平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

110、《短小tinko》
2019-01-12 19:02:00
ID:89AUxsM.(sage)

5. こういう次第ですから、グロティウスの言うことを聞いていると、一体、人類は百人ばかりの一握りの人間のためにいるのか、それとも逆にその一握りの人間が人類のためにいるのか分からなくなってしまいます。もっとも、彼の本をよく読んでみると、グロティウスの意見はどうもこの二つのうちの最初の方に傾いているらしいのです。実は、ホッブスも彼と同意見です。この人たちの手にかかると、人類は家畜の群れにされてしまいます。かれらはこの家畜の群れを分割して、各群れごとにその世話をする飼い主をあてがいます。飼い主たちは、好きなだけその家畜を取って食っていいというわけです。

6. そして「飼い主は家畜の群れよりも生まれつき優っているのと同じように、人間の飼い主である支配者たちも、その国民よりも生まれつき優っている」というのです。事実、皇帝カリグラはまさにこのように主張したと、ユダヤの哲学者フィロンは伝えています。カリグラはここからつぎのような結論を導き出しました。すなわち「国王は神であるにちがいない、さもなければ国民の方がけだものでなければならない」と。これは、さっきの類推を応用すれば当然出てくる結論であることには違いありません。そして、このカリグラの理屈はまさにホッブスとグロティウスの理屈にほかならないのです。

7.アリストテレスは「人間はけっして生まれながらにして平等ではない、奴隷になるべく生まれる者もいれば、主人になるべく生まれる者もいる」と誰よりも先に言っています。そしてこの理屈はある意味では間違ってはおりません。ただし、アリストテレスは原因と結果の関係をさかさまにとらえていました。奴隷の親から生まれたから奴隷になる、確かにその通りで、これ以上確かなことはありません。拘束のもとに置かれた奴隷は何もかも無くしてしまい、ついには自由になりたいという欲望さえも無くしてしまうのです。その上、けだものに変えられたオデッセイの家来たちがけだものの生活を愛したように、奴隷たちは奴隷の生活を愛するようになってしまうのです。しかしながら、もし仮に生まれついての奴隷というものがいるとしても、それはかつて生まれつきでない奴隷がいたからにほかなりません。この最初の奴隷は無理矢理奴隷にされたのであって、彼らは気力を失ってしまったために、ずっと奴隷でありつづけただけなのです。

8. ここまで私はアダム王のことや、あの皇帝ノアのこと、それにノアの子供で世界を三つに分割して支配した三人の王、セム、ヤペテ、ハム(まるでギリシャ神話のクロノスの子供たち、ゼウス、ポセイドン、ハデスの三人とそっくりです)について言及することを一切控えてきましたが、読者のみなさんは私のこの控え目な態度をきっとほめて下さると思います。というのは、みなさん、実は私はこの王たちの直系の、しかもおそらくは正統な血を受け継いだ子孫なのです。ですからよく調べて頂きさえすれば、必ずや私こそは全人類の正統な王であるということが判明するはずです。私のことはともかくとして、ロビンソンクルーソーが無人島の王であったのですから、アダムが世界の王だったということは否定しがたい事実です。なぜなら、アダムはこの世の中のただ一人の住民だったのですから。この帝国のありがたいところは、この国には反乱の心配もなけれれば、戦争の心配もないし、陰謀を企てる者が現れる心配もなく、王の地位が極めて安泰であったということです。

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