平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

116、《短小tinko》
2019-01-12 19:12:50
ID:89AUxsM.(sage)

第七章 主権者について

 

1. 様々な名前をこのように整理すれば、社会契約というものが共同体と個人の間の相互の約束事であるということがよくわかると思います。ですから、社会契約とは各人がいわば自分自身と契約することであり、次にあげる二重の意味で契約することなのです。つまり、各個人はまず第一に主権者の一部として各個人に対して契約を結ぶのであり、第二に国家の一員して主権者に対して契約を結ぶのです。民法では、人は自分自身との契約によっては拘束されないとされています。しかし、この民法の原則を社会契約に適用することはできません。なぜなら、社会契約における自分自身との契約は、単に自分自身に対して義務を負うのとは違って、自分の所属する集団に対して義務を負うことだからです。

2. さらに言いますと、国の決議によって主権者に対する義務を一般民衆に課すことは可能ですが、それは各人が上記のように異なった二つの顔を持つと考えられるからです。しかし、逆の理由から(=二つの顔を持っていないという理由から)、国の決議によって、主権者自身に対する義務を主権者に課すということはできないことを忘れてはなりません。それは結果として、自分が破れないような法律を主権者が自分自身に対して作ることになり、市民共同体の本質に反することになるのです。なぜなら、主権者はたった一つの顔しかもっていないため、個人が自分自身と約束するのと同じ立場に立つからです。ということは、全体としての国民を拘束するどのような基本法も社会契約も存在しないし、また存在できないということになります。といっても、社会契約の内容に反するものでないかぎり、他の国に対する契約によって自分自身を拘束することはできます。外国との関係においては、市民共同体も一個の存在つまり個人と同じものになるからです。

3. とはいっても、主権者である市民共同体の存在はひとえに社会契約が神聖不可侵であるということにかかっているため、たとえ外国に対する義務を負う場合でも、最初に作られた社会契約を損なうよう義務を負うことはできません。例えば自己の一部を譲渡したり、他の主権者に自己を従属させるような約束はできないのです。現在の主権者を誕生させた契約を破るなどということは、主権者自身の自己否定になってしまいます。そして、社会契約が無に帰してしまえば、主権者の存在もまた無に帰してしまうのです。

4. このようにして大勢の人間が社会契約で一つの共同体として団結したのちは、その構成員を傷つける行為があればそれは即ち共同体を傷つける行為であり、逆に共同体を傷つける行為があればそれは即ちその個々の構成員を傷つける行為となります。つまり、共同体とその構成員というこの二つの契約当事者は互いに助け合わねばならず、それが双方にとっての義務でありまた利益となるのです。つまり、共同体の中では同じ人間が二重の役割をもっており、その一方から得た利益は全てをもう一方から得た利益と結びつける義務があるのです。

5. さて、主権者はこれを形成する個人の集まりで成り立っていますから、主権者は個人の利益に反するようなことには関心がないし、また関心があるはずがありません。ですから、最高の権力者は一般民衆に対して担保を差し出す必要はまったくないのです。なぜなら、共同体がその全ての構成員を傷つけようとすることなどあり得ないからです。また、後に第二巻の法律の章で述べるように、共同体は特定のどの構成員を傷つけることも出来ないのです。そもそも主権者たるものは、それが主権者であるというただその一事によって、それがあるべき存在であることが保証されているのです。

6. しかし、主権者が一般民衆を傷つけることはないとは言えても、その逆が真であると言うことはできません。個々の国民に契約を遵守させる何らかの方法が存在しないかぎり、国民は、それが共通の利益につながるにもかかわらず、必ず契約を遵守するとは言えないからです。

7. なぜなら各個人は、みな市民としては全体の意志を共有していますが、人間としては、全体の意志に反する、あるいは、それとは異なる個人的な意志を持っている場合があるからです。人は個人的な利益のために、全体の利益に反する行動をとることがあるのです。本来人間は別々に暮らしており、また生まれつきの気儘な自由をもっているため、公の義務を不当なサービスであると考える人も出てきます。この義務を果たすのは自分にとっては大きな負担だが、自分一人ぐらいこの義務を果たさなくても全体にとっては大した損害にはならないはずだと、考えるわけです。また国家という人為的な人格などは単なる架空の存在で本当はそんな人はいないのだと思う人も出てくるでしょう。そんな人たちはきっと市民としての権利の行使には熱心でも、一般民衆としての義務の方は全く省みないということになってしまうでしょう。この種の不正の蔓延は市民共同体の崩壊へつながるのです。

8. それゆえ、社会契約が実態のない形だけのものになることを避けるために、全体の意志に従おうとしない者はこれに従うように共同体によって強制されるということが、暗黙の了解として契約の中に含まれているのです。この了解があってはじめて他のあらゆることが有効になります。全体の意志に従うことを強制されると言っても、それは自由を奪われることではなく、自由を保つことを強制されるということなのです。なぜなら、市民が自分を国に委ねてあらゆる私的な従属関係から解放されるためには、自由を保っていなければならないからです。また、市民が自由を保っていてはじめて、政治機構を巧みに運用することが可能となるのであり、社会契約はその正当性を保ちうるのです。もしこれがなければ、社会契約は不合理なもの、独裁的なものとなり、甚だしい悪用を免れないでしょう。

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