No:1066

20boy◆QUxWeP0DYs
2017-01-29 21:53:59
ID:SDWdim9A

各人が何をアウトとして、何をセーフとするかによって、当然その境界線・ギリギリのラインも異なります。
あなたの場合、論破されることがアウト、されないことがセーフで、そのボーダーラインに、論破できるかもしれないし反面されるかもしれない状況が置かれているのでしょうが、それは別に一般的な定義・基準ではないです。
例えば、怒らせることがアウト、怒らせないことがセーフと捉える人にとっては、ギリギリのラインとは怒らせるか怒らせないかのギリギリということになりますよね。
他にも、逃げられたらアウト、逃げられなければセーフ、逃げられるか逃げられないかという状況をギリギリのラインと置く人もあるかもしれません。
いずれに例をとっても、それらが、論破されるかされないかをセーフ/アウトに置き換えるより特殊で、逆にあなたの中でのボーダーラインあるいは条件設定が一般的だと言える根拠が提示されていません。
そして「何をアウト/セーフと置き換えるのか、その上でどういう状況がギリギリのラインを攻めていると取れるのか」という部分こそが、そもそも問われている「ギリギリのライン」あるいは「セーフな領域とアウトな領域を喧嘩の中でのどんなことに置き換えてるのか」という部分になるわけです。
かつ、なによりも、これこそが、当人が何を持ってギリギリのラインを攻めているのかとする、”ギリギリの基準”と言えるわけです。繰り返しになりますが、あなたはすでに「私個人のギリギリの基準」を説明しているといえます。

また、論破されるか否かをアウトか否かに置き換える、より掘り下げれば「疑問形で曖昧にせず、断言する」ような態度こそギリギリのラインを攻めているのだと表現するのであれば、「私がなにをギリギリのラインを踏んでいるとし、踏んでいないとするのかは私が決める。」ということにはなりません。なぜならば、「疑問形で曖昧にせず、断言する」という態度・状態はあなた以外の人物から見ても判断可能なものだからです。

ふぅ、疲れましたね。
にゃんにゃん子さんは頭が非常に弱い方だと思います。

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