もちろん存在する。「文体」である。 従って、電脳空間における「煽り論」の中心は、畢竟、文体論とならざるをえない。 「煽り」には確かに事実判断も含まれる。しかし、だからといって「煽り」を事実判断に還元し、「議論」と同一視することはできない。「煽り文」の本質は「文が意味するもの(文の外にあるもの)」=「事実」にあるのではなく、「文がそれ自体として表現しているもの(文自身の在り方)」=「文体」にあるのである。