平成喧嘩塾の衆人はどこいったん?

129、《短小tinko》
2019-01-12 19:45:19
ID:qwmJsiRo(sage)

第10歌 願い事はほどほどに




 西はジブラルタルから東はガンジスまで広がるこの世界で、自分の心の迷いを吹き払って、本当の幸福とその正反対のことの違いを見分けることのできる人はまずいない。人が理性に従うかぎり、いったい何かそんなに恐いものが、また何かそんなに欲しいものがあるだろうか。がんばって願い事を叶えたところで、後になって後悔しないような、そんな確実な幸福をもたらす願い事がどこにある。願い事が叶ったおかげで、家族がすっかり崩壊してしまったという不幸な人は多い。平和なときも戦争のときも、人はいつも結局は自分を不幸にすることばかりを願っている。すらすらと流れるように話す弁論の技術は、しばしば本人にとって致命的になる。自分の腕力の強さを過信したために、命を落とした力自慢のレスラーの例もある。しかしながら、それよりも、人並み外れた努力によってせっせと貯め込んだ金の重みに押しつぶされたり、ブリタニアのクジラがイルカより大きいほどに、他人のどんな財産よりも大きな財産を貯め込んだおかげで、身を滅ぼした例ははるかに多い。金持ちのロンギノスの家も、セネカの広大な庭園も、ラテラヌスの立派な館も、あの恐ろしい時代にネロの命令で軍隊に占領された。兵隊がちっぽけな屋根裏部屋にやってくることはないものだ。たとえ小さく飾り気のないものでも、銀製品を携えた夜中の旅は、刃物と棍棒に対する恐怖に満ちたものになる。月影に映る葦の影の動きにさえ、ふるえ上がることだろう。手ぶらの旅人なら盗賊に出会っても鼻歌交じりでいられるはずだ。
 どこの神社でもお祈りといえばまずはお金だ。

 「お金が貯まりますように」

 「広場の誰よりも大きな金庫が持てるようになりますように」

 ところが、貧しい陶器にトリカブトの毒が盛られることはないけれども、金の杯に高級なワインが赤く燃え立つときや、宝石をちりばめた杯(さかずき)を手渡されたときには毒に対する用心が必要になる。

 ここまで聞けば、かの二人の哲学者が一歩自宅を後にして世間に目をやった途端に、一人(デモクリトス)は可笑しくてたまらず、もう一人(ヘラクレイトス)は反対に悲しくてたまらなかったわけが、もうお分かりだろう。もっとも、容赦なく世間を笑いの対象にして批判することは別段珍しいことではないが、ヘラクレイトスの目にどうして涙が貯まったのか不思議ではある。

 そのころの町には、真紅の縁取りをした神官服も、騎士の着る縞柄のローブも、執政官の権威を表わすファスケス(斧に縛り付けた棒の束)も、元老の奥様専用の豪華な駕籠(かご)も、法務官用の立派な判事席もなかったにもかかわらず、デモクリトスは腹の皮をよじらせて笑い続けた。いま法務官がローマの競技場の真ん中の土ぼこりの中で背の高い車の上に意気揚々として立っているところを見たら、デモクリトスはなんと言うだろう。その法務官の着ている上着はシュロの葉の縁取りがついたジュピターのチュニックで、肩からはトュロスの紫地に金の縁取りがつくカーテンのような式服(トガ)が下がり、頭には首がおれるほどの馬鹿でかい王冠が乗っかっているのだ。おまけに、この未来の執政官の慢心をいさめる役で同乗している奴隷が、その王冠を後ろから大汗かきながら支えているのである。それだけではない。この法務官の手には象牙の王笏が握られ、その上には一羽の鷲がとまっているのだ。また、車の前にはラッパ吹きの一団と、この法務官の庇護下にある者たちの長い行列が進み、さらには白い服を着たローマ市民の一団が馬の手綱を取っているという具合だ。しかも、この市民たちの財布は、この法務官の取り巻きになることでせしめた小遣いで膨らんでいる。

 デモクリトスは、自分の生きていた時代でさえ人間の集まる所どこであろうと、笑いの種を見つけ出した。人に立派な手本を示せるような第一級の人間が愚者の国アブデラの濁った空気の中にも生まれることを、この哲学者の知性は証明している。人々の悩みだけでなく、喜びも、ときには悲しみさえも彼は笑いの対象にした。運命の女神が悪い兆しを見せるときでも、女神に対して中指を立てて「くたばっちまえ」と言う男なのだ。

 願い事がこんなにも余計なものか危険なものなら、我々はいったいどんな願いを板に書いて神々の座像の膝に並べるべきなのだろう。

 権力者は往々にしてひどい妬みを買うために、転落の憂き目を見るものだ。要職を歴任した輝かしい経歴が、かえって命取りになる。

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