平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

104、《短小tinko》
2019-01-12 18:37:08
ID:89AUxsM.(sage)

いわば人々の欲求が王座を作り出して、学問や芸術がそれを強固なものにしていると言っていいでしょう。だから、この世の支配者たちは、いわゆる文化人を可愛がるべきです。そして、この文化人を援助している人たちを大切にすることです。また、文化的な国民もまた、文化人を援助すべきです。彼らが自慢にしている高尚な趣味をもてるのも、文化人がいてこそだからです。この高尚な趣味こそは、都会的な洗練さをもったやさしい人間をつくるのであり、人付き合いのうまい愛想のいい人間、つまり、見せかけだけの美徳を備えた人間を作り出すのです。こうして彼らは幸せな奴隷となるのです。

 かつて豪華と絢爛を誇ったローマやアテネが他に抜きんでていたのは、実を言えばこの隠すほど値打ちがあがるという趣味の高尚さだったのです。そして、現代が他のあらゆる時代に勝っているのも、わが国が他のあらゆる国に勝っているのも、疑いなくこの趣味の高尚さのおかげなのです。

 この国民が持っているてらいのない泰然とした態度、自然さを失わずしかも思いやりに満ちた行動様式は、ドイツ人の無骨さともイタリア人の大げさな身振りとも、等しく遠いものです。これこそは、よく勉強することで身につき、社交界のつきあいの中で完成される高尚な趣味のたまものなのです。

 もし人の顔を見れば、常にその人の心が分るなら、人生はどれほど楽になるでしょうか。慎みを美徳としていて、生き方が社会のルールと一致していて、哲学者の肩書きを持っている人が常に真の哲学者なら、この世はなんと素晴らしいものになるでしょうか。しかし実際には、これほど多くの長所を一人で持っている人はめったにいませんし、美徳がそんなに華麗な姿で現れることはまれなのです。

 確かに、飾り立てた服装をしている人が高尚な趣味の持ち主であるかもしれませんが、その人が立派な人かどうか、健全な人かどうかは、他のところを見なければなりません。頑強な肉体を見つけるには、宮廷の人間が着るような金ぴかな衣装の下ではなく、農民の着るような素朴な服装の下を探さねばなりませんが、それと同じように、美徳、すなわち頑強な精神は、虚飾とは無縁のものなのです。

 美徳を備えた人間とは、裸一貫で勝負することを好むいわば筋骨たくましい人のことです。そのような人は、つまらない飾りを嫌います。なぜならそのような飾りは力を発揮するときの邪魔になるし、もともとは何らかの欠点を隠すために作られたものが多いからです。

 今では文化が進んで礼儀作法が形成されて感情を素直な言葉で表現することがなくなっていますが、昔のわたしたちは粗野ではあってももっと自然な振舞い方をしていました。だから、昔は振舞い方の違いを見れば、すぐにその人の性格が分ったものでした。その頃の方が本質的に人間がすぐれていたとは言いませんが、互いに相手の気持が手に取るように分っただけに、安心して付きあえたことは確かです。そして、このおかげで、当時の人たちは多くの悪徳に手を染めずにすんだのです。しかし、現代のわたしたちは自然に振舞うことの値打ちが分らなくなってしまっています。

 この高尚な趣味はさらに洗練の度を加えていき、人の感情を害さない振舞いをすることが道徳にまでなってしまって、今日では人々の行動様式に安っぽいうわべだけの画一性が支配するようになってしまいました。人々の精神は全部同じ鋳型にはめられてしまったかのように見えるのです。いついかなる場合も、礼儀作法を守って、上品に振舞うことが要求され、いついかなる場合も、慣習に従って行動しなければならず、自分の生まれつきのままに生きることなど御法度です。人々は決してありのままの自分の姿を見せようなどとはしないのです。

 社会という名の集まりを形成した人たちは、こうして永遠に続く束縛状態の中に置かれて、何か強力な動機でもないかぎり、同じ状況下ではまったく同じ行動をするようになったのです。

 そのために、わたしたちは自分が相手をしている人間が一体何者なのかまったく分りません。そして、自分の友人がどんな人間かを知るためには、人生の重要な節目の時が来るのを待たなければならないのです。しかし、その時はもう手遅れです。なぜなら、まさにそんなときのためにこそ、自分の友人の本性を知っておく必要があるからです。

 相手の性格が分らないということからどれほど沢山の悪徳が生まれるでしょう。心からの友情も、偽りのない尊敬も、確固たる信頼感もなくなってしまうでしょう。そのかわりに生まれるのは、猜疑心であり、不信感であり、恐怖心であり、非情さであり、警戒心であり、憎しみであり、裏切りです。それらは上品さという画一的な偽りのベールの下に隠されることでしょう。それらは現代の英知のおかげで手に入れたご自慢の都会的洗練の下に隠されることでしょう。

 人々はもはや汚い言葉で悪態をついて神の名を汚すことはなくなりますが、そのかわりに神が冒涜されるのを耳にしても私たちの良心が痛むことはなくなるでしょう。自分の手柄を人前で自慢することはなくなりますが、そのかわりに人の手柄をおとしめるでしょう。自分の敵を面と向かってののしることはなくなりますが、巧妙に相手の評判を落とそうとするでしょう。国民同士の憎しみは弱まりますが、そのかわり愛国心も弱まってしまうでしょう。軽蔑すべき無知はなくなりますが、そのかわりにすべての認識を否定する危険な懐疑論が幅を利かせるでしょう。

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