分析哲学専用スレッド

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1名無しさん
2020-05-26 02:17:18
ID:FNFCqs0c

永井均@hitoshinagai1

分析哲学はそれ自体として非常に優れた成果を生んでいるのに
自らを他の哲学と対比して価値づける際に作り出すイデオロギーはルサンチマン的で出来が悪い。
未だにその口吻を真似る若い人もいるのだが。
出来の悪い理系の人が理系‐文系の対比を持ち出す際のくだらなさに構造が似ている点は少し興味深い。


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2名無しさん
2020-05-26 02:19:31
ID:FNFCqs0c

>>1

Masashi Kasaki@kasa12345

分析哲学が他の哲学に対して優位性を主張しているというのは、
おそらく大昔の印象論でしかないと思うけどなあ。
日本の哲学教育はそれなりに多くの哲学、哲学史分野をカバーするし、
様々な分野をやる院生が同学年や先輩にいるという状況なのでそんな簡単にdisれない。

https://twitter.com/kasa12345/status/1264964279641374720

3名無しさん
2020-05-26 02:23:55
ID:FNFCqs0c

>>2
むしろ全く違う世界観や価値観、全く違う方法論で研究しているのに
妙に棲み分けしていることの方がおかしいとは思わないのか。
人間関係で批判するかしないかを決めている気持ち悪い世界。
disれよ!優位性を主張しろよ!!馬鹿どもが…

4名無しさん
2020-05-26 02:28:44
ID:FNFCqs0c

Twitterでフランス現代思想の千葉雅也を煽った哲学的論理学の矢田部俊介は一瞬、なかなかの喧嘩師だと思ったが、速攻で土下座してしまった
これだからいまの(日本の)哲学者は駄目なんだ

ちゃんと喧嘩しろよヘタレどもが!!

5名無しさん
2020-05-26 02:29:31
ID:FNFCqs0c

https://twitter.com/masayachiba/status/1204435441736282112

千葉雅也@masayachiba

論理学者の矢田部俊介さん(@ytb_at_twt)のツイートを転載します。「この話でいつも思い出すのが、千葉雅也先生が「オレは有能だ、中央官庁でも大企業でも出世する(大意)」ってツイートしていた件で。絶対に無理だと思うんですよ。あの人と一緒に働きたいという社員はいないと思うんですよ。」

ブロックされているので転載しました。このツイートは、博士号取得者が企業で評価されないのは小規模自営業者のエートスだからだ、という話の流れで、その例として私が上がっているのですが、(大意)による単純化、また「一緒に働きたいという社員はいない」という推測による断定は不当だと思います。

もっとも私が自営業的エートスなのは自認するところですが、現に私は副研究科長を務めているし、組織内的な仕事をしています。それで、「組織内のピアが私と一緒に働きたくないと思っている」と言い換えられるだろうこのツイートは、現在の私の職務に対する意気を毀損するものであり、大変不快です。

そもそも私は矢田部さんに一度もお会いしたことがなく、当然一緒に働いたこともありません。ツイッターでの印象なのか、私が「社員向きでない」と見えたところで、私の実務の適性についてなぜ勝手に言えるのか。矢田部さんは何も私の実務状況を知らないのに、です。これは邪推というか、妄想です。

ブロックされているのでここで言ってもしょうがないでしょうが、勝手な推測を流布し、私に対するオーディエンスの印象を悪化させる可能性もあるこの不当なツイートに対し、私は謝罪を要求します。

6名無しさん
2020-05-26 02:30:44
ID:FNFCqs0c

https://twitter.com/ytb_at_twt/status/1205331394567651329

ytb@ytb_at_twt(矢田部俊介)

今回の私のツイートによって、千葉雅也先生に大変なご心痛を与えましたことをお詫びいたします。
当該ツイートにおける先生への言及は、本題から外れた全く必然性のないものであり、悪意があると先生に受け取られて当然であると思います。

また、その次の「マシュマロ」における言及は、控えめに言っても悪意のみを感じられて当然のものでした。
これらのツイートを撤回するとともに、謝罪させていただきます。

7名無しさん
2020-05-26 02:39:26
ID:FNFCqs0c

分析哲学が他の哲学を批判する時に「悪意」が先走りがちなのは、
割と普遍的な現象なのではないだろうか。
日本の哲学界はその腐臭に蓋をしているにすぎない。

永井均はさすがの嗅覚でこのかすかな腐臭を嗅ぎ取り、
そこに「ルサンチマン」が含まれていることを指摘しているわけだ。

その「くだらなさの構造」には、分析哲学の本質的な欠点なり弱点が含まれているのではないだろうか。

もう少し多くの事例を観察して「分析」したいところだが、
上記の「棲み分け」によって論争自体が希少なため、
なかなか難しいのが実情である。

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