煽文分解学。
確かに、これによって煽文(せんぶん→煽り文)の論理的構造が明らかになり、「事実」とただの「意見」が区別できる。
だが、これは「煽り」を事実判断に還元するという思想であり、「煽り」を一種の「議論」とみなすものだ。
これでは、「ひとが何故『煽動』されるのか」ということが「真実により説得されるから」ということ「だけ」になってしまう。
もちろん、煽りのそのような面(事実判断としての煽り)は否定しない。
だが、ここではさらに突っ込んで問いたい。
「事実」だけでひとは動くのか。
そもそも、何故、ひとは「事実」で動くのか、と。