No:1066

19にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 21:01:04
ID:OAdG7wXM

>「何がギリギリなのか」を説明することと、「ギリギリのラインの私の基準」を説明することの違いはなんなのか。
>同上。「曖昧にせず、断言する」は、あくまで「何がギリギリなのか」に対する説明であって、「ギリギリのらいの私の基準」の説明ではないとしているが、両者の違いはなんですか?

私が出したのはギリギリとは 「疑問形で曖昧にせず、断言する」という事。これはあくまでギリギリの基準 私個人のものではないのです。
そのだしたギリギリの基準 を満たしているのかどうかを判断するのは個人個人であるので 私がなにをギリギリのラインを踏んでいるとし、踏んでいないとするのかは私が決める。 この事を「ギリギリのラインの私の基準」と呼びます。
もっともっと、詳しく言うと 雑魚が という発言があったとして それをギリギリといったらそれは私の中でのギリギリのラインの基準に含まれているからです。
要するに 私は 自分が何という発言を ギリギリのラインである。 と言っていないので 私は 『自分のギリギリのラインの基準』 は提示しておりません。

>「ギリギリのラインの基準 あくまで自分の中での」と、「ギリギリのラインの私の基準」の違い。あるいは“提示したところで無駄なので提示しない私の基準”とそれらの違いはなんなのか。

えっと。しっかりその前に付随していた文にも目を通しましたか?
「絶好の攻めにも繋がることもあれば穴にもなる」というギリギリのラインに「該当」しているのかしていないのかを判断するのを 「ギリギリの、ラインの基準 あくまで自分の中での」と表しているのですよ
提示しなくても良いと表しているのは 「私が何をギリギリと表すのか」ということですよ

>それは「ギリギリのラインの私の基準」と何が違うのか
ギリギリのライン自体の基準と 私の中での基準 という違いがありますよ、

>「私のギリギリのラインの基準」言い換えれば
>攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、
>その説明あるいは例えが
>説明したことにはなっていると言えるでしょうね
ギリギリのラインは「攻められる可能性〜」というものであり、そのラインが用意された状態で、なにをギリギリのラインと呼ぶのか それを自分の基準と呼ぶのです。
〇〇〇 という文はあくまで ギリギリのラインの説明で出したものであり、不明瞭であります。 なのでそれを測ることは私はしていません。
なので私は 私のラインの基準の説明などはしていませんよ。

>それが「ギリギリのラインの私の基準」の説明では無いですか。「という事なのですよ」とか言われてもワケがわかりません。
それは「私の」ではないのです

>つまりそれは「ギリギリのラインの私の基準」
>提示していることに他ならないのではないですか。

違いますよ。その言葉を言うと、攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いるってのを掘り下げたんですよ。 あくまでギリギリのラインの基準に含まれるこの文を

>“その二つの物事”が、なにを指しているのか分かりません。
「攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、責められる可能性のある言葉を多く用いる」ってのと、「疑問形で曖昧にせず、断言し、自分の考えを述べる」という文です。

ふぅ、疲れましたね。
1度目の誤送すいませんでした。 boyさんは、状況変化に非常に弱い方だと思います。

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