>>81
「"弱そう"が判断かどうか、でいえば」(>>20)
ここで彼は“弱そう”が判断かどうか述べようとしてるじゃん。だったらこの後に述べているはずなのはそれに関することじゃん。
「めるとだうん君の中における"弱そう"の条件を満たすか否かにおける判断はしてるといえそうだね」(>>20)
なのでその直後に述べているこの意見はそれに関することを示しているはずじゃん。例えば「“弱そう”は判断だ」とか「“弱そう”は判断じゃない」といった意味の発言であるはずじゃん。
君の例えを借りるなら
「車は空を飛ばないかどうかでいえば、車えびは空を飛ばない」
この文において、述べようとしていることと述べていることには繋がりがあるはずじゃん。だけど実際、車が空を飛ばないことと車えびが空を飛ばないことって関係ないじゃん。つまり「車エビは空を飛ばない」と言ったところで車が空を飛ばないかどうかについて述べたことにはならないじゃん。そしてそれは車を空を飛ばないものかどうかという点で仮定してみてもわかるじゃん。
車(空を飛ぶ)→車えびは空を飛ばない
車(空を飛ばない)→車えびは空を飛ばない
どちらの流れもありえるから「車えびは空を飛ばない」という意見から車が空を飛ばないかどうかに関する意見を読み取ることはできないじゃん。
それと同じような話を俺はしてるんじゃん。“弱そう”が判断でも判断じゃなかったとしても意味が通じる意見なら、“弱そう”が判断かどうかに関する意見とは関係ないじゃん。
じゃあそれをはっきりさせる目的で仮定する不当性なんてないじゃん。だって「判断だ」って思っていてもそれをちゃんといえてるか?っていう問題なんだからじゃん。