平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

118、《短小tinko》
2019-01-12 19:20:59
ID:89AUxsM.(sage)

第九章 土地の所有権について

 

1. 共同体の構成員は、共同体が成立するときに全ての自分を共同体に委ねますが、それは、自分自身と自分がもっている全ての力を与えることで、そこには財産も含まれます。これは本質的には何の変化もなく、これまでの個人の財産が、社会契約によって人手に渡ってしまったり、主権者の所有になるという意味ではありません。そうではなくて、個人の力と比べると国の力の方が桁違いに大きいため、共同体による占有が個人の占有よりも実際上もはるかに安全で確実であるということにすぎず、こうしたからといって以前よりも合法性が増すというわけではありません。国外の人間に対しては特にそうです。なぜなら、国家対国民のレベルでは、国家は社会契約によって国民のあらゆる物の管理者になるのですが、社会契約が他の全ての権利の基盤として効力を発揮するのは国家の内側のことでしかありません。国家対国家のレベルになると、国家は国民から引き継いだあの「先占取得権」に基づいて占有するだけなのです。

2. この「先占取得権」は「強者の権利」よりもまだましですが、所有権が確立されるまでは真の権利としては認められません。自然な状態では人は誰でも自分が必要とするものの全てに対して権利を持っていますが、社会契約によって明確にある財産の所有者になるということは、それ以外の全ての物に対する権利をあきらめるということなのです。自分の取り分を決めるということは、そこに権利を限定するということであり、共有物に手を出す権利を失うということなのです。こうして所有権が確立してはじめて、自然な状態ではさして強力ではなかった「先占取得権」は、市民共同体の中で全ての人から尊重されるものになるのです。つまり、人はこの権利に従って他人のものを尊重するというよりは、自分の物でないものを尊重するのです。

3. 原則として、土地に関する先占取得権を正当化するには以下の三つの条件を満たさなければいけません。第一にその土地に他の先住者がいないこと、第二に生活に必要である以上の土地を支配しないこと、第三に根拠のない儀式によってではなく、実際に土地を耕して開墾することによって土地を占有していること、この三つです。最後の条件は合法的な権利証の存在しない場合にも、その土地の所有権が他人から尊重されるべきであることを示す唯一の証拠です。

4. 実際、その土地を必要としそこを開墾することで「先占取得権」を認めるということは、この権利をどこまでも拡大するのとはまったく異なるのです。上記の条件によってまさにこの権利は制限することができるのです。つまり、誰のものでもない土地に足を踏み入れただけで、すぐさま自分のものだと主張することはできないのです。一瞬でもその土地から人を追い出しさえすれば、彼らがそこに戻ってくる権利を奪ったことにはならないのです。広大な領地を占領して他の人間が入り込めないようにすることは、ほとんど犯罪的な略奪行為にほかなりません。なぜなら、それはまさに自然が公平に全人類に与えた食物と住みかを他の人類から奪って自分だけのものにすることだからです。

 ニュネス・バルボア〔1475~1519〕が南アメリカの岸辺に立って太平洋と南アメリカの領有をスペイン王の名において宣言しても、それだけで先住民を追い出して全世界の王たちの権利を否定することなどできなかったのです。もしそんなことができたら、そのような無意味な儀式は際限なく繰り返され、スペイン王は王室に居ながらにして全世界を簡単にその手中に収めることができたでしょう。しかし実際のところは、そうして手に入れた領土のうち、先に他国の王に占領されていたものは間もなく全て手放さざるを得なかったのです。(注:この節は反語表現の連続なので、全部裏返して訳した)

5. ここからわかるように、国の領土などというものは個人の土地が合わさって一体となった時にはじめて成立するものなのです。そうすると主権者の権限は一般民衆だけでなく彼らの所有する土地にまで広がっていきます。こうして、主権すなわち統治権は人と土地の両方に及ぶことになるのです。この結果、民衆はますます主権者の保護を当てにするようになる一方で、民衆の方も力を結集して、主権者に対して忠誠をつくすようになるのです。

 古代の王たちは人だけでなく土地も支配することの利点に気づかなかったのでしょうか。彼らは自分たちのことをペルシャ人の王とかスキタイ人の王とかマケドニア人の王なとど呼んでいたのです。ということは、彼らは自分たちのことを国の王であるよりむしろ人々の王であると思っていたことになります。その点現在の王たちは抜け目がありません。彼らは自分たちのことをフランス王とかスペイン王とかイギリス王などと呼んでいます。彼らは土地を支配することで、その住民に対する支配を確実なものにしているのです。

6. 社会契約における譲渡の特徴は、共同体は、個人の財産を受け取ることで、個人を丸裸にしてしまうどころか、財産の合法的な所有を保証してくれるという点です。つまり、それは略奪して得た結果を正当な権利に変え、たまたま持っていたものを法的な所有物に変えてくれるのです。各所有者は国の財産を預かっていると見なされるため、所有者の権利は国家の他の全構成員から尊重されます。また外国の侵略に対しては、力を合わせて守ってくれるのです。人々はこの譲渡によって、いわば譲渡した全てのものを獲得するのですから、この譲渡は国にとっては有利なだけでなく、自分自身にとってはさらに有利なことなのです。譲渡することによって獲得するとは一見矛盾しているようですが、この矛盾は、同じ土地に対して主権者が行使できる権利と各所有者が行使できる権利とは同じではないことで簡単に説明できることです。しかし、これについては後でまたお話ししましょう。

7. また、人々が財産を全く所有していない時から団結を始めることがあるかもしれません。その場合は、全員が住めるような大きさの土地を手に入れることになりますが、その土地は共有にするか、公平に分配するか、それとも主権者の定める割合で分配されることでしょう。土地の取得の仕方はこのいずれの場合でも、その土地に対する個人の権利は、常に全ての土地に対する共同体の権利に従属するものとなります。というのは、もしそうしなければ、共同体のつながりはもろいものとなり、主権の行使も真の威力を持たないものとなってしまうからです。

8. この章とこの巻を終える当たって、あらゆる社会制度の基本として役立つことを一つ申し上げましょう。それは、社会契約とは、人々が生まれつき平等であることを否定するどころから、その反対に、自然が人類に課した肉体的な不平等の代わりに精神的な平等と法的な平等を与えるものなのです。つまり、人々は、腕力や知能では全員が平等でなくても、社会契約と法律によって全員が平等になれるのです。

 

第一巻終了

名前:

メール欄:

内容:


文字色

File: