平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

117、《短小tinko》
2019-01-12 19:20:18
ID:89AUxsM.(sage)

第八章 市民共同体

 

1. 人間の生活形態が自然状態から市民共同体へと移行するとともに、人間自身も大幅な変化を遂げます。人はもはや本能のままに行動することをやめて、正しさを行動の指針として考えるようになります。その行動は以前とは違って道徳的色彩を帯びたものとなるのです。そして、人間が肉体の衝動ではなく義務感に、また欲望ではなく正義感に従って行動するようになると、最早これまでのように自分のことだけを考えるのではなく他の原則にも従わねばならないと感じるようになります。そうなると、好き嫌いを重視することをやめ、理性の声に耳を傾けるようになります。市民共同体の中に暮らす人間は自然状態がもたらす利益を捨てることにはなりますが、その代わりに手に入れた利益は失ったものよりも遥かに大きいのです。様々な能力が開発され鍛練を受けて、知力は増大し感性は洗練されるでしょう。こうして人間に全人格的な高まりがもたらされる結果、この新たな境遇を悪用して元の自分以下の人間へと堕落するようなことが頻発しないかぎり、人類は自然状態から永久に脱皮したこの瞬間を、すなわち、愚かでしかも限界のあるけだものから知的生物つまり人間に生まれ変わった幸福なこの瞬間を、賛美し続けることでしょう。

2. ここで、市民共同体の生活に移行して得たものと失ったものとを簡単に比較するために、損得を整理してみましょう。まず社会契約を結ぶことで人間が失ったものは、生まれつきの気儘な自由でしょう。また、かつては自分の気に入ったもの、自分の手が届くものなら何でも好き勝手に自分のものにする権利がありましたが、それが今はありません。それに対して、社会契約によって人間が手に入れたものは、市民としての自由であり、財産に対する合法的な所有権です。ここで、自然状態と市民共同体の比較において誤りなきを期するために、生まれつきの気儘な自由と市民としての自由を明確に区別しなければいけません。生まれつきの気儘な自由は個人の力のおよぶ限り広がる果てしの無い自由ですが、市民としての自由は全体の意志によって制限される自由です。また、占有と所有の区別も必要です。占有は力の結果であり、いわゆる「先占取得権」だけに基づいているのに対して、所有は合法的な権利証に基づいていなければならないものです。

3. そのほかに市民共同体の成立とともに人間が手に入れるものとしては、精神の自由を挙げてもよいと思います。この精神の自由は人間が自分で自分を支配するためには無くてはならないものです。なぜなら、肉体的な欲望のみによって支配されている人間は奴隷に等しいものであり、自分が決めた法律に従うことによってはじめて精神的な自由を手に入れることができるからです。しかしながら、この問題についてはこれ以上ここで述べる必要はないでしょう。それに「自由」という言葉の哲学的意味をここで論じるつもりはありません。

 

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