主観勝敗論
「一般的に煽り合いとは明確な勝利基準・敗北基準が存在せず、相手が敗北の宣言をしない限りは決着がつかない戦いである。転じて、これを『自らが負けを認めない限りは、負ける事がない』という解釈を盾に煽り合いに臨む方法が、主観勝敗論である。」
Vikipediaは続けてこう述べている。
「主観勝敗論を信奉するユーザからすれば、煽り合いというのは負ける事がないから、そもそも引き分けか勝利しかない。あとは引き分けの戦いを、いかにして己の煽りで勝利に近づけていくか、というのが戦い方の方針となる。その為、主観勝敗論者の戦いは常にスタミナが要求される持久戦である。相手が執拗な粘着に根負けし敗北を認めた時、彼らの戦いはようやく終焉を迎えることとなる。」
「では、お互いが主観勝敗論者だった場合はどうなるか・・・・・・?答えは簡単。延々と不毛な戦いを繰り広げるのである。」
客観勝敗論を退けるならば、主観勝敗論を採らざるをえない。しかし、そうすると、上に述べられているような荒涼とした風景に甘んじざるをえない。だとすれば、我々は延々と続く不毛な会話と衰退する身体だけを見続けることになるのか。