新宿系理性批判

10丸山
2017-08-12 01:27:47
ID:gF0J0.2Y

「しかし、その一方で第三者の審級が衰退したあり方として〔大澤真幸は〕『オタク』を見出している。大澤真幸は『オタク』を『意味の持っている重要性と情報の密度のあいだに逆立があること』と捉えている。第三者の審級は、自己(これもまた一つの他者として形成されるのだが)と他者の繋がりにおいて形成され、一つのコンテクストを与えるものとして考えるならば、このようなコンテクストの不在は、第三者の審級が衰退したことによって現れていると考えられる。」
   
ポストモダン論でいう、「大きな物語」の衰退ということである。

かつては、「市民」「聴衆」「大衆」にある程度の判断能力があると仮定されていた。

デカルトは『方法序説=理性を正しく導き諸科学における真理を探究するための方法序説』(Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences)」の冒頭において、「良識=ボン・サンス(bon sens)」は「この世で最も公平に配分されているものである」と述べている。

このような「良識」に対する信頼が、かつては様々な領域で機能しており、ひとは、たとえ「真実」にはたどりつかなくとも、一定の受け入れ可能な結論は得ることができると考えていた。

煽り合いにおける客観勝敗論は、このような「近代的」な幻想を前提としている。
 
しかし、もはや我々は「近代」を生きてはいないのだッ。

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