”の解消の為に必然にうまれる概念だと思うから・・難しい。もしかして「墓参り」自体「あの世」の存在を有るとしているからうまれてる無駄な儀式かもしれない・・。
「あの世」って概念は、人を助けてもいるけど、無駄を創ったり発展の足枷になってる面もあるかな。(死者に対しての敬意も時には発展の足枷になるだろう)
つきつめれば「命」に対しての考えに行き着くんだと思うけど、正直別にどうでもいいので僕は考えるのをやめます。
幽霊が存在するのはいいことだが最も怖いのは幽霊をクローン化して化学で作られた存在に値してはいけないお化けこれが厄介だそのお化けが見えない異次元で人間の脳を手玉にとり暴れていた時代があった詳しくはオカルト版で話した通りになることも是非知ってほしい
>>1
そもそもとして、「いい」の定義は何?
何を基準とし、何にとっての「いい」なの?
その上、幽霊や魂の類がこの世に「ある」方が「いい」とする論理は何処からくるの?