平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

111、《短小tinko》
2019-01-12 19:03:09
ID:89AUxsM.(sage)

第三章 強者の権利(勝てば官軍)

 

1. どんなに力の強い者であっても、いつかは自分より強い者に出会って打ち負かされる日が来るものです。そこで、そうなる前に彼は、力は正義だ、この力に服従するのは義務であると主張して、自分の地位の安泰を図ろうとします。そこであみ出されたのがmight isright、つまり「強者の権利」という言葉です。これは一見皮肉を込めた言い回しのように見えますが、実はこれが実際に原理原則として通用しているのです。しかし、この言葉の意味を一度詳しく説明してもらいたいものです。力というのは物理的な力のことであって、そんなものを行使した結果、義務などという道徳的なものが生まれるとは、私はどうしても信じられないのです。力に屈伏するのは、何も自ら進んですることでなくて、やむを得ずすることです。ですから、それはよく言っても賢明な行動でしかありません。これがどういう意味で、道徳的な義務などと言えるでしょうか。

2. ここでしばらくの間、この「強者の権利」なるものが存在すると仮定してみましょう。しかし私はそこから生まれて来るのは無意味な混乱状態でしかないと思うのです。なぜなら、力が原因となって、結果として正義が生まれるのなら、結果である正義は原因が変わるとともに変化してしまい、力が力を征服するたびに正義の持ち主がつぎつぎに移り変わってしまうからです。また、不服従はそれが罰せられないと途端に正義と名を変えてしまうことでしょう。そして、一番強いものだけが正しいのですから、問題はどのようにしてそうなるかということだけに限られてしまうでしょう。しかし、力が消え去るとともに消え去ってしまうような正義とはいったい何でありましょうか。服従を力で強制しようとする限りは、服従は義務とはなり得ませんし、服従が強制されなくなってしまえば、もはや服従する必要もなくなってしまうのです。以上から分かるように、力を正義と言い換えたところで、何も得られないのです。「強者の権利」などという言葉は、なんの意味もないのです。

3. 「権力者には服従せよ」といいます。もしそれが単に力に屈伏することを意味するなら、もっともな忠告ですが、余計なお世話でもあります。みんなもう既にそうしていますし、今後もそうするしかないからです。「あらゆる権力は神々が下さるものである」。いいでしょう。しかし、あらゆる病気もまた神々が下さるというではありませんか。しかし、だからといって医者を呼ぶことが禁止されているでしょうか? 森のまん中で強盗に襲われたら、財布を差し出すのはやむをえないことでしょう。しかしなんとかして強盗の手から財布を守れそうなときにも、必ず財布を差し出さねばならないでしょうか? いいえ違います。結局のところ、強盗の手に握られた拳銃もまた正当性を欠いた一つの権力にすぎないからです。

4. 以上から、力が正義を作り出すことなどないということと、服従の義務があるのはもっぱら正当な権力に対してのみであるということは、認めざるを得ないのです。こうしてわれわれはつねに、正義が因って来るところの契約の中身という最初の問題に引き戻されるのです。

 

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: