平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

103、《短小tinko》
2019-01-12 18:35:50
ID:89AUxsM.(sage)

ルソー『学問芸術論』より


第一部

 人間が自らの力によってなんらかの方法で無から旅立ち、自分たちを取り巻く闇を理性の光で切り開いて、さらには自分自身を乗り越え、精神の力で神の領域にまで上り詰め、太陽に比すべき巨人のような急速な歩みで広大な地球を走破し、そして何より困難で偉大なことには、自分自身の探求のために自己の内面に立ち戻って、人間の本質、人間の使命、人間の目的を極めていく、そのありさまを見ていくことはまさに壮観であります。そして、この素晴らしい歩みのすべてが、つい最近、再び繰り返されたのです。

 ヨーロッパは原始時代の未開状態に戻っていました。現在では文明化しているヨーロッパの人々が、つい数世紀前までは、無知よりもひどい状態の中で暮らしていたのです。無知以上に軽蔑すべき何かよく分らない隠語が知識の占めるべき場所を横取りして、知識の復帰を妨げる乗り越えがたい障害となっていたのです。

 並の判断力を取り戻すにさえ、一種の革命が必要でした。そして、それは思いも寄らぬ方角からやって来ました。私たちの文芸を復興させたのは、なんと文芸の永遠の敵、無知なるイスラム教徒だったのです。彼らがコンスタンチノープルを陥落させたおかけで、古代ギリシャの残骸がイタリアにもたらされ、次にフランスがこの貴重な遺品を受け継いで潤いました。文芸のあとからはすぐに学問が続きました。つまり書く技術に考える技術が加わったのです。この進み方は一見奇妙に見えますが、ごく自然の成り行きだったのです。

 そして人々は文芸の神ミューズとの付きあいから得られる代表的な利点に気づき始めました。その利点とは、人の称賛に値する作品をつくって好評を博したいという欲求が人々の間に生まれて、人々を社交的にするということです。

 肉体に欲求があるように、精神にも欲求があります。そして、肉体の欲求が人々の間に付き合いを生み出すとすれば、精神の欲求は人々の付き合いに楽しさを生み出します。

 国とか法律とかは、こうして集められた人々に安全と物質的な充足を保証しますが、おそらくそれらよりもやさしくはあってもはるかに強い力を持つ学問や文学や芸術が、人々をつないでいる鉄の鎖に花輪をかけて、生まれつき持っているはずの自由に対する気持を封じ込めて、束縛された状態を気に入るようにしていきます。こうしていわゆる文化的な国民が生まれるのです。

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: