平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

109、《短小tinko》
2019-01-12 19:00:25
ID:89AUxsM.(sage)

はしがき

 本小論は、数年前、己が浅学非才を省みることなく企図しその後投げ出してしまった大作の一部分である。かつて書きためておいた様々な断片の中で、最もまとまりがありかつ公表に値するのはこれぐらいのものであろうかと思われる。残りはもうない。
第一巻

 この本の目的は、国の統治機構のあるべき姿についての原理原則を社会秩序のなかに見出すことです。その際、人間の本性と法のありうべき姿を同時に考慮に入れるつもりです。この研究においては、正義と実益を常に両立させるために、正義にかなう事と利益の要求する事を常に一致させることに努めるつもりです。

 私はこのテーマの重要性の証明は抜きにして直ちに本題に入るつもりです。「政治のことを論ずるとは、お前は国王かそれとも政治家か」と問う人がいるかもしれません。この問いに対して私は「そうではない、が、そうではないからこそ私は政治を論じるのだ」と答えるでしょう。そもそも国王や政治家が何をなすべきかについてあれこれ論じて時間を浪費するでしょうか。私なら実行あるのみです。

 天下国家の問題に私ごときが何か言ったところで甲斐のないことかもしれません。しかし、自由な国の一市民として、また自治組織の一員として生まれた私には、投票権が与えられています。それゆえ私には天下国家の問題に熟知しておく義務があるのです。私は統治機構の研究をしながらいつも幸福な思いに満たされます。なぜなら、この研究が進むにつれてわたしの祖国スイスの統治機構を賞賛する理由が益々増えていくのを発見するからです。

 

第一章  第1巻について

 

1. 人はみな何にもしばられない自由な身で生まれてきます。ところが、世の中に入るとあらゆるしがらみにがんじがらめにされてしまいます。いや、王侯・貴族の人たちは自分たちは支配者なのだから自由だと思っているでしょうが、実はその彼らの方が家来たちよりも、はるかに多くのしがらみに囚われて暮らしているのです。では、なぜ、このようなことになってしまうのでしょうか。私はこの問いに対する答を持っておりません。しかし、この社会のしがらみをどうすれば正しいものにすることができるか、この問いについてなら私は答えることができます。

2. もし、この世の中が弱肉強食の世界であり、勝てば官軍の力と力の世界であって、それでよいのだと考えるならば、何も考えることはありません。人々が服従を強制されて服従する、それもまたよし、その人々が力をつけてその強制から脱けだす、それもさらによしであります。彼らの自由を奪ったのも、また彼らが自由を取り戻したのも、強いものが勝つという同じ原理に由来しているのですから、人々から自由を奪ったのが正しかったのと同じように、人々が自由を取り戻したのも正しい道理にちがいありません。しかしながら、この世には秩序というものが必要不可欠です。そしてこの秩序こそは正義であり、人間の他のあらゆる権利の土台となるものです。しかし、これは決して自然に生まれて来るものではなく、人と人との約束事、つまり契約に基づくものなのです。そして問題はまさにこの契約の中身をどのようなものにすべきかということなのです。が、しかしその前に、これまで述べたところをまず具体的に説明して参りましょう。

 

第二章 最初の共同体

 

1. この世で最初に生まれた共同体は家族です。しかも家族はただ一つ自然に発生した共同体です。しかし本来、子供が父親の束縛を受けるのは自己保存のために父親を必要としている間だけのことであって、この必要がなくなるとこの自然に生まれた束縛も終わってしまいます。そうなればもう子供は親に服従する義務から解放されます。一方、親の方も子供を養育する義務から解放されます。こうして両者は共に本来の気ままな自由を回復するのです。そして、もしこの段階を過ぎても両者が一緒に暮らし続けているとすれば、この結びつきはもはや自然に生まれたものではなく、本人たちの選択によるものです。そうなれば家族自体も、両者の合意すなわち契約のみによって維持されていくのです。

2. 両者が回復したこの気ままな自由は、人間の自然な状態の当然の帰結です。つまり、自分の身の安全は自分で守り、自分の面倒は自分で見るというのがこの世の第一のきまりなのです。子供の頃はともかく、人は物事の分別がつく年齢になれば、自分のことについてはもうあれこれ人の指図は受けずに、自由気ままに暮らせるのです。

3. したがって、このような構成員からなる家族は、政治的な共同体の最初の雛形と見ることができます。たとえば、国家の長はいわば国家の父親であり、国民はその子供であるというふうに言うことができます。そして、その構成員は全員が等しく自由に生まれて来ているのですから、仮にこの気ままな自由を手放すようなことがあるとしても、それは自分自身のためになる場合に限られているのです。国家と家族の唯一の相違点は、家族の場合は父親が子供の面倒を見ることによって子供に愛情を感じるという喜びがあるのに対して、国家の場合は支配者が国民に対して愛情を感じることがない代わりに、人を支配する喜びを感じることができるという点でしょうか。

4. 人間の作る支配機構は全て支配される人たちのために作られているのですが、グロティウスはこの意見に反対です。そして、彼は奴隷の存在をその実例として挙げています。これはグロティウスがよくやる理由づけのやり方で、彼は事実さえあればそれで正しさの証明になると思いこんでいるのです。もっと論理的なやり方がありそうなものですが、これほど独裁者たちに好都合な理由づけのやり方は他には思いつかないほどです。

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