No:1066

1ディストピア先輩◆2BdzYMsM02
2017-01-27 08:48:58
ID:IkIL1akQ

1/28(土)~


[編集]
2boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-28 00:18:11
ID:XP214SyU

SA~WA~GE~~!!!

3にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-28 00:37:09
ID:SuPqqCmo

よろしくねーん

4boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-28 00:46:10
ID:XP214SyU

>>3
DEDEDE,DETA~!!!

5boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-28 01:08:30
ID:XP214SyU

(´・ω・`)

6にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-28 12:42:05
ID:SuPqqCmo

にゃんにゃんおー

7boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-28 13:03:40
ID:XP214SyU

>>6
にゃんにゃん子ってどういう喧嘩が好き?
どういう喧嘩がしたい?

8にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-28 13:05:18
ID:SuPqqCmo

ギリギリのラインを攻める喧嘩ですかねーーーん

9boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-28 14:41:15
ID:XP214SyU

>>8
ギリギリのラインって?
セーフな領域とアウトな領域を喧嘩の中でのどんなことに置き換えてるのか教えて。

10にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-28 19:39:08
ID:SuPqqCmo

>>9
ギリギリのラインとは、その言葉を言うと、攻められる可能性もあれば、逆に穴をつかれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いる喧嘩です。(←あくまで私は)

私の中でのアウトとセーフは 私自身が決め、あなたの中でのアウトとセーフはあなた自身が決めてください。
私の基準を提示したところで無駄なので、提示しません。

にゃんにゃんおーーー!!!!!

11boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-28 22:51:48
ID:XP214SyU

>>10
その言葉を言うと、攻められる可能性もあれば、逆に穴をつかれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いる ってなに?どゆこと?
つーかギリギリのラインを示すことが自分の中でのセーフとアウトを示すことにほぼ等しいと思うんだけど、「無駄なので提示しない」って?

(?。?)???

12にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 02:02:38
ID:OAdG7wXM

>>11
A『よって〇〇ですね。』 B『〇〇〇じゃねーよ〇〇〇だろ。』
この文の状況は Aが 説明の後に出した結論をBが否定し、別の考えを提示している状況です。
このBにあたる人はAの結果を 疑問形で曖昧にせず、断言し、自分の考えを述べています。
このBの発言は 相手に対しての鋭い指摘をすること 上手く行けば論破に持っていける発言に当たります。ですがもしもその指摘が間違っていれば そのAの発言に対して否定をし、新たな間違った発言をしてしまい、大きな穴を作ってしまう発言に当たります。
このような どっちに転がってもおかしくない状況を作り出す可能性の高い発言を多く用いる喧嘩を『ギリギリのラインを攻めた喧嘩』と表してます。
これだけ言わないと分からないような事じゃないと思いますがねぇ。

13にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 02:11:57
ID:OAdG7wXM

ギリギリのライン は私基準ではなく、あくまで個人個人が基準なんですよ。
私が自分の発言をギリギリだと思ったらそれはギリギリの発言 これには『あくまで自分の中での』という物が付け加えられますが。
なので、私の基準を示したところで貴方には何も意味が無いと判断したので私は必要ないと答えました。

14boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-29 03:07:22
ID:SDWdim9A

>>12の内容がまさに"提示したところで無駄なので提示しない私の基準"なんじゃないの?
提示しないっつった端から提示してて意味分からんのですけど(?。?)

あと
"その言葉を言うと、攻められる可能性もあれば、逆に穴をつかれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いる"
っていうのが
"疑問形で曖昧にせず、断言し、自分の考えを述べる"
っていうことなのだとすれば、事前にそれを示唆するような内容もないし、"これだけ言わないと分からないような事じゃないと思いますがねぇ"とか言われる意味わかんないっす。
オマエの中だけでわかってることなんじゃないですかソレ(笑。笑)

15にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 17:36:17
ID:OAdG7wXM

私が提示したのは ギリギリのラインの私の基準ではなく、何がギリギリなのか という事です。
私はあくまで なにがギリギリ なのか というのを提示しただけに過ぎません。 ちなみにそれは『曖昧にせず、断言する』という事です。
その『曖昧にせず、断言する』というのにもいろいろな種類があります。この言葉の中でも 上で提示した『絶好の攻めにも繋がることもあれば穴にもなる』ということに該当していないのか該当しているのか判断するものをギリギリのラインの基準 あくまで自分の中での ということになります。
あくまで私が>12で述べたのは なにがギリギリなのか という事です。 その例の内容が〇〇〇と隠されている状態では私のギリギリのラインの基準を説明したことにはなりませんよ。

大雑把に言えば、『攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いる』 という事なのですよ。
私的にはそれだけで充分伝わると考えておりました。 ですが、貴方には伝わらなかったので 詳しく掘り下げ、説明しました。
なのでその二つの物事が=で繋がっていなくても、ほかの物事等々を含めての言葉なのです。そこだけ引用して『ってことだけなのだとすれば』と言うのは流石におかしいと思いますよ。

16boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-29 18:51:20
ID:SDWdim9A

何を言っとるのかさっぱりなので、面倒だがひとつずつ見ていくこととする。


>私が提示したのは ギリギリのラインの私の基準ではなく、何がギリギリなのか という事です。
「何がギリギリなのか」を説明することと、「ギリギリのラインの私の基準」を説明することの違いはなんのか。

>私はあくまで なにがギリギリ なのか というのを提示しただけに過ぎません。 ちなみにそれは『曖昧にせず、断言する』という事です。
同上。「曖昧にせず、断言する」は、あくまで「何がギリギリなのか」に対する説明であって、「ギリギリのラインの私の基準」の説明ではないとしているが、両者の違いはなんなのか。

>その『曖昧にせず、断言する』というのにもいろいろな種類があります。
はい。

>この言葉の中でも 上で提示した『絶好の攻めにも繋がることもあれば穴にもなる』ということに該当していないのか該当しているのか判断するものをギリギリのラインの基準 あくまで自分の中での ということになります。
「ギリギリのラインの基準 あくまで自分の中での」と、「ギリギリのラインの私の基準」の違い。あるいは"提示したところで無駄なので提示しない私の基準"とそれらの違いはなんなのか。

>あくまで私が>12で述べたのは なにがギリギリなのか という事です。
それは「ギリギリのラインの私の基準」となにが違うのか。

>その例の内容が〇〇〇と隠されている状態では私のギリギリのラインの基準を説明したことにはなりませんよ。
「私のギリギリのラインの基準」言い換えればにゃんにゃん子にとっての「ギリギリのライン(>>10)」とは「その言葉を言うと、攻められる可能性もあれば、逆に穴をつかれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いる(同左)」であり、その説明あるいは例えが「A『よって〇〇ですね。』 B『〇〇〇じゃねーよ〇〇〇だろ。』(>>12)」というやり取りなわけだから、説明したことにはなっていると言えるでしょうね。

>大雑把に言えば、『攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いる』 という事なのですよ。
それが「ギリギリのラインの私の基準」の説明なのではないですか。「という事なのですよ」とか言われてもワケが分かりません。

>私的にはそれだけで充分伝わると考えておりました。 ですが、貴方には伝わらなかったので 詳しく掘り下げ、説明しました。
つまりそれは「ギリギリのラインの私の基準」に関する説明を詳しく掘り下げたということではないですか。
そしてその行為こそ"提示したところで無駄なので提示しない私の基準"を提示していることに他ならないのではないですか。

>なのでその二つの物事が=で繋がっていなくても、ほかの物事等々を含めての言葉なのです。
"その二つの物事"がなにを指しているのか分かりません。


・まとめ
「何がギリギリなのか」を提示することと、「ギリギリのラインの私の基準」を提示することの違いはなんのか。
両者が違うと主張したいのであれば、当然なぜ違うと言えるのか説明する必要があるはずだが、そこが欠落している。
>>12の例が○○○といった形で隠されている状態では自身にとっての「ギリギリのラインの基準」を説明したことにはならないと説明しているが、
やり取りを整理すれば(「私のギリギリのラインの基準」言い換えればにゃんにゃん子にとって―以下略―に続く部分)、そうでないということ、つまり、「私のギリギリのラインの基準」を説明していることは明らかである。

17にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 20:16:46
ID:OAdG7wXM

>「何がギリギリなのか」を説明することと、「ギリギリのラインの私の基準」を説明することの違いはなんなのか。

私が出したのはギリギリとは 「疑問形で曖昧にせず、断言する」という事。これはあくまでギリギリの基準 私個人のものではないのです。
そのだしたギリギリの基準 を満たしているのかどうかを判断するのは個人個人であるので 私がなにをギリギリのラインを踏んでいるとし、踏んでいないとするのかは私が決める。 この事を「ギリギリのラインの私の基準」です。
もっともっと、詳しく言うと

18にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 20:17:15
ID:OAdG7wXM

すいませんw 誤送してしまった

19にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 21:01:04
ID:OAdG7wXM

>「何がギリギリなのか」を説明することと、「ギリギリのラインの私の基準」を説明することの違いはなんなのか。
>同上。「曖昧にせず、断言する」は、あくまで「何がギリギリなのか」に対する説明であって、「ギリギリのらいの私の基準」の説明ではないとしているが、両者の違いはなんですか?

私が出したのはギリギリとは 「疑問形で曖昧にせず、断言する」という事。これはあくまでギリギリの基準 私個人のものではないのです。
そのだしたギリギリの基準 を満たしているのかどうかを判断するのは個人個人であるので 私がなにをギリギリのラインを踏んでいるとし、踏んでいないとするのかは私が決める。 この事を「ギリギリのラインの私の基準」と呼びます。
もっともっと、詳しく言うと 雑魚が という発言があったとして それをギリギリといったらそれは私の中でのギリギリのラインの基準に含まれているからです。
要するに 私は 自分が何という発言を ギリギリのラインである。 と言っていないので 私は 『自分のギリギリのラインの基準』 は提示しておりません。

>「ギリギリのラインの基準 あくまで自分の中での」と、「ギリギリのラインの私の基準」の違い。あるいは“提示したところで無駄なので提示しない私の基準”とそれらの違いはなんなのか。

えっと。しっかりその前に付随していた文にも目を通しましたか?
「絶好の攻めにも繋がることもあれば穴にもなる」というギリギリのラインに「該当」しているのかしていないのかを判断するのを 「ギリギリの、ラインの基準 あくまで自分の中での」と表しているのですよ
提示しなくても良いと表しているのは 「私が何をギリギリと表すのか」ということですよ

>それは「ギリギリのラインの私の基準」と何が違うのか
ギリギリのライン自体の基準と 私の中での基準 という違いがありますよ、

>「私のギリギリのラインの基準」言い換えれば
>攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、
>その説明あるいは例えが
>説明したことにはなっていると言えるでしょうね
ギリギリのラインは「攻められる可能性〜」というものであり、そのラインが用意された状態で、なにをギリギリのラインと呼ぶのか それを自分の基準と呼ぶのです。
〇〇〇 という文はあくまで ギリギリのラインの説明で出したものであり、不明瞭であります。 なのでそれを測ることは私はしていません。
なので私は 私のラインの基準の説明などはしていませんよ。

>それが「ギリギリのラインの私の基準」の説明では無いですか。「という事なのですよ」とか言われてもワケがわかりません。
それは「私の」ではないのです

>つまりそれは「ギリギリのラインの私の基準」
>提示していることに他ならないのではないですか。

違いますよ。その言葉を言うと、攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、攻められる可能性のある言葉を多く用いるってのを掘り下げたんですよ。 あくまでギリギリのラインの基準に含まれるこの文を

>“その二つの物事”が、なにを指しているのか分かりません。
「攻められる可能性もあれば、逆に穴を突かれ、責められる可能性のある言葉を多く用いる」ってのと、「疑問形で曖昧にせず、断言し、自分の考えを述べる」という文です。

ふぅ、疲れましたね。
1度目の誤送すいませんでした。 boyさんは、状況変化に非常に弱い方だと思います。

20boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-29 21:53:59
ID:SDWdim9A

各人が何をアウトとして、何をセーフとするかによって、当然その境界線・ギリギリのラインも異なります。
あなたの場合、論破されることがアウト、されないことがセーフで、そのボーダーラインに、論破できるかもしれないし反面されるかもしれない状況が置かれているのでしょうが、それは別に一般的な定義・基準ではないです。
例えば、怒らせることがアウト、怒らせないことがセーフと捉える人にとっては、ギリギリのラインとは怒らせるか怒らせないかのギリギリということになりますよね。
他にも、逃げられたらアウト、逃げられなければセーフ、逃げられるか逃げられないかという状況をギリギリのラインと置く人もあるかもしれません。
いずれに例をとっても、それらが、論破されるかされないかをセーフ/アウトに置き換えるより特殊で、逆にあなたの中でのボーダーラインあるいは条件設定が一般的だと言える根拠が提示されていません。
そして「何をアウト/セーフと置き換えるのか、その上でどういう状況がギリギリのラインを攻めていると取れるのか」という部分こそが、そもそも問われている「ギリギリのライン」あるいは「セーフな領域とアウトな領域を喧嘩の中でのどんなことに置き換えてるのか」という部分になるわけです。
かつ、なによりも、これこそが、当人が何を持ってギリギリのラインを攻めているのかとする、”ギリギリの基準”と言えるわけです。繰り返しになりますが、あなたはすでに「私個人のギリギリの基準」を説明しているといえます。

また、論破されるか否かをアウトか否かに置き換える、より掘り下げれば「疑問形で曖昧にせず、断言する」ような態度こそギリギリのラインを攻めているのだと表現するのであれば、「私がなにをギリギリのラインを踏んでいるとし、踏んでいないとするのかは私が決める。」ということにはなりません。なぜならば、「疑問形で曖昧にせず、断言する」という態度・状態はあなた以外の人物から見ても判断可能なものだからです。

ふぅ、疲れましたね。
にゃんにゃん子さんは頭が非常に弱い方だと思います。

21boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-29 22:15:22
ID:SDWdim9A

【時間がない人向け】

・争点
にゃんにゃん子は喧嘩において自らが設定している「私のギリギリのラインの基準」を提示しているか否か。

・にゃんにゃん子の主張
自分はあくまで「ギリギリのライン」を提示しているだけ。
喧嘩におけるギリギリのライン、あるいはそれを攻めるような行為とは、疑問形で曖昧にせず、断言することである。
上記のラインを超えているか否かは自分以外に判断できないので、「私のギリギリのラインの基準」を提示しているとは言えない。

・boyの反論
にゃんにゃん子の行った「ギリギリのライン」あるいはそれを攻める状況に対する説明 ―疑問形で曖昧にせず、断言する― には一般性がなく、個人的な判断基準に基づくもの。
よってこれは「私のギリギリのライン」あるいは「私のギリギリのラインの基準」であると言える。
また、この適用基準は、疑問形で曖昧にせず、断言するか否か、それによって論破される可能性があるか否か、という部分になり、これらの判断はにゃんにゃん子以外にも可能である。
上記を踏まえてにゃんにゃん子は「私のギリギリのラインの基準」を提示していると言える。

22にゃんにゃん子◆uO74msEuRE
2017-01-29 23:10:38
ID:OAdG7wXM

まず前提として、あなたのどんな喧嘩がしたい? という質問に対して、「ギリギリのラインを攻めた喧嘩」と答えたのは私 というのを置きます。
そして>12レス目で私は「このようなどっちに転がってもおかしくない状況を作り出す可能性の高い発言を多く用いる喧嘩を『ギリギリのラインを攻めた喧嘩と表してます』」 と言ってます。
この発言は 最初に「ギリギリのラインを攻めた喧嘩がしたい」と発言したことに繋がります。 なので、この発言には 上の「どちらに〜」という前提条件が含まれているのです。 例え、貴方がギリギリのラインに対して別の認識をもったとしても、これを建てたのはわたしです。
やはり、boyさんは状況変化に弱すぎますね

>また、論破されるか否かをアウトか否かに置き換える
>「疑問形で曖昧にせず 断言する」
>あなた以外の人物から見ても判断可能なものだからです

いえいえ、何をおっしゃっているのですか?
確信をもってはっきりキッパリと言い切ること。 これを 断言のニュアンスと置きます。 このニュアンス通りにいくと、判断する人によって、断言 という言葉の範囲が変わると思いますよ。
貴方は変わらなくても あなた以外の人 と置くのならば、必ずと言っていいほど誤差は出ます。そして、自分以外では判断出来ない状況が生まれます。 私はそのような可能性を踏まえて、個人個人で判断する。 と何度も言っているのですよ。

これが最後のレスになります。boyさんありがとうございました

23boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-29 23:56:27
ID:SDWdim9A

ギリギリのラインを攻めることを、「どっちに転がってもおかしくない状況を作り出す可能性の高い発言を多く用いる―疑問形で曖昧にせず 断言する―」と定めたのは君で、それは別に一般的な定義でもなんでもない。
この時点でこれが"にゃんにゃん子にとってのギリギリのライン"であると言える。
そしてこの"にゃんにゃん子にとってのギリギリのライン"こそ、>>10で「私の基準を提示したところで無駄なので、提示しません。」と言った"私の基準"である。
これを以て、提示したところで無駄とか言っておいてオマエ提示してるじゃん。と指摘されているのにも関わらず、にゃんにゃん子はこの点に於いてなんらの反論もできていない。というよりしていない。

では、なにをしているのか。
ニャンニャン子のレスを見てみると、断言していたか否かは個人の判断基準に依存して、その"個人の判断基準"こそが"私の基準"であり、それは提示しない(あるいはしていない)ということらしい。
また、断言していたか否かという判断が個々人の基準に依存する理由は「確信をもってはっきりキッパリと言い切ること。 これを 断言のニュアンスと置きます。 このニュアンス通りにいくと、判断する人によって、断言 という言葉の範囲が変わると思う」から、らしい。
ふむふむなるほど、頭が悪いということは分かった。

断言という言葉の示す範囲は、一般的な"断言"という語の定義に従うと考えられる。ここにおいてこの定義が個々人によって異なるということはない。確信をもってはっきりキッパリと言い切ること。これが断言の定義だ。にゃんにゃん子でも分かることだ。
そしてこの言葉の示す範囲は定義と同じだ。確信をもってはっきりキッパリと言い切っている発言。これが範囲だ。個人の判断によってこの範囲が異なることはない。
よって、この範囲に誤差が出るとか、自分以外に判断できない状況が生まれる。ということもない。仮に自分が断言した!とか思っていても定義から逸脱していればそれは断言しているとはいえない。
仮に個々人の基準に言葉の表す範囲、定義を委ねるのだとすれば、にゃんにゃん子が断言したと思った発言はすべて断言したということになってしまうし、にゃんにゃん子が論破されていないと判断したレスはすべて論破されていないということになってしまう。
ニャンニャン子の提示した"ギリギリのライン"も同様。疑問形で曖昧にせず断言することがその基準であるならば、これは一般的な定義に則ってその範囲が定められる。なぜならば判断において個人に依存する要素がないからだ。また、この"ギリギリのライン"に関する―疑問形で曖昧にせず断言することをギリギリのラインを攻めるとする―という説明によって、ニャンニャン子にとっての"ギリギリのライン"は明確になっているし、ある発言が"ギリギリのライン"の範囲か否かも判断可能になっている。つまり上述の説明行為こそが"私の基準"を提示することに他ならないというわけだ。

で、提示したところで無駄とか言っておいてオマエ提示してるじゃん。意味わかんねーんだけど。この土日バカの自己撞着見せつけられた俺の気持ち汲んで謝罪しろよ雑魚。
オマエの不自由な日本語数千文字読まされた挙句、オチがテメエの自己矛盾って終わってんだろホント。二度と面みせるんじゃねえ。ありがとうございました。

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