>>697
>比喩ならば対応するものがあるはずです。
なるほどな。俺とお前とで共通認識がないのは"比喩"だな。だから平行線を辿るわけだ。
いいか?どの文章や言葉にも、それ以上分割してはいけない"最小単位"ってもんがある。それ以上分割したら、発言者が意図した本来の意味合いとズレて正しく相手に伝わらないからだ。
今回において俺の発言である「俺が公平なジャッジを下す」と「この世の~」にも最小単位がある。
「公平なジャッジを下す」で最小単位。
「この世の全ての真理を理解させてやる」で最小単位だ。
お前はこれを前者が「公平なジャッジを、下す」と。
「この世の全ての真理を、理解させてやる」と。
こう分割してしまったわけだ。
しかしそれは違う。
「下す」であれば理解させてやることになるのはお前と同意見だ。
なぜなら、お前の言う通り「下す」とは要は自分の意見を示すことであって、喧嘩に対して下す(示す)のであれば、それはただの横槍にすぎず、それは喧嘩への参入に他ならないからだ。
しかし、「公平なジャッジ」という前提条件がついていれば、それは違う。
なぜなら、公平なジャッジということは、「下す」のは判定人ということだ。判定人は双方(喧嘩をしている当事者)の合意の上で用意された役割であって、その役割とは「勝ち負けの判断」であって、喧嘩への参入をすることではない。
サッカーの審判だってサッカーはしないし、裁判長も裁判をしないのと同じだ。
争うのは当事者だが、判定人は争いや勝負に参入するものではない。
つまり、纏めると。
「下す」のであれば「理解させてやる」ことであるが、
「(公平な)ジャッジを下す」のであれば「勝ち負けを決める」ことで、
分割するかどうかで意味合いは大きく変わる。
分割する役割を担っているのは「句読点」だ。
「文」を分割するのが「句点」。
「単語」を分割するのが「読点」。
今回「公平なジャッジを下す」という風に、一切読点は含めていない。つまり、これで一括りにされているのは、これどれ一つ欠けてはならない最小単位であり、これでやっと初めて特定の意味を持つ。
俺は闇雲に句読点を用いているわけではなく、読み手の立場になって、読みやすい文章を心掛けている。
それが例えお前であってもだ。