正しい近代日本史

16Siphon◆eCtBIygSJo
2017-01-04 00:35:58
ID:Fms6soqU

>>9の続き

どうして桂の経歴が問題視されたのか
天皇に関わる宮中の職と政府の職は憲法上分けなければならない
これは宮中府中の別と呼ばれ明治大正の立憲政治においては徹底されていた
桂の首相就任はまさにこれを破るものである、として政党は桂内閣を総攻撃した
立憲国民党の犬養毅、立憲政友会の尾崎幸雄らを中心として憲政擁護を掲げた政治運動が始まった
これが第一次護憲運動である

一方、長州閥重鎮の桂も黙っているわけじゃない
政党に対抗するべく自派官僚らを集めて新党の結成を計画
しかしこの策は失敗、桂内閣はわずか二か月で退陣(桂はこの後急死・・・)
新党計画は桂の死後に実現し立憲同志会が結成された

混乱する政治の中、元老は穏健派の内閣を画策
戦前日本では混乱を収めるときに出てくるのが大抵海軍の連中
今回も薩摩閥の大重鎮で海軍大将山本権兵衛に組閣の大命が下る

山本内閣は立憲政友会を味方につけて政党派政策を実施
特に軍部大臣現役武官制の削除と文官任用令の改正が大きい
当時政党員が高級官僚になることはできなかったのだが、文官任用例の改正によって政党側の人間がより政治に近づきやすくなったのである

国民からの人気もあった山本内閣であったがジーメンス事件によって海軍への不信感が強まり総辞職することになる・・・

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