>>8
ところでどういう点で喧嘩が好きそうじゃないと感じたんでしょう?
単純に考えれば、喧嘩を目的とする場にやってくる人間は喧嘩が好きなのだろうと推論するのがセオリーだと思うけど、そう推論させない特筆すべき点があったのでしょうか。
>>14
貴方の話し方からよ。
他の連中と比べると丁寧に感じたわ。
でも、荒々しい殿方も嫌いでなくってよ。
>>13
貴方のことは聞いてるわ。
喧嘩板に来ても喧嘩には参加しない厨二病のチェリーboyらしいわね。
>>20
私の経験では、特に罵倒しない人や言い方がキツくない人は喧嘩より論争が好きなイメージよ。
キヤスフィ避難所は我らえらばれた優良種たる喧嘩板住民に管理・運営されてはじめて永久に生き延びることができるのだ!!
>>21
仮に"口調が柔らかい人は喧嘩より論争が好きである"という偏見が真であっても、それは喧嘩と比較して論争が好きというだけで、そこから喧嘩が好きではないという結論は導けませんよね。
>>33
まず根っこの論点は、なぜ喧嘩が好きそうでないと感じたのかということ。
それに対するローリエの回答は「口調が丁寧だから」というものであり、そういう人物は喧嘩よりも論争を好むと発言しています。
しかし、それは単に喧嘩より論争が好きというだけで、喧嘩が好きそうでないという肝心な部分の説明にはなっていません。
パンよりご飯が好きという人に対して、ならパンは好きではないんだねとは結論できないのと同じように。
>好きではない
じゃなくて
>好き”そう”じゃない
なんだよね?
実際に好きかどうかは分からないけど、仮に好きだったとしても落ち着いた口調だとそういった雰囲気は感じ取れないという、一個人の受け取り、印象、主観の話なんだよね?
状況整理
【好きそうには見えない】
「特に喧嘩が好きそうには見えないわね。」と発言
【好きそうではないと感じた】
「どういう点で喧嘩が好きそうじゃないと感じたんでしょう?」という質問に対し、特に問題を見つけて指摘することなく素直に回答
>>36
そうですね。主観の話だと思ってます。
なぜローリエはこちらに対して喧嘩が好きそうではないという印象を抱いたのかを尋ねていますから。
>>37
感じた理由はもう言ったわよ。
貴方にとって勝敗はどうでもよくても、私は勝った喧嘩にいつまでも付き合うことはしないわ。
未練たらたらの男はモテないわよ。
>>37
帰る前にシャワー浴びてる段階だけどもう少し付け加えておくわね。
感じる理由なんて人それぞれよ。
貴方にとやかく言われる筋合いはないわ。
>>40
その理由が「話し口調」なわけですよね。
口調が丁寧な人は喧嘩より論争が好きそうだと。
だからミュウは喧嘩が好きそうではないという印象を抱いた。
こういうことですよね?
それに対するこちらの疑問は、「口調が丁寧な人は喧嘩より論争が好き」という偏見が正しいとしても、そこから喧嘩が好きそうでないという結論は導出できない。
したがって、理由としての整合性が取れていないという点に疑問が残ります。
>>43
そこに整合性は必要ないわ。
私の感じ方は私の偏見ですもの。
これまでの自分の経験や自分の考えから「特に喧嘩が好きそうには見えない」と感じたの。
つまり客観的に整合性が取れなくても私の中ではその結論(感じ方)に至ったわけなのよ。
今回はデータを用意して客観的に述べているような話じゃないの。
何度も言うけど私の感じ方で貴方にとやかく言われる筋合いはないわ。
>>44
別にローリエが何らかの根拠を元に、どのような印象や感想を抱こうと自由だと思います。
その結論については否定しないし、現にしていない。
だけれど、結論と根拠をつなぐ部分に整合性がなければそれは論理破綻を意味します。
さて今回、ローリエは話し口調を根拠に喧嘩が好きそうでないという結論を出しているわけですが、話し口調と喧嘩の好き嫌いがどう関係するのかという点において、論理的整合性が保てていないばかりか、あまつさえ不要であるという誤った発言をしている。
例えば、「背の低いことが"かわいい"の絶対条件である」と考える人がいたとして、他人はその考え自体を論難することはできない。
でもその人が、背の大きい人をかわいいと思ってしまえば、その思いは否定できないけれど、自身の掲げるかわいいの定義と整合性がとれていないという非論理な部分への指摘は可能となります。
喧嘩とはそうした指摘を受けないように立ち回るものでしょうから、やはりそこに整合性は必要であると考えます。以上です。
>>45
申し訳ないけど貴方の例えは何が言いたいのか分からないわ。
分かりやすい例えを書いてあげるわね。
AさんとBさんは同じ本を読んだ。
Aさん「恋愛パートが長くてつまらないと感じた」
Bさん「恋愛パートが長くて面白いと感じた」
客観的に言うと、"長い"ことと面白さに整合性はないわね。
でも二人とも論理は破綻してないわ。
なぜかと言うと、感じ方は人それぞれという論理によってこれら二つの説明は成り立っているからよ。
三回目よ。私の感じ方で貴方にとやかく言われる筋合いはないわ。
>>45の言い分だとローリエが優勢なのでは。
>そこに整合性は必要ないわ
しかしローリエの結論は、「客観的に整合性が取れなくても私の中ではその結論(感じ方)に至った」
要するに彼女は、客観的に整合性を取れていないことが必要ないのか、あるいは、両方必要ないのか、どういう意味で「そこに整合性は必要ない」と言ってるのか、明確に区別していない部分がある。
>例えば、「背の低いことが"かわいい"の絶対条件である」と考える人がいたとして、他人はその考え自体を論難することはできない。
>でもその人が、背の大きい人をかわいいと思ってしまえば、その思いは否定できないけれど、自身の掲げるかわいいの定義と整合性がとれていないという非論理な部分への指摘は可能となります。
つまり、これについてローリエが「同感だ」と結論づけることも可能。
その上で、その例と現状を比べて、どこに、「『自身の掲げるxの定義と整合性がとれていない』と言える証拠があるのか」と突きつけるやり方もできる、のではないかなと観戦するモブAは思った。
と思ったらローリエ氏がぜんぜん違うやり方やってたのでモブは一旦黙ります。
またどっかでモブの推理タイム入れるかもだけど「お前、読解間違ってるよ!」とか「俺はそんなこと言いたいわけじゃない!」みたいな俺の誤解以外は気にしないで。
>>46
確かに全然話が分かってないですね。
まず、AさんとBさんが同じ本を読み、恋愛パートの長さを理由に評価が分かれることに全く問題はありません。
ローリエが言うように個人の感性の部分であるから、そうしたことは往々にしてありえます。
そして今回の話だと、ミュウの話し口調は丁寧だから喧嘩が好きそうでないとローリエは考えています。
ここで間違って欲しくないのは、こちらはその考えを一切否定していないということ。
「私の感じ方をとやかく言われる筋合いはない」と3回ほど言っているとのことですが、こちらは一度たりともとやかく言っておりません。
では何を問題視しているかと言うと、Aさんの中に「恋愛パートが長い本は面白くない」という基準があるにも関わらず、そういった本を読んで面白いという結論に達した場合に生じる基準と結論の不整合です。
こうした類の不整合がローリエの発言の中に認められることをクドクドと述べています。
ローリエ:【話し口調が丁寧な人は、喧嘩より論争が好きそう】>>21より
→したがって、話し口調が丁寧なミュウは喧嘩が嫌いそう
以上に対して、根拠と結論の論理的飛躍を不整合という言葉をもって糾弾しているのであり、【】内や結論であるローリエの感性的な部分は何一つ否定していないことを理解してほしいです。
そもそもここで言う論理的整合性って何なの?
>「口調が丁寧な人は喧嘩より論争が好き」という偏見が正しいとしても、そこから喧嘩が好きそうでないという結論は導出できない。
>>36でわざわざ確認してるんだけど「好き"そう”」っていうのはあくまでも一個人の見え方感じ方の話であって、他人も同じ感じ方をするものだと言っているわけじゃないんでしょ。
>>49
>→したがって、話し口調が丁寧なミュウは喧嘩が嫌いそう
私、どこでこんなこと言ったかしら。
教えてちょうだい。
根拠→結論 ←ミュウ曰く結論が「感じ方」
↑ローリエ的にはこの移動方法の正体が「感じ方」
こういう認識の食い違い(あるいは、齟齬)を放置しているから、感じ方を否定した否定してないで話が進まないんだろうな
>>50
訂正します
>>49について1箇所訂正
×
したがって、話し口調が丁寧なミュウは喧嘩が嫌いそう
○
したがって、話し口調が丁寧なミュウは喧嘩が好きそうでない
>>51
論理の飛躍と捉えてもらって大丈夫です。
話し口調が丁寧な人は喧嘩より論争が好きそうという根拠から、ミュウは喧嘩が好きそうでないとの結論に達するのは、根拠と結論に飛躍があり整合性がないと。
そしてこちらは、ただただ飛躍箇所を炙り出しているだけで、その結論自体は一切否定していません。
>>53
おそらくそういう考え方はされてないはずです。
>>33では「結論は出せない」という発言をされています。
仮にローリエが移動方法の部分を感じ方だと考えているなら、>>33のような発言にはならず、人それぞれ違うというような発言にとどまるでしょう。
>>55
答えになってない(笑)
え、主観の話であって客観的な話じゃないんだよな?
じゃあその飛躍って何を以て飛躍って言ってんの?
話し口調が丁寧な人は喧嘩より論争が好きそうだという”イメージ”
↓
ミュウは喧嘩が好き”そう”でない
全て彼自身の思い込みに始まり思い込みに終わる話に、論理的整合性という概念が介入できる余地ってどこにあるの?
>>57
主観の話なのはあくまで出された結論についてで、根拠と結論をつなぐ部分に対しては客観的に論理性をもって瑕疵を指摘することができます。
背の低いことがかわいいの絶対条件だと考える人が、背の大きい人をかわいいと思おうが、それ自体は別に構いません。
主観の話ですから。
でもそこにある条件と結論の不整合は客観的に認めることができるだろうという話です。
また、論理的整合性が介入する余地についてですが、そういう余地があるからローリエは>>33の発言をしているのではないでしょうか。
余地がなければ「結論は出せない」とはならず、「人によって違ってくる」となるはずです。