>>1
>議論板は過疎すぎて論外
これ私が喧嘩板に移った理由のひとつでもある
学校で出される宿題のことだよね。塾とかじゃなくて。
宿題は必要だと思う。授業は決められた時間内(50分など)で終わらないといけないから、特にペースの遅い生徒は授業時間内だけでは十分な学習量が確保できず、次の段階に進むための基礎学力が身につかない。
宿題であれば早い人なら十分でできる内容でも遅い人なら三十分かけることになるから、「時間の枠」に縛られずに一定の「量」の課題をさせることができる。
学校教育は塾通いをしなくても一定の学力を身につけられるようにすることが前提だから、その目的のためにも宿題は必要だろう。
やらされるほうはハッキリ言って嫌だけど。
必要ないと思うよ
自分に欠けている部分を確かに把握できて、たとえ出来る範囲でも復習する心意気があるのなら
一回やって100%出来るような人は極一部に限られる。しかも厄介なことに、最初からある程度出来てしまう方がかえって自身の弱点に気が付き難い
宿題の場合、範囲は限られるにせよ自分ではやるものを決められはしない。だからこそ自分が無意識に避けていることでも炙り出される。案外簡単な問題が解けないこともあるのよね……
それに、宿題を行う習慣があれば、いざ自主的に勉強しようって時にも“やり方”の指針になる。初めて触れることを一から学ぶのって想像するよりも難しいでしょ?
だから最初の内は宿題は必要だと思う。高校生にもなったら必要性は薄くなってくる気はするけど……。受験期には寧ろ邪魔なくらいだし。
>>8
私の「必要だと思う」は主に小中学校の話だけど、Xの「必要ないと思う」は主に高校の話だよね。
高校に関して言えば私も「必要」とは言わない。実際ただの邪魔であることも多いし、義務教育を超える部分では、必要な勉強は自分でやればいいと思う。
>>9
そうそう、あくまで高校での話が主かな。高校にもなったら“宿題”なんて人から言われたことするだけのシステムは少しずつ意味をなさなくなってくると思ってる
どうせ学校の宿題を真面目にこなせたところで、そんなのは(言い方はわるいけど)馬鹿でも出来ることだからね。内容も千差万別、一概には言えないけど。
義務教育の範囲でならば、ケースバイケースって便利な言葉が適するかな?
義務教育が何故に“義務”であるのかを考えると、基本的には必要だと感じる。
>>6でも言われてる理由もそうだし、第一、小中学生がやる範囲なんて下地の下地だからね。無駄な方向へ力を注ぐよりは、適正量の勉強をしている方が混乱を避けられる部分もある。予習よりは復習の方が遥かに大事で、宿題なんてのは復習にはピッタリなものが殆ど。余った時間はゲームにでもサッカーにでもご自由にどうぞ〜、ってことで。
けども必要なのは“適切な宿題”であって“闇雲な宿題”じゃない。もしも自分で“絶対にこれは意味がない”、あるいは“今の自分には不要なものだ”って確信できるような宿題が出たのだとしたら、それをやる必要性はほぼ無いと思う。
生徒側の視点になって考えた場合は、南雲やX5の考え方に同感だが、教育者(教師)の視点になって考えた場合はどうだろうか。
つまるところ、宿題というのは成績をつけるための手段でもあるということに他ならない。この成績というのは、学力だけでなく、意欲・関心・態度の度合いを測るためのシステムであって、そのシステムによってはじき出されたデータを元に、進路関係の将来的な話が展開されていく。
教育者にとっては、勉強に対して如何に意欲的であるかが一目で分かる、言わば"努力の結晶"であり、生徒側にとっても、半ば強制的なこの作業は、半ば強制的であるが故に、宿題をこなす内に自然と学力が身につくという、両者にとって実に至極合理的なシステムと言えるだろう。
つまるところ、宿題をやる者は、それだけ学力が身につき、それと同時に勉強に対して意欲的であり、逆も然りということだ。
だが、最近この宿題というシステムが、生徒側では逆効果を生んでしまっている。それは、X5のご指摘通りで、今では、単なる作業と化しているのは、火を見るよりみ明らかだ。宿題という作業を、上手く生産的なものとして有効活用できていないし、その時間をもっと別のことに使える。
しかし、だからと言って、義務教育の範囲外で宿題が不必要だとは思えない。ここで考えるべきなのは、宿題のコンセプトを実現させるためにどうするべきか、ということだろう。つまり、教育者にとって、生徒の意欲関心態度が測ることができ、かつ、生徒にとって生産性のある作業であるようにすればよい。
では、そのようにするにはどうすればよいのか。
それは、抽象的ではあるが、個々人によって提出される課題の内容を変えればよい。
私は"進研ゼミ"という通信教育を受けているのだが、この通信教育は、毎月送られるワークブックを解いて、郵便を通して提出し、コンピューターではなく、担当の講師によって、一人一人の生徒の一冊一冊に目を通し、注意点やアドバイスが載せられて、返却される。というものだ。いわゆる"赤ペン先生"というやつだ。
こうすれば、事実上半ば強制的である宿題も、自主性が増し、それによって勉強に対しての意欲も向上し、さらにそれは教育者も測れるものであり、そして教育者がアドバイスを送ることによって、また意欲の向上に繋がるという、"幸のループ"が生まれるというわけである。
まあ、これは極端な例であって、もしもこれが実現するのであれば、大人たちは苦労しないだろう。特に今問題となっているのは、教職員の過労だ。テスト問題作成や、答え合わせによって、ヒドい場合は深夜2~3時まで働くことが多いらしいし、部活動の顧問も、ただ働きな上、強制的にやらされてしまう人がほとんどなのだそうだ。
これに加えて、上記の赤ペン先生式にすれば、ただでさえ深刻である過労問題が、さらに悪化の一途を辿ることになるだろう。
なげえええよおまえら
もっと短くできるだろ
俺から言わせてもらうとだな
成績が悪くてやるきがなかったり自己の勉強管理ができない奴は宿題しろ
ただ、成績悪くて出された宿題のレベルがキャパを超える難易度 この場合宿題はしなくていい
また、自己の勉強管理を調整できたり自ら勉強できて成績良いやつは宿題しなくていい
>>13
君が普段している口でのコミュニケーションは、もっともーっと多くの単語や文字が使われているはずなんだよ。
それに比べたら、こんなの大したことないよね?
>>15
文面と口頭では全然ちげえぞ
そもそもコミュニケーションでこんな長ったらしくしかも回りくどい喋り方する奴気持ちわるいし面白みもねえから体感的には大したことあるけど
地頭が良ければあってもなくてもあまり関係ない
でも悪いならやったほうがいい
ありきたりだけどこの二行に尽きるんじゃないかな
宿題をちゃんとやってくる子は宿題出さなくても勝手に勉強する
やる気ない子は最初からやってこない
宿題はやってくることに重きを置いてるからその質は度外視されることがほとんど
ちゃんとやってる子でも大抵はやりっぱなしでおしまい
学力を上げるなら宿題なんて出すより定期的にテストを受けさせるのが一番
数字で自分の実力がはっきり分かるし、点数を上げるという明確な目標もできるから勉強の意欲も上がる
テストで点悪い子は補習させればいい
まあ学校に学力向上を期待するのが間違っているけどw
>>20
必ずしもテストが役に立つとは言えないけどね。
多分これはほとんどの学校に共通することだろうけど、テスト問題を作る側は、平均点が大体60点くらいになるように作ってくる。
だから校内偏差値が高ければ高いほど、テストは難しくなって、基本問題から応用問題まで、幅広く様々な系統の問題が出題されるから、その意義も大きくなる。
それは逆も然りで、うちみたいなところは、数学でさえ応用問題は滅多に出ない。
つまるところ、生徒の質の良し悪しで学校の教育方針が決まってくるのだから、まず生徒たちの質を変えてやらないことには意味はない。
ましてや、宿題そのものに焦点をあてたって何にも話が進まない。
だって、教育が低レベルだったら、所詮"その程度"でしょ。
だからこそ、宿題そのものを生徒一人一人に合わせたものに変えてでも、生徒の学習意欲を向上させた方が良いんじゃないのって思う。
>>22
なら塾でいいんでね? って意見が聞こえてきそう
勿論学校でそれだけ出来るなら少なくとも悪くはならないだろうし、塾に通える余裕がないって家庭もあるだろうけど……
>>25
質の悪い奴は、自分から塾に通おうとはしない。通ったとしても、最初だけ真面目にやって、時間経つとすぐ不真面目になるだけ。
だから、生徒自身に心を入れ替えてもらうんじゃなくて、生徒自身が自ら心を入れ替えたくなるように、教育者が変わらないと意味がない。
個別の問題を論じるなら、宿題なんて必要ない生徒もたくさんいる。
ただ、多数の子は授業時間だけでは知識が定着しない。
テストをすればと言うけど、勉強しようとすまいと高得点を取れるような生徒は最初から問題ないわけだが、十分な点を取れないからと言って、その生徒がテスト勉強をするとは限らない。勉強をしても、内容ややり方が適切とは限らない。そこに宿題の意味がある。
低得点者の補習は難しい。何故なら、教員側の意図とは関係なく、生徒にとって低得点を理由とした補習は「懲罰的な意味」が付されてしまうからだ。モチベーションが下がり、勉強嫌いに拍車をかける結果を生む。
成績が良く、宿題の必要のない生徒まで含めて一斉に宿題が課されることも、宿題に懲罰的意味を持たせないためにはやむを得ない一面がある。本来なら、個別の学力に見合った難易度の宿題を一人一人に出すことが望ましいだろうが、教員の負担を考えると現実的ではない。
私立なら学校ごとの教育方針もあるだろう。ただ公立は、学力の高い子をさらに伸ばすことよりも、学力の低い子の底上げをするほうに主眼がある。
学校の役割は最低限の学力を身につけさせること。実際にはそれも果たせていないことが多いが、それでも役割はそこにある。それを超える学力は、自主勉なり塾なりで身につければいい。しかし最低限は学校で保証しなければ、子どもを塾に通わせる経済的余裕のない家庭は教育を受ける機会を失ってしまう。
そんな学校(公立小中)の役割を考えると、宿題は必要だ。
発展性のない議論で、とてもつまらないな。
言いたいことは言い尽くしたし。
もっとこう、賛否両論ある議題でやった方が、とても楽しいと思うな。
>>31
喧嘩よりは健全で上品なものだから、そりゃあ気持ちいいか悪いかで言うと、気持ちいい方ではあるけども。
発展性がないってことは、全体的に答えが一致するから、議論としてあまり生産性のある時間とは言えないんじゃないかな。
まあ、生産的な議論であったかどうかは、やった後で初めて分かることだから、やる前からはどうすることもできないんだけどね。
ひとつだけ言っておくと学力向上と学習意欲の向上を同時にやるのはほぼ無理
宿題は残念ながら学力向上にもほとんど役に立ってないし、学習意欲の向上にも役に立ってない
最低限の学力を身につけさせるなら補習などで学校での勉強時間を増やすしかない
宿題がひとりでできないらから家庭教師を依頼したり補習塾に通ってる子も多い
塾や家庭教師って聞くと進学指導を想像する人多いけど学校の宿題のお手伝いが意外と多いんすよねー
>>38
何ソレ初めて知った。
それはアレかな。
単純に難しいから、解説を交えつつ、問題を解いていくってこと?
それとも、作業を手っ取り早く終わらせるために、講師にも問題を解かせているってこと?
後者だよね。多分。
だって宿題なんて、分からない問題は空白空けて、解答冊子の解説を見ればそれで済むわけだから、難しくて一人でできないなんてこと、あるはずないもの。
小学生の算数のドリル冊子はともかくとして、中学生のワークは解説が載ってあるはず。
少なくとも俺は中学生の時、ちゃんと解説付きのワークで宿題が出されていたから、大抵のことはそれで済んだ。
解説が載っていても分からないなんてことはたまにあったけど、ネットで調べるか、学校の先生に訊くかすれば良い話なんだよなぁ。
そもそも、いくら頭が悪くたって、宿題が難しくて解けないなんてことは滅多にないよ。
本当にそんな理由で家庭教師を依頼してるの?
>>42
カンニングしながら解いたって、そりゃ丸写ししてるだけだから、勉強になるわけないじゃんwwwwwwwwwwwww
違うでしょ。
一度解いた問題を答え合わせした時に、そこがどう間違っているのか、何で間違いなのか、そういうことが解説から分かるんでしょ。
>>43
まじめなやつはそれを見る。
でもバカのほとんどは不真面目なのが多いためあっても無視何だよな。
それに解答解説の説明は足りてないこともよくある。
>>41
滅多にないってなんで言えるんだ…
補習塾を標榜してるとこもあるし、家庭教師はむしろ進学指導のほうが少ない
受験専門のプロ家庭教師もいるけど数が少ないし、そういう人らはほとんどが予備校講師を兼任してたりする
それと自分で調べたり聞きに行ったりするほどモチベーション高い子はほとんどいない
これが現実なんだよなあ〜
てか宿題に答え付きはダメでしょ
効果0どころか逆にマイナスになりかねない
宿題は学習意欲向上にはならないけど学力定着には資する。漢字1文字20回ずつ書いてこいなんて萎える宿題もあったけど、結局漢字って書かなきゃ書けるようにならないから、それで覚えた面が現実には大きい。
補習のほうが学力向上には向くかもだけど、テスト結果で補習させるなんて懲罰感出過ぎてモチベーションのダウンが著しい。補習の意義をちゃんと理解できる年齢ならまだしも、小学生からそれではマイナス影響が強すぎる。
宿題だってモチベは下がるけど懲罰感がなければ補習ほどのダメージは食らわないよ。
宿題は学力の「向上」ではなくて授業でやった内容の「定着」に意味がある。
補習じゃなくて根本的に授業時間数を増やせっていうのなら分かる。
学校は塾や家庭教師を使えない家庭を一応の前提にしているので、宿題するのに家庭教師に教わる云々は別の話なんだよなあ。
家庭教師をそういう使い方するなら、宿題なんかなくて最初から個別対応の家庭教師に家庭学習を全部任せたほうが良いが、公立学校はそんなカネのない家庭のことを考えているわけ。
つまりカテキョ無し、塾無し、の家庭で考えた場合に宿題が必要になってくるわけよ。
カテキョや塾にかけるカネがあるんだったら宿題よりも初めからそっちで勉強させたほうがいいけどそんなカネのない生徒をどうするかってのが公立の役目。
>>46
家庭教師は、文字通り各生徒の家に担当講師が出向いて指導しに行くものだから、そりゃあ宿題の解説を行うことは珍しくはないかもしれない。
でも補修塾に関しては、予習復習を効率的に行うことで、学力の向上を図るためのものでしょ。宿題が分からないから塾に行くんじゃなくて、学校では足りない部分を補うために行く人がほとんどだと思うよ。
俺は宿題が難しかったことなんてなかったし、寧ろテストの応用問題とか、そういう部分が足りなかったと思ってる。俺の周りもそういう目的で塾に通っていた人がほとんどなはず。
塾に通っていた友達から聞いた話だけど、塾は塾での授業があって、そこで塾の宿題を出されるから、そもそも学校の宿題をやる時間がないらしい。
>てか宿題に答え付きはダメでしょ
そもそも俺が小学生の時から、算数のドリルワークに解答冊子はついていた。
解説までは載っていなかったけど、各自で答え合わせして宿題を持ってくるっていうのが、現代の宿題だよ。
どこの学校でもこれは共通して同じはず。
>>49
学校でどれだけ真面目にやってきたかとかを決めるのが評定な
その評定を判断する為には定期テストや宿題がなどが考慮される。
定期テストだけ良くて課題とか他のとこで気抜いてる奴の評定が低いなんてザラ しかも、これを第三者見れば根性が悪い、裏表が激しい性格と捉えれる
こんなことがある為に課題の存在によって規律に真面目に頑張る生徒が増える
大学側や高校側は真面目な生徒を求めるから、真面目という条件を持つ学生をどうやって審査して見抜くか それがない今、評定という最低限な判断表で最大限な判断をして学校に合う人格を選抜する
以上により、不真面目な生徒を選抜する
あと、課題なんて社会に出たら会社から出されるし、それに対応できる為に学生時代から期限までに物事をこなす能力を鍛えるという点でも課題は必要。
まあこの効果が発揮されやすいのは推薦組に行く傾向の高い中層低層高校だけだけどね もちろん上層でもこの効果は発揮されるが上層は評定が取れにくく学力も高くなりがちだから一般行く
中層以外の学力を持った一定数の学生の規律を正す為にも評定は大切だから、課題も大切 はっきりわかんだね
>>54
南雲もジェイソンもよく分かっていないみたいだけど、答えを写してくるような奴は、何をやらせても徹底して不真面目だからね。
解答がなくったって、宿題なんかやってこなかったり、友達のを写したり、試行錯誤して楽な道を選ぼうとするから、解答を配るのがNGだっていうのが、そもそも的外れ。
>>57
>>57
いやね、初めから丸写しするのは極端な例だけど解答が手元にあるとちょっと考えて分からなければ安易に見てしまうわけ。
見る奴が悪いというより、宿題にそういう誘惑をくっつけて渡すことに問題がある。私だって解答があれば誘惑にかられるよ。友達のを写すとか別の外道があるからと言って、わざわざ外道の材料を付録にしてどうすんの。
>>57
やってこないと叱られる
写したら間違えかたなどが同じだったりしたらばれる
一番ばれないのが解答写し。
不真面目なやつってそういうとこは頭働くから解答渡すのはよくないね公立で。
>>58
でもそういう誘惑の存在を見いだす人って、解答がなかったら、空白のまま提出すると思うけどね。
>>59
だからさ、解答がなくったって、友達のを写したりするから、結局不真面目な奴には何をしたって無駄なんだよ。
まずその不真面目さをどうにかしない限り、解答は配らないだとか、そういうことしたって何の意味もないんだよ。
>>60
三笠も言ってるけど怒られるのは嫌だからなかなかサボリのハードルは高い。怒られたくないから解答を見るわけだ。
解答がなかったら、仕方なくできる分だけでもやる層もいるのに、わざわざ誘惑を増やしたらその層もまともにやらなくなってしまう。
>>61
写すのもやらないのも怒られるからしないって言ってるでしょ!
配らないことでしかたなしにやるでしょ!
南雲の言うケースは、ちょっと考えて、すぐに"分からない"と決め付けて、答えの丸写しに取りかかってしまうというケース。
こういう人って、すぐに分かる問題だけ解いて、あとは難しい問題は、空白のまま提出するような人じゃないのって言ってるわけ。
仕方なくやらなくても、分かりませんでしたって言えば、やらずに済むんだから、"仕方なく"っていう考えで宿題をこなすはずがない。
三笠の言うケースは、とことん不真面目な奴だ。
さきほども言ったとおり、徹底して不真面目な奴は、友達のものを写せばいいだとか、まあ、出さなくてもいっかとか、是が非でも楽をしようとする。
つまるところ、そもそも解答を配るだとか配らないだとかは、全くもって意味がない。
>>65
徹底して不真面目なやつがいるから
配るようにしたら
解答がなければ嫌々とく不真面目なやつも解かなくなるからだめでしょ!
>>65
わからないから空白で出す
ってのは怒られたけど。
間違ってもいいから書いてこいっていう感じだったわ。
>>67
そういう先生もいるよね。
でも本当に分からなくて、これっぽっちも見当がつかなくて、分からないっていう場合はどうなるんだろうね。
適当に書く人とかも出てきそうだけど。
>>70
自分はソレで残されたからね。
それがトラウマでそれからはわからなくても教科書とノートを隅から隅まで見るようにしたよ。
それは朝早く来て質問するとか、親に聞くとか
したらいいんじゃない?
>>51
残念ながら宿題ではその知識の定着すらできてないよ
そもそも知識の定着こそが学力の向上なんだから向上か定着かはあまり関係ない
もっと言えば最低限の学力の保障すら宿題はほとんど役割を果たせていない
分数ができない大学生なんて出てきてるわけだし
それにサボろうと思えばいくらでもサボれるのが宿題
他の子のを写してもらったりなんてのはよくある話
漢字1文字20回なんて効果あるかなあ?毎日やってればいいけど宿題は基本一回こっきりでやりっぱなしだからね
まあ確かにゲームや漫画するぐらいなら宿題してるほうがマシだけど・・・
>学校は塾や家庭教師を使えない家庭を一応の前提にしているので、宿題するのに家庭教師に教わる云々は別の話なんだよなあ。
家庭教師の例を出したのは、宿題をひとりでできない生徒も多くいるという現実を示すため
何万も払って宿題のお手伝いなんて馬鹿らしいでしょ?
本来は学校の役割なんだよこれは
それなら宿題なんて出さずに土曜日に学校来させる日を増やすなどしたら対応できる話なんだよね
授業も単に新しいことを教えるだけじゃなくて復習の時間みたいなのを定期的に作ったりすればいい
そういうときにテストをやらせるのが一番よかったりする
成績悪い子だけ授業数増えるのが公平性に欠けるって言うなら全体の授業数増加でも別にいい
数十年前は毎週土曜日も授業あったんだから不可能ではない
要は宿題出してもほとんど効果ないし、家で勉強しない人も一定数いるわけだからそういう人でも最低限の学力が身につくにはどうすればいいかってこと
そもそも学校や教師が自宅学習の面倒までみるっていうのはおかしいのよ
そりゃ理想を言えば一人一人異なる宿題を出せばいいんだろうけどそこまで教師に求めるのかって話
教師の本来の務めは生徒に勉強を教えることなんだからそこで本領発揮してもらいたいね
宿題の作成や丸つけに消費するエネルギーと時間を授業の質と量向上に使ってもらいたい
それでも宿題が必要っていうなら効果を上げる方法を模索しないと、少なくとも今のままではいかんでしょ
例えば忘れた場合やサボった場合の罰則を厳しくして昔の詰め込み教育みたいなことを復活させるとかね
ある程度の強制力と質・量がないと宿題はほとんど意味ないよ
対面授業なら強制力も質も量も担保できる
>>65
私の言ってるのは確かにそういうケース。
でも空白だらけで出すのってこれまた怒られる原因にもなるし、怒られなくたって、「少しでも正解を増やしたい」という欲望があるのが人間でしょ。
そういう人がろくに考えずに解答を見てしまうことを防ぐ意味で、解答を抜くことに意味があるんだよ。
ノーマルはどうして、「解答を見る人は空白で出す」、「解答を写す人は友達のを写す」って決め付けるんだろう。たしかにそういう人もいるけど、そうでない人もいる。解答があれば1分しか考えずに見る人でも、解答がなければ5分くらいは考えて空白にするかもしれない。その差は大きいんだ。
友達のを写すのだって、その友達に不正がバレるし、借りだってできるから、一定のハードルがある。それはできれば避けたいからちょっとだけでも考えるという人もいるわけさ。
正直言って、どんな工夫を施そうとも、徹底的にやる気のカケラもない生徒は学校だって手も足も出ないよ。でも、解答を抜くという手軽な一工夫をするだけで、マジメじゃなくても程々には取り組んでくる生徒もいる。だったら、その一工夫はすべきだろ。
>>55
まず前半部分だけど別に宿題なんてなくても授業態度とか出席率とかで見ればよくね
評定って恐らく内申のことだと思うけど今の内申点って3/4はテストの成績で決まるよ
残り1/4は出席率とか授業態度とか課題の提出率とかだね
となると宿題の要素ってめっちゃ小さい
>定期テストだけ良くて課題とか他のとこで気抜いてる奴の評定が低いなんてザラ
いやないわ・・・
テストで点取ってる子は宿題もちゃんと出してる子が多いよ
テストで点を取れるってことは家庭環境や学習環境が良いことが多いから宿題もちゃんとしてくる
まあ確かに塾で忙しくて学校の宿題を真面目にやってない人もたまにいるけどね
ただそういう人は最初から内申点を捨ててたりするからただの戦略でしかない
>課題なんて社会に出たら会社から出されるし、それに対応できる為に学生時代から期限までに物事をこなす能力を鍛えるという点でも課題は必要。
別に宿題じゃなくても何か提出物を課せばいいだけじゃない?
例えば読書感想文とか日記とかね
そもそも一年間生徒たちと接するわけだから宿題なんて出さなくても人間性や性格って判断できるよ
んで内申点には入らないけど報告書には所見欄っていうのがあってそこに子供の性格や人間性が書かれていることが多い
ただ教師が自分の教え子の悪口を書くことはまずない、昔はむしろ下駄をはかせてたのは有名な話
そうとう教師から嫌われてたら別だけどw
ちなみに宿題の作成や丸つけって相当教師の負担になってるからね
毎日40人分の宿題を確認する労力を想像してほしい
ただでさえ大変なのに一人一人違う宿題なんて先生が過労死するで
全然関係ないけど日記や相談ノート的なのを毎日提出させるのいいと思うわー
書いてあることが別に本当かどうかなんて分からなくてもいろいろ見えてくるものがあろうだろうから
>>73
漢字を覚えるのは何十回でも書くのが有効という例も出したよね。数十回書けばおおむね覚えるよ。忘れたって、覚え直す時に、一度覚えていたら遙かに早いことくらい今さらじぇいそんに説明する必要もないでしょ。
計算問題だって、やり方を頭で知っていても実際に練習することでスムーズに出来るようになる。
こういうことに対しては宿題は有効だよ。
サボろうと思えばサボれるってのは、ノーマルに説明したのと似たような話。宿題をサボるのと、最初から宿題が無いのとでは違う。「宿題だから仕方なくやる」という生徒も少なからずいる。というかそういう人が大半じゃん?サボる人間がいるから宿題に意味がないなんて、仕方なくやってる人の存在を無視してない?
>それなら宿題なんて出さずに土曜日に学校来させる日を増やすなどしたら対応できる話なんだよね
それは私が「分かる」と言った授業時数の増加。私が小中学生のころは土曜半ドンだった。少なくとも学力で言う限り、それには意味があった。
>授業も単に新しいことを教えるだけじゃなくて復習の時間みたいなのを定期的に作ったりすればいい
これも授業時数の増。宿題よりもそっちが良いのは私も否定はしない。授業時数の増を、宿題の代わりにやるのなら、宿題以上の効果があるだろう。それには反対しない。
>要は宿題出してもほとんど効果ないし、家で勉強しない人も一定数いるわけだから
逆に言えば一定数には効果があるんだから宿題は出さないよりも出すべきなんだ。効果の程については、漢字練習や計算問題のように効果があるものもある。だから、じぇいそんも言うように、質を考える必要がある。当然、宿題の「質」には内容も含まれる。
学校や教師が自宅学習の面倒までみるってのはおかしい、それは私もそう思う。
でも現実問題、宿題という補完材料がなければ授業だけでは授業内容の練習不足という限界もある。というか、宿題という補完材料があっても不足してるんだけど、このまま無くしたらもっと悪くなるだけ。
宿題の「出し方」に関しては不断に工夫の努力が必要だと思う。
テスト成績じゃなく忘れた・サボった場合に罰則というのは、誰でも納得しやすい分、モチベ低下もさほどではないかも。
宿題の質の向上、そして量をどうするかっていう問題は、教師の側もいつも考えてなきゃいけないだろうね。
勉強の効果として、対面授業のほうが宿題よりも良いことには賛成だよ。
私は授業時数など他の要因はそのままで「宿題を出すべきか出さぬべきか」という観点で言ってきたけど、「宿題を出す代わりに授業を増やす」という、宿題以外の部分を含めて総合的に改革するなら宿題よりも授業増だと思う。
>>52
補習塾に行ってみれば分かるよ・・・
学校の授業についていけない人がいくのが補習塾
だから宿題の解説も塾の授業の中でやるんだよ
逆に進学塾だと塾講師が学校の宿題よりも塾の宿題を優先しろと教えているところもあるよ
>各自で答え合わせして宿題を持ってくる
これは担任教師が楽してるだけやな・・・
学校が終わっても家に帰ってから済ませなければいけない宿題にうんざりした記憶は誰にもあるものです。家で宿題をすることは学校の授業の予習や復習になると信じられているため、親も「宿題は終わった?」と尋ねる"家庭内パトロール"を行うわけですが、実際のところ、小学生に宿題を課すことは成績向上になんの影響も与えていないという驚きの研究結果が発表されました。
デューク大学のハリス・クーパー氏は宿題に関する研究を行う第一人者です。クーパー氏によると、宿題によって得られる利益は年齢に依存しており、特に小学生の年齢の子どもが宿題をどれだけやっても成績が向上するという証拠は見つかっていません。中学生でも宿題が成績を向上させる「良い影響」を得ることはほとんどなく、高校生になってようやく宿題で学術的な利益を得られるようになります。ただし、1日2時間が限度で、それ以上宿題に時間をかけると利益は減少していくとのことです。
「宿題をすると頭が良くなる」という一握りの神話的研究を払拭するべく、クーパー氏は1989年と2006年のおよそ200の研究結果を分析しました。多数の研究結果を総合的に解析した結果、小学生レベルの子どもが行う宿題に学術的な利益は発見されず、そればかりか子どもに悪い影響をもたらしていることまで判明しています。幼稚園から小学校への入学は子どもにとって向学心を深める機会となりますが、宿題をさせることは学習に対する興味を失わせる影響があると、クーパー氏は説明しています。
これまでの「宿題支持説」では、宿題は学校学習を強化しつつ「責任能力」を養うひとつのツールであり、親との自宅教育につながる機会になると言われていました。これに対してクーパー氏は、子どもの責任能力は養う機会は、親に言いつけられる雑用やペットの世話など、日々たくさん存在するほか、学校学習は子どもにとって重要ですが、「良い睡眠」「家族との時間」「遊ぶ時間」もまた子どもにとって重要な要素であり、宿題でこれらの時間を削っても良い影響は得られない、としています。
なお、子どもと親が一緒に声に出して本を読んだり、子どもが読書を嫌がる場合は、親が子どもに本を朗読してあげたりすることも、宿題より良い影響が得られることもわかっており、子どもに「楽しい」と感じさせることが重要だそうです。クーパー氏は「小学校の宿題は禁止するに値する」と断言しており、宿題のない文化の中で、子どもたちが放課後を有意義に過ごして日々楽しく学習できる生活を送ることを推奨しています。
もし「宿題のない文化」が浸透すれば、子どもは毎日嫌々宿題をする必要がなくなり、親は「宿題は終わった?」と目を光らせる気苦労もなくなります。教師も宿題を作成するために時間を割かなくてもよくなるため、万人にとっていいことずくめなのかもしれません
>>79
>漢字を覚えるのは何十回でも書く
今の宿題って実はそんな何十回も書かないよ
多くて二十回、しかも一回きり
まあ漢字は日常生活で嫌でも出てくるから自然と覚えていくんだけどねw
漢字にしろ計算にしろ反復学習が大事
今の宿題はそれができてない
できてないから分数計算ができない大学生なんて出てくるんだよ
仕方なくやっている人がほとんどだと思うけど・・・どちらにしろ効果ないって指摘してるから・・・
既に言ってるけど出さないよりはマシだよ?
でもそのエネルギーを他のところに使ったほうがいいよねってこと
効果が授業>宿題だと結論出てるなら宿題なくして授業数増やしたほうがいいでしょ
最近は脱ゆとりで月一で土曜日授業やってるけどね
親が共働き、シングルだとなかなか子供と勉強はできないだろうな
子供の宿題自体に興味なんてもたないし
学校に丸投げしてしまっている家庭もたくさんあるだろう
日本もアメリカ式みたいに日頃の活動や学習で入試の合否が決まるみたいにしたら
もっと積極的に学校での学習に身が入りそうだけど
>>71
それはまあ、スパルタが過ぎた教育だこと(笑)
でもそれをこなした三笠の根性は凄いと思う。
俺はお前みたいな人間が好きだよ。
変な意味じゃなくて。
>それは朝早く来て質問するとか、
>親に聞くとかしたらいいんじゃない?
それはそうだけどさ。
そうじゃなくて、本当に分からなくて、答えようがない時ってどうしても出てきてしまうわけで、そういう場合はどう処理すればいいのか、困ってしまうじゃん。
>>72
全ては喧嘩板でのキャリアだよ。
言い回しを考えられるようにもなったし、文章構成にも気を遣うようになった。
喧嘩板では屁理屈ばっかりこねてて、イメージは悪いかもしれないけど、本当はもっと真面目で純白なんだからな?
ネタで言ってるのかもしれないけど、そうやって誉められると、純粋に嬉しい。
>>82
そういう論文がどういう方法で書かれているか知らなければ、論文の読み方を間違うことになる。
一般に、宿題を課した集団と、課さなかった集団とを比較するわけだけれども、ここで「効果がある」と結論づけられるのは最低でも95%水準、ちゃんとした学術論文では最低99%の水準が要求される。つまり90%の確率で宿題に効果がある場合でも、「効果がある」と結論づけることはできない。
しかしそれは「効果がある証明が出来なかった」に過ぎず、「効果がない証拠にはならない」こと、さらには仮に90%水準が確保できたならば90%の確率で効果があったことになる。これはその手の研究をしている学生さんも解釈を間違える人が多い。
つまり「利益が発見されなかった」と「利益がない」とは全く意味の異なるということを理解できていない人が多い。
さらに、そういう論文はサンプルの抽出方法などで、結論ありきで書くこともできる。ことに教育法に関しては、1950年代以降でも主流となるやり方が目まぐるしく変化していて、一時代の一研究、しかも文化の影響を強烈に受ける分野で外国の研究ときたら、日本の現実に当てはめるには「参考程度」にしかなり得ない。
>>83
二十回でも、うろ覚えできたら次に覚えやすくなることは間違いないよね。
出さないよりは良いけど、宿題出すよりも授業増のほうがもっと良い…。
それなら、じぇいそんと私の意見の相違は埋まったというか一致したということになる。私の宿題必要論は、他の変数に手を付けないで宿題オンリーの話だったから。
>>81
俺ひょっとしたら、補修塾と進学塾を混同させてたのかもしれない。
塾に縁がなかった俺にとっては、塾は"塾"という一括りされたもので、種類別に分けられるものじゃなかったから。
なるほど、そうか。
塾は塾でも、いろいろあるのか。
>これは担任教師が楽してるだけやな・・・
俺が小1の時からこうだったから、少なくともちょうど10年前からやね。
ジェイソンがそう言うのも、きっとジェイソンの時は、解答なんてなかったからだよね。
昔からなのかもしれないけど、今は公務員なのにブラックなのが教師だからね。
本当にほとんどが事務作業らしいから、一人一人の宿題の答え合わせはしんどいと思うよ。
俺が小学生の時の宿題は、毎日あったんだけど、大体こんな感じ。
・漢字ノート1~2ページに、習った漢字を書く。
・計算ドリルの○番を答え合わせもして解いてくる。
ただ、5年生の時の先生はベテランで、週末に最低1ページの日記と、最低1ページの自習をさせられた。
その時の先生は他の先生と違って、授業の発表回数を記録させたり、発表の時の言葉遣いに、意味を意識させて使わせたり、本当に良い先生だったよ。
>>86
だよね。
え、まじ!ふつうに嬉しい。
応用問題とかいうやつかな?それも中学生なら親もわかんないかもしれない。
でも朝早くくるってのは自分でどうにでもなる話。
交通の関係でそうなったらそれはね……ご愁傷さまとしか言いようがないけど。
可能性は薄いしねぇ?
>>91
私の経験は昔すぎるけど解答はもらってなかった。
ただし市販の問題集から解答を抜いたやつなので、その気になれば同じものをもう一冊買えば解答は手に入ったw
いや私はそんなことしなかったけど。
教員は昔はラクだったのよ。無能な奴でも、子供相手に暇で安定してるから「教員にでもなるか~」、「教員にしかなれない」と言われて、教員のことは「デモシカ」と呼ばれていた。
時代が進むにつれ、勉強のこと、しつけのこと、何でもかんでも学校の責任、教員の仕事にされて忙しくなり、さらにいじめ事件などが起きると抑止効果も期待できないような書類作業が増え、「子供と顔を合わせる時間もない」という本末転倒を起こしてしまった。
本当は教員は子供ともっと顔を付き合わせて語り合いたい人が多いと思う。でも、今は激務で、とてもそんな時間がない。
>>92
>え、まじ!ふつうに嬉しい。
嘘偽りなく、本心だよ。
喧嘩板では散々言ってしまったけど、殺伐としてる特異的な場所だから仕方ないよ。
三笠もそこで、自分はダメだとか言ってたけど、もっと自分にプライドを持って良いと思う。
歴史関係については、少なくとも人よりは知識が豊富だし、三笠は三笠なりに努力してるから、胸を張っても良いと思うよ。
>朝早くくるってのは自分でどうにでもなる話。
10年前とは違って、今はネットが発達してるんだから、そこで訊いた方が時間的にも非常に効率的だと思うんだけどね。
塾や通信教育ほど便利ではないけど、ぶっちゃけて言えば、それらのほとんどがネットで事足りるんだよね。
非効率的だけど(笑)
>>93
皮肉ながら、時代の流れには逆らえないね。
体罰が禁止されたり、土曜日は休日になったり。
まあ、個人的にはどちらも賛成なんだけどさ。
ただ、今では怒鳴りつけるだけで体罰になるなったり、寝ている生徒を手で起こすだけで痴漢や体罰になったりすることもあるんだそう。
さすがにそれはやりすぎだと思う。
それもひとえに、キラキラネームをつけるような中卒のバカップルが量産されたことが問題だよね。そのバカップルは分数の計算すらもできないんだろうな。そのバカップルの元で育つ子供は、バカによって育てられるから、当然バカに育ってしまう。
俺がバカを嫌う理由として、このバカにいってバイオハザードの如く、バカが量産されてしまうことを懸念しているから。
少子化が進んでいる上、ニートも増加傾向にあるだけでなく、挙げ句小学生の将来の夢ランキングベスト5にユーチューバーとサラリーマン。
日本大丈夫なのかよ。
俺が定年になる頃、日本どうなってんのかな。
>>74
答えがあれば写したくなるようなちょっと難しい問題って、俺の経験上、応用問題くらいだし、しかも応用問題はそこまで多くない。これは数学だろうが国語だろうが同じことで、そもそも空白だらけになってしまうことは、100%とまでは言わないけど、ほぼほぼ有り得ないよ。
ましてや、テストでの正解率に拘ることはあっても、宿題での正解率に拘る人なんてほとんどいない。
答えを写そうとする人は、あたかも自分が解いたかのようにしたいから写すんじゃなくて、とにかく手っ取り早く終わらせようとする人なんだよ。
結論として、例え解答を配らなかったとしても、空白を作ることに抵抗力を感じさせる状況なんていうのは、十中八九有り得ないから、手っ取り早く終わらせたいという気持ちを行動に移してしまうんだ。
確かに、中には例外もいるかもしれない。空白を作っても良い状況であったとしても、宿題での正解率を気にする人がいるかもしれない。でも、それはやっぱり例外的な存在でしかないから、解答を配らないことは効果的とは言えないんだよ。
>>97
ノーマルは、解答を見るような奴は解答がなくても友達のを写すって言ってなかったかな。
友達のを写す時って、自分よりバカな友達のを写すかな。仲のいい奴の中では、なるべく頭のいい奴の答えを写すと思うんだけど。それって宿題の正答率を気にしてるんじゃない?先生に見せる提出課題なら、空白だらけ、間違いだらけよりも、正答率を上げたいという気持ちは働かないかな?
そんな時、究極に正しい答えが手元にあればそっちを使うだろう。
しかも友達のを写せばその友達に借りができる。写させてって頭を下げて頼まないといけない。いつもいつも「写させて」と言えばだんだん断られるようにもなるだろう。
やる気がなければいろいろ手を抜く手段はある。宿題なんて喜んで取り組む奴はまずいないから、誰だって手を抜きたいという欲望はある。
その欲望を簡単に満たし、宿題を出す教師側の意図(勉強させる)を手軽に無に帰することのできるアイテムをわざわざ最初から渡すべきじゃないということに何故反対するのか分からないなぁ。
手を抜くハードルが少しでも高ければ仕方なくある程度はやろうとする。だからわざわざ手抜き用アイテムを渡すべきじゃない。非常に単純な話なんだが。
>>99
>解答を見るような奴は解答がなくても
>友達のを写すって言ってなかったかな。
いやいや、ちょっと待ってよ。
南雲ケースの話から戦艦ケースの話にシフトチェンジしてない?
たった今、その>>97で、南雲ケースでは、そもそも空白を作りたくなるような問題は少ないということ、そしてその動機が、手っ取り早く終わらせたいがゆえということの2点から、そもそも友達のものを写すことはほぼほぼ有り得ないって言ったんだよ。
だって、友達のものを写さなくても、空白を作ったり、解答を丸写しするのは全体の1~2割程度だし、あたかも全て自分でやったかのように見せられるからね。
南雲のその反論は、あくまでも戦艦ケースにしか通用しない内容だよ。>>97において南雲ケースに焦点を当てた論理に対する反論として成り立っていない。
だから、以下の反論は、その戦艦ケースに焦点を当てたものになるけど、この点について、ちゃんとした反論をしてほしい。
>宿題の正答率を気にしてるんじゃない?
まず南雲と俺とで、なぜ答えを写したり空白を開けたりしてまで、宿題を終わらそうとするのか。ここに差違があると思う。
課題というのは"きちんとやって提出"することが認められればそれでいいわけだから、正解率なんてどうでもいいはずなんだよ。いかに自分の労力を消費せずに、宿題を片付けるか。これに尽きる。
だから、少なくとも俺はその前提で話しているし、宿題で正解率を気にするっていう考え方が分からない。
>究極に正しい答えが手元にあればそっちを使うだろう。
その点は否定しない。ただ、解答を取り上げたところで、とことん不真面目であるがゆえに、奴等は自分が楽するためなら手段は選ばない。だから、他人の目を気にするようなこともないし、だからこそ、何の躊躇もなく答えを写したり、赤ペンで解答から丸写ししたりできるんだよ。
友達から断られるのを避けるために、写させてもらう友達をローテーションさせたり、上手く言いくるめたりしてでも写すと思うよ。
もちろん、どうしても写させてもらえないときだってあるだろうけどね。
>何故反対するのか分からない
反対はしてないよ。ただ無意味だって言ってるのね。事の本質は、第2、第3の手がたくさんあるということなんだよ。職員が四六時中生徒を監視しているわけじゃないから、その抜け目を見つけて、ありとあらゆる方法で楽する道を見つけるんだ。
私は、私のケースも戦艦ケースもあると思ってるよ。
応用問題が多くないとしても、応用問題で空白が多いと、手抜きしてるのが先生にバレバレでしょ。楽な問題はやってるけど面倒な問題は空白。それは宿題を「ちゃんとやってきた」と見なされるの?さすがにテストではみんな手抜きしないと思う。つまりテストの成績から、この生徒はこの問題に手も足も出ない学力じゃない、と先生が見抜いているのに、宿題になると空白で提出する。それは手抜きが明白じゃないの。
それに少なくとも私は、宿題の正答率も気にしてきた。真面目にやれば正答率がどうでもいいなんて思えないよ。一方で、安易に解答を見るのはむしろ不真面目な行為だけれど、真面目に考えればこそ、考えても分からなかった時に「解答を知りたい」という欲望も強くなる。
私は正答率を気にする程度には真面目だけど、手元にある正解をあえて見ずに考え抜くほど誘惑に対して強い意志は持てない。
私が言ってるのは、丸写しは極端な例だけれども、答えがなければ5分は考える問題でも答えがあれば誘惑に負けて1分しか考えなくなることだ。
そんな私が多数派なのか少数派なのか知らない。けど、少数派だとしても、解答を渡すことによってデメリットが発生するなら、それを超えるほどのメリットがない限り渡すべきじゃない。
ノーマルは成績に影響しなければ正答率は気にならない?喧嘩に勝っても何の得にもならないが、始めたからには私は勝ちたくなる。宿題だって、たとえ成績に影響しなくても、取り組んだからには正解したくなる。
ノーマルは「解答があってもなくても真面目に考える人」と「解答があってもなくても義務を果たすために手段を選ばない人」の両極しか見ていないように私には見える。私はその中間、「解答がなければ仕方なく考えるけど解答があれば安易に見てしまう」層のことを考えて、無いほうがいいと言っている。
つまり、最も安易な抜け道があれば誘惑に負けて使ってしまうけれども、手間暇かけて第二第三の工夫をしてまでインチキをするくらいならそこそこ自分で考える、という層の人間が存在する限り、解答を渡すべきじゃない。
特に相手は小中学生だからね。四六時中監視は無理でも、先生は、出来る範囲で余計な誘惑はシャットアウトするくらいの面倒を見るべきじゃないかな。
>>103
返すのが遅くなってすまなんだ。
>応用問題で空白が多いと、手抜きしてるのが先生にバレバレ
そもそも宿題をやる生徒自身は、教師が自分の学力と照らし合わせて宿題チェックをするとは考えないんじゃないかな。数百人いるうちのたった一人である自分の学力をそれなりに把握してチェックするとはかんがえにくい。
それに応用問題だからこそ、そこまでは解けないほどの学力だと見なされると思う。というのも、今時の教師はぱっと見でチェックする人が大概だからだよ。ぱっと見って言っても、パラパラページをめくって一瞬だけ見るっていうのじゃなくて、答え合わせが抜けてないかだとか、解き忘れがないかだとか、そういった大体見た感じで分かるものをチェックして、合否判定する。
何で知ってるのかというと、授業中にチェックするケースが多いからだよ。教卓の前まで持ってこさせて、生徒の目の前でチェックする。ここが良い。ここがダメ。生徒個人の取り組み方を分析することで、学力の向上を図ってるという名目で、宿題チェックの負担を極限まで軽減させたいからだと思う。
もちろん、考査課題や連休課題なんかは、職員室の各担当の教師に提出するけど、そこでも多分、大雑把にチェックしてる教師が大半だと思うよ。
>真面目にやれば正答率がどうでもいいなんて思えないよ
ちょっと待ってよ。確かに解答を写してでも賢くなりたいと思う気持ちは分からなくはないけど、それは自分の学力を上げて正答率が高くなるようになりたいという、未来への目標であって、その場で分からなかった問題を、その場で分かったことにすることではないと思う。
俺が数学の課題をやってる時に、俺は分からない問題は分からない問題として、赤ペンで答えを写して、敢えて不正解として片付ける。だって分からなかったんだから、不正解みたいなものだし、正答率が良いからといって成績が上がるわけでもない。それに、その問題が自分の苦手問題だっていう目印にもなるしね。真面目なら、なおのこと正答率なんて気にするとは思えないんだよ。
それはさ、"解答を知りたい"という欲望じゃなくて、"手っ取り早く終わらせたい"とか"賢く見られたい"というマイナスな欲望なんじゃないの?
>始めたからには私は勝ちたくなる
始めたからには勝ちたくなるっていう気持ちは分からないわけじゃないんだ。ただ、上でも言ったけど、それは自力で解けるようになりたいっていう気持ちのことであって、答えを写してまで自力で正解したことにすることじゃないと思うんだ。
だって、始めたからには勝ちたくなるっていうのも、結局は自分だけしか知らない、自分だけの拘りみたいなもので、他人に見せるわけじゃないでしょ?
結局答えを写したって、それは自分が解けなかった事実として記憶されてしまうんだから、その口実は不自然すぎるよ。
やっぱり楽したいからなんじゃないの?
そう思う人は、逆に模範解答からどうしてそのような答えになるのか、理屈を理解しようとして、考え方を学習するんじゃないかな。理科や社会科などの暗記科目で言えば、答えを見ることは効果的と言えるし、数学みたいに自分で筋道立てて考える問題なら、問題の解き方やパターンを覚えることに繋がると思う。
極限に不真面目な人、とことん真面目な人、そしてその中間的な人。俺はこれらを、宿題を写すかどうかで区別してるから、2パターンになると考えている。だから中間的な人のことを度外視していたり、見落としていたりするわけじゃない。中間的な人も、極限に不真面目な人も、共通しているのは、"答えを写す理由が楽をしたいから"っていうこと。解答を奪ったところで、そもそも別の手があって、それは解答がある時と同じ結果を生むから、無意味だと俺は思う。
訂正
×その口実は不自然すぎるよ。
○その理由は不自然すぎるよ。
南雲は自ら脳内変換してくれるとは思ってるけど、これはさすがにニュアンスが違ってくるから訂正しておいた。
っていうか"口実"の意味を勘違いしてただけなんだけどね(笑)
>>105
だからさ、ノーマルのところの先生は解答を一緒にくれるんでしょ。「解答を渡さないほうがいい」というのが私の主張。なのに「解答を渡してる先生」の行動が手抜きであることが、解答を渡すべき根拠にはならないでしょ。渡さない先生が、あえて渡さない意味がなくなる行動をしてるのなら別だけど。でも、その場合でもみんな同じことをしてるわけじゃないから、どっちみち根拠にならないよ。
>それは自分の学力を上げて正答率が高くなるようになりたいという、未来への目標であって、その場で分からなかった問題を、その場で分かったことにすることではないと思う。
生徒にはいろんな人がいるんだよ。「俺は~」って続く文章があるけど、ノーマルのように考えて行動する生徒もいれば、別のことを考える生徒もいる。例えば、ノーマルのようにする人が多数派だったとしても、残り少数派である私の言うような人が存在していたら、解答を渡すべきじゃない。
たとえ解答を抜くことが過半数の生徒にとって役に立たない場合でも、一定少数のためになるなら、抜くべきじゃない?全員がノーマルの考える理屈どおりに行動するわけじゃない。たとえ1割の生徒にしか有効でなくても、有効であればそうするべきでしょ。
>やっぱり楽したいからなんじゃないの?
そう、楽をしたい。まじめに宿題をやろうとしている人にだって、楽をしたいという気持ちがある。誘惑と言ってもいい。
もしも生徒たちがみんな本当にマジメであれば、それこそ宿題そのものが必要ない。宿題なんかなくても、自主学習するだろう。でも、実際そうはいかない生徒が多いから、宿題という強制力を使う。強制されるから、仕方なく宿題をするんだ。そんな人たちは、楽をしたいと思ってる。
そんな人たちに、「解答」という極楽アイテムを渡してしまったら依存するだろう。何度も繰り返すけど、「解答がなければ5分考える人も、解答があれば1分しか考えずに見てしまう」ということだ。数学では考えることが大事。5分でももちろん短すぎる。すぐに分からない問題でも、じっくり考えて出来る限り自分で解答を導き出すことが重要なのに、そこに解答集があれば、「考える」という苦行をせずに誘惑に負けて見てしまう。全員そうだとは言わないけどそうする人がいる。
解答集に書いてある解説を読んで、「なるほどこういう解き方をするのか」と知ったところで大して学力の伸びにはならない。数学は、自分で考えるプロセスが必要なんだから。
それに私の>>103
>真面目に考えればこそ、考えても分からなかった時に「解答を知りたい」という欲望も強くなる。
数学は謎解きだからね。マジメに読んだミステリー小説ほど、犯人が気にならないか?どんなトリック(数学で言えば解法)が使われてるのか、考えれば考えるほど知りたくなるだろう。ミステリー小説は別に探偵養成の教材じゃないから、そのまま小説の名探偵が謎解きしてくれるのを一気に読めばいい。でも数学は、自分で解けるようになることが必要だから、そのまま名探偵(模範解答)まで一気に進んじゃいけないんだ。
「考えても分からない」ということは、成績度外視でも、それ自体がくやしいことじゃないか。考えても分からなかった時、どうするか。①あきらめる、②解答を見る、③もう少し考えてみる。でも解答がなかったら?②解答を見る、の人全員が、②'友達のを見る、を選ぶわけじゃないだろう。②がなければ①を選ぶ人もいれば、③を選ぶ人もいるだろう。「解答がなければもっと考える」という人がいるなら、その人たちのために、解答は抜いておくべきだ。
>解答を奪ったところで、そもそも別の手があって、それは解答がある時と同じ結果を生むから、無意味だと俺は思う。
解答を渡されている以上、「決して見てはなりません」(←鶴の恩返しかw)ということではないだろう。答え合わせのためなどに見てもいいと先生が判断するから解答を渡してるはず。解答をもらってるのだから、見ることはルール違反じゃない。でも、解答を渡されなかった時、友達のを写すのはルール違反だ。だから、「違反じゃない楽な道」を選ぶ人が、みんなそのまま「違反の楽な道」には流れないんだよ。
私が何度も繰り返してる「1分考えて分からなければ解答を見るけど、解答がなければ5分考える」という人もいる。これは上の例で、解答があれば②を選び、解答がなければ③を選ぶ人だ。この人は、考え始めた4分後に自分で解法を見つけるかもしれない。そういう場合は、解答があることで、自力で解けた問題を自力で解かなかったことになり、勉強としては非常に失うものが多い。
そんなケースは決して少なくないだろう。
1分考えて解答を見る人は、解答がなくても1分で空欄にするとか、1分で友達に聞くとは限らない。むしろ、仕方ないからもうちょっと考えてみるという選択をするのが普通じゃないかな。
だから、解答を抜くことには意味がある。